磯田氏、カミュ、さらに大魔王

Eテレの、時に大人に向けた真面目な番組が好きな、おゆめです。
今日は長い時間、テレビをつけて気になる番組を見ていました。

まず、「TVシンポジウム」という番組で歴史学者の磯田道史氏が作家・司馬遼太郎の作品から今日までの日本人の生き方について話されているのを見ていました。少ししか見れなかったのですが、すごく興味深かったです。

「今は外から原理が与えられない時代」。これまでは王、将軍、天皇と特定の人物のために行動したり、戦後になると当時の典型的なアメリカスタイルのような物質に恵まれた生活に憧れて、時代とともに人々は生きる指針や原理を外側に見つけて進んでいきました。その原理が今の時代、人や物、外側にあるものよりも自分の考えによって生きていかなければならない、「与えられないということは自分で考えていかなければいけないから、これは大変なことですよ」と磯田さんも個人が自ら意識し考えて行動する、生きていくことを話されていて、いろんな人と同じことを言うなぁと思いました。
さらに磯田氏が考える司馬遼太郎の原理は「自分以外の他者への優しさと共感」だと話されていて、個人の自立と他者の尊重がこれからを生きていくキーパーソンであるのだなと改めて考えました。

そして「100分de名著」。アルベール・カミュの優れた想像力、表現力のすごさと人間への愛を感じました。カミュ自身の波乱万丈な人生も反映されているペストの物語は個人が自らの考えを持ち、連帯を生み出すことでどのような状況も乗り越えられるという希望と、物事の終息の先にも人間の中にある正しさと悪、人生について答えの出ない問いを問い続けることの大切さを伝えているように私は思いました。自らに向けられた正しさと悪の間で曖昧に生きる人間を描くことがカミュの人間へ向けた指針であり愛のようです。
「誠実」がペストと戦う唯一の方法というのはペストを「人を殺すこと」に例えているという番組内の解説で納得できましたが、実際のウイルスと考えると「誠実」さだけではなく結果への対処予測も重要な気もしました。
人間の心という視点から見たペスト、ウイルス危機という視点から見たペストでは読み方が異なって感じそうです。でも人間が命の危機と隣り合わせで生きる時、個人がどう考え、どう行動し、生きるべきか考えるのかはどのような状況であろうとも人間の記憶と認識に昇華されることは確かではないでしょうか。
最終回で登場された内田樹さんのカミュ愛が熱く溢れていて、私は好きでした。内田さんをパネラーにアルベール・カミュの作品をまた取り上げていただきたいものです。

チャンネルを変え、日本テレビの「ハクション大魔王2020」も見ました。以前、北海道のローカル局、テレビ北海道では朝にアニメの再放送があり、「キテレツ大百科」「一休さん」「ハクション大魔王」がよくリピート放送されていました。なので両親も私も知っているアニメの一つである「ハクション大魔王」が現代を舞台にどのような物語なのか知りたくて番組を見ました。
物に満たされ、夢がないというカンちゃんの孫、カン太郎にアクビちゃんが夢を持たせようとする様子を見て、魔王が可哀そうに思えるほどワガママだったカンちゃんよりマシなんじゃないの~?と思いましたが、欲がなさすぎるのも困るのですね(笑)
アクビちゃんや魔王のいる世界では人の願いや夢を叶えさせることがどのような意味を成すのか私は詳しくは知らないのですが、これは徳を積むことと似ているのでしょうかね?個人を尊重するということだけでも十分、徳を積むことだと思うのですが、だとすると、人の欲望をエネルギーに生きる世界なのかもしれません。でもそれだと「魔法少女まどか☆マギカ」のキュゥべえと似てるようにも見えて、ちょっと怪しいですね。感情がボロボロに乱されるような物語の中でアクビちゃんたちに活躍してほしいと望んではいないので、笑って心がほっとする物語がいいですね。
カン太郎がこれからアクビちゃんや魔王、そのほかの登場人物に影響されて夢を持つのか、持たないのか、これからどんな物語が繰り広げられるのでしょうか。

とにかく、自分で考えて、生きる。
みなさんの中核にはどんな考えがありますか?