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映画「マイ・ブロークン・マリコ」を観たという話

ごきげんよう、大淀です。

先日、平庫ワカ先生原作の映画「マイ・ブロークン・マリコ」を観ました。
これを観た気持ちを残しておきたくて、今日は感想…というか思ったことや考えたことを綴っておこうと思います。


※作品のネタバレを含みますので、映画も原作もどちらもご存じではない方は、ぜひどちらでもよいので触れてください。


私はこの作品の名前持っていたし、随分話題に上がっていたことも知っていた。
いつか読もうと思っていた矢先、映像化することを知った。
あまり映像化にいい思い出が無い私は、初報を聞いたときは「ふーん」くらいに思っていた。
しかしながら映画の予告編が公開され何気なく見たとき、「これは良いものになっているのかもしれない」と思い、映画を観ることを決めた。

せっかくだからいっそ、原作を読む前に映画を観ようと思った。
原作を知っていればいるほど、偏屈な私は映画を素直に受け止められないかもしれなくって、それが怖かったから。

結果、映画はかなり良かったと私は思う。
映画を観終わったとき思ったのは「きっと原作をすごく大切にして作られた作品なのだろうな」ということだった。
映画を観たあと原作を買って読んだが、その感想は変わらなかった。
映画を観た後に胸に残った感情と、漫画を読んだ後に残った感情はほとんど変わらず、悲しさの中に不思議な爽やかさがあった。

この作品を読んだり観たりした人ならわかると思うが、この話は何かすごく変わったり、大きな事件が起こる話ではない。
これから何かが起こる話ではなく、マリコという大切な人を失った主人公シイノの感情の機微を徹底的に追ってる話だ。
登場人物も極めて少なく、ほとんどシイノが一人で走り抜けていく姿が描かれている。
映画もそれは同じで、全体的に静かで、空気は不思議に澄んでいて、しかしシイノの熱い息遣いが聞こえてくるような、そんな作品だった。

映画の構成上追加されたシーンもいくらかあったが(バスの中でのちのち助ける少女を見かけていた描写とか)、特に原作の雰囲気を壊すこともなく、そっと補足する程度にとどまっていると個人的に思った。
その助けた少女からのお礼の手紙を読んだシイノが「…綺麗な字」と言ったシーンも、私は好きだった。
彼女を助ける瞬間、シイノは少女の姿にマリコを重ねていたが、(シイノ自身はそれにどこまで自覚的だったかわからないが)観ている人間にそれをより強調する役目になっていたと思う。
好みがわかれるのは当然だと思うが、私はアリだと思う。

補足する場所は補足して、余白を残すところは残していたのもよかった。
つまりそれは最後のマリコからの手紙のシーン。
あそこでなんて書いてあったのか?という疑問は原作の刊行時にレビューでもすでに書かれていたことだったが、私はあそこで内容を全く触れなかったことこそがすべてだと思っている。
だから映画でもあそこに無駄なモノローグなどを追加せず、原作の余韻を残してくれたことが最大の良い点だと感じた。
マリコからの手紙は、シイちゃんだけが知っていればいいのだ。



ここからは作品自体に対する感想になってくる。
マリコはシイノから一番大切にされていたし、それを行動や言動でシイノは最大限表現してきたように思う。
幼いころマリコのためにマリコの家に行ったあの日も、最低な彼氏からマリコを守った日も、いつだってそれを示してきた。
シイノの「あんたはどうだったか知らないけどね 正直あたしにはあんたしかいなかった」というセリフからも痛いほど伝わってくる。
マリコはシイノの気持ちを十分理解していたと思う。
しかしそれは死なない理由とはまた別の話で、そして、その言葉を理解していても信じられるかどうかも別の話だ。

私はマリコとは全然違う人生を歩んできたが、マリコの思っていた断片的な気持ちは、なんとなく私にも理解できる気がする。
私には、私のことをすごく好きな友達がいた。
いや、正確には今も友達ではあるから「いる」が正解なんだけど。
その子は学生時代からずっと私に好きだと言ってくれていた。
一番好きだと言っていた。そっかって思ってた。
でも彼女は結婚した。知らん男と。
本当に知らん男で、結婚式で初めて顔を見た程度の男だった。
彼女に恋愛感情を持ったことなどなかったけれど、結婚するという話を聞いたとき、漠然と「嘘つき」と思った。
自分以上の一番がいるんじゃん。
どんなに大切だよ、好きだよって言ってくれる人だって、自分をこうやって置いていくのだ。

学生時代のマリコがシイノに「シイちゃんに好きな人ができて… シイちゃんがわたしよりその人のこと大事になって わたしのこと放ったらかしにしてどっかいったら わたしから離れてったら一生 許さないからね」というシーンがある。
私はマリコほどのことを言ったり思ったりしてこなかったつもりだが、マリコもたぶんいつかいなくなるシイちゃんを想像して怖かったんだろうと思う。
未来は見えないし、永遠なんてないから。

女と女のつながりは、いや、人との繋がり自体が、目に見えた形に表すことが現状難しいように思う。
男女の関係はそれこそ、「結婚」という契約を結ぶことである程度可視化出来るかもしれないが。(最も、婚姻関係の儚さを鑑みると、それすら気休めみたいなものかもしれない)
どれだけシイノの言葉を信じていても、未来まで信じられない気持ちは、私にもほんの少しだけわかるのだ。


カバンをひったくられたときと崖から落ちたあとの2回、「大丈夫に見えるか」「大丈夫に…見えます」というやり取りがある。
このやりとりが非常に印象に残った。
確かに状況的に大丈夫ではないのだが、このマキオの言う「大丈夫」というのはシイノの精神的な状態に対してだろう。
カバンをひったくられても、海に落ちても、シイノの魂の根本の部分は「大丈夫」だということだと思う。
ボロボロになっていても、シイノには日常に戻れるだけの力がある。
彼女を友達の遺灰を奪って海まで駆り立てるほどのエネルギーは、それを象徴していると思った。

エネルギーに満ち溢れた作品だった。
私は原作はもちろん、映画も好きだ。
きっと私はこの作品を忘れないだろうと思う

ちなみに映画の花火をするシーン、こちらが元ネタだと言う話を見かけた。
美しい絵。

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