とうさん、かあさん、ぼくのことすき?~親子の絆を通して愛を知る~

●とうさん、かあさん、ぼくのことすき?~親子の絆を通して愛を知る~

どうもです。満野和敏(みつのかずとし)です。

僕は親子の絆を知って、自分の中にある愛に気づきました。

それまでは、人をどうして愛したらいいんだろう?

僕には人を愛する事は出来ないんじゃないか?

そんな風に思っていました。

今回の本の記事では、DVや虐待なども書かれています。

そして、それをどのように乗り越えていったのかも記載しています。

親子で向き合っていく事により、自分の中にある大切なものに気づく事が出来ました。

DV、モラハラ、虐待、両親の離婚で苦しんでいる子達、子供に会えない親、子供を会わせない親、苦しんでいる全ての方のお役に立てればと思います。

まえがき 家族ってこんなにむずかしいものだったの?(目次は、この後からはじまります。)

僕は、親子がどのように向き合っていけばいいのかと言う事について活動をしています。

最初に、僕の生い立ちを少しだけご紹介させていただきますね。

僕の両親は、僕が小学校高学年の時に別居、中学生になって離婚しました。

そして、母親に引き取られての生活が始まりました。

それまでは、両親の壮絶な喧嘩、母親からの暴力、妹との兄弟喧嘩。

僕の家庭では暴力が常に渦巻いていました。

そして、暴力と言うものは日常的に当たり前にあるものだと思っていました。

言葉で相手を傷つける。

相手が謝るまで、暴力をふるい続ける。

このような事が、両親の喧嘩を見ていた通りに、僕の中でも日常化していきました。

また、いつも僕の中にあった思い。

相手が全部悪い。

これは、両親が自分を正当化する為に喧嘩をしている様子を見ながら、学んだ事でした。

このように、子供の頃に両親から学んだ価値観は、子供の人生に大きく影響します。

僕は、両親から学んだ価値観で、たくさん苦しみました。

いつも怒られる事に怯えたり、やられる前にやらないとやられる。

僕は嫌われている。

僕は自分の気持ちを押し通してはいけない。

たくさんのガマンを強いられた中で、前に進むと言う事がどういう事かわからなくなっていきました。

でも、僕は僕らしく生きたい!

どうすればいいんだ!

僕は自分の人生がうまくいかないと言う事と真剣に向き合った時に、両親と向き合う事が必要だと感じたんですね。

両親は自分のルーツだから。

そこから、両親と向き合い、どのように確執がとれていったのかを今から記載していきます。

今は、父さんと母さんと妹とも普通に話が出来るようになりました。

家族間で和解をするのに、両親が離婚をしてから20年の歳月がかかりました。

和解と言う決してカンタンではない道のりを、僕は選びました。

少しでもあなたの人生のお役に立てたら嬉しいです。

●かあさんをきらいになっていった

僕は物心をついた頃から、母親にかなり厳しく育てられました。

お箸がちゃんと持てないと殴られる。

掛け算の九九が言えないと殴られる。

楽しくおもちゃで遊んでいると殴られる。

とにかく殴られた記憶しかありません。

なぜ、殴るんだろう?

母親が言うには、あなたが悪いから。

どうして、僕は悪いんだろう?

母親からはこの言葉しかなく、僕はどうして殴られていたのか、意味がわかりませんでした。

理由がわかれば、自分なりに動く事も出来るのに。

でも、母さんからの言葉はいつも、あなたが悪い。

これだけでは、何をどうすればいいのかわかりませんでした。

そして、僕はあなたが悪いと言われた理由について、考えるしかありませんでした。

僕が母さんに従わなかったから?

僕が母さんの気にいらない事をしたから?

僕が言う事を聞かなかったから?

僕には理由がわからない。

でも、この言葉を思いついた時に僕は思いました。

母さんは僕を嫌いだから。

きっとそうだ!

まちがいない!

好きな人に暴力をふるうはずがない。

僕なら好きな人に暴力をふるいたくないもん。

そうか。

やっぱりそうだ。

母さんは、僕を嫌いだから暴力をふるうんだ。

そっかぁ。

でも、悲しいな。

僕は母さんの事を大好きなのに、母さんは僕の事を大嫌いだったなんて。

僕は知らなかった。

どうやったら、母さんに好かれるんだろう?

どうやったら、母さんに可愛がってもらえるんだろう?

どうやったら、母さんに殴られないんだろう?

どうやったら、母さんに甘える事が出来るだろう?

どうやったら、どうやったら・・・。

僕は子供ながらに、母さんに好かれるにはどうすればいいのか考えていました。

でも、僕は拗ねてもいました。

なんで、殴られなあかんねん!

なんで、悪口言われなあかんねん!

なんで、傷つけられなあかんねん!

お前はそんなに完璧なんか!

掛け算の九九を少し間違えただけでなんで殴られなあかんねん!

30センチものさしで、机を叩きながら、はよ九九言え。

間違えたらあかんぞ。

そうやって、脅されながら言われて、間違わずに言えるのか!

ああ!

腹立つ!!

むかつく!!

ぶちころしてやろうか!

僕は母さんに対して、凄く怒っていました。

理由も言わず、何かあればすぐに殴る事に。

母さんに大切にしてもらえなかった事に。

僕はどんどんひねくれていきました。

どうせ僕の事嫌いなんやろ?それやったら、僕も母さんの事嫌いになるわ。

僕だけが母さんを大好きで、母さんは僕の事を大嫌いっておかしいやろ。

僕だけ損するんいやや。

だから、僕も母さんを嫌いになる。

僕はこの事を決めてから、母さんのいう事を聞かなくなっていきました。

そして、母さんに対して、反抗もするようになっていきました。

本当は母さんに愛してほしかったと言う思いも、怒りに変わったら、本当の気持ちも見えなくなっていきました。

僕は思い通りにならない事があれば怒るだけ。

この頃の僕は、伝えようと思っていた事も伝えられなくなりました。

伝えなくもなりました。

親子のコミュニケーション不全によって、自分の気持ちをどう表現すればいいのかわからず、学ぶ事も出来ませんでした。

●母さんを信じなくなっていった

子供の頃は大好きだった母さん。

何でも一番に伝えたかった。

母さんに聞いてほしかった。

母さんにほめてほしかった。

母さん、母さん、なぁ、聞いてや。

ぼくな、今日な、友達と遊んでん。

めちゃ楽しい事もあってんで。

なぁ、聞いてや、母さん。

そうやって、母さんに何でも話したかった、あの頃。

でも、母さんから返ってきた言葉はいつもこうでした。

ちゃんとしなさい。

勉強しなさい。

遊びすぎはダメ。

母さんから出てくる言葉は、いつもそっけないものでした。

母さんはやっぱり、僕の事、嫌いなんやろな。

だって、母さんと話をしようとしても聞いてくれへんし、僕は怒られたり、叩かれてばかりやもん。

母さんにとって僕なんていらん子やんな。

僕みたいな、母さんの言う事も聞けないような子は、母さんに嫌われて当然やんな。

だから、僕は母さんにもう何も言わへん。楽しい事があっても、嫌な事があっても、何も言わへん。

僕は母さんに嫌われてるからな。

そうやって、僕はどんどん心を閉ざしていきました。

でも、心の中の僕はいつも、こう叫んでいました。

母さん、なぁ、聞いてや。なぁ、母さん。

●母さんと会話をする事が嫌になっていった

母さんと話をしたら、いつも怒られる。

せやから、何を話していいのかわからへん。

母さんに宿題の事を聞かれても、ちゃんと答えな怒られる。

ちゃんとしなさい!

そればっかり。

ちょっとくらい、楽しんだってえぇやん。

母さんは何で怒ってばっかりなん?

いつも、怒られるんやったら、話すのも嫌になるわ。

聞かれても、答えたくなくなる。

答えなくて怒られるかもしれんけど、答えても怒られるやん。

どっちにしても、怒られるんやったら、答えたくないわ。

だって、傷つくような事を言われるだけやもん。

そんなん、楽しくないやん。

嬉しくもないやん。

ただ、いやな気持ちになるだけ。

そんなんやったら、何も言いたくない。

僕は母さんには、何も話さへん。

これをやったら、母さんに叩かれるのわかってるねんけどな。

でも、えぇねん。

言いたくないもんは、言いたくないねんから。

母さんには教えたれへん。

何も教えられへん。

僕を嫌ったバツや。

僕を傷つけてばっかりいるバツや。

僕の事なんか、何も教えたれへんからなー。

もう、いまさら、僕にごめん言うてもムリやで。

いっぱいいっぱい、ぼくを叩いたんは母さんやから。

理由を言わずに、僕をいっぱいいっぱい叩いたのは母さんやから。

僕を嫌ったのも、母さんやから。

僕から母さんを嫌いになったんやない。

母さんが僕を嫌ったから、僕も母さんを嫌いになったんやで。

母さんが僕を嫌いにならへんかったら、僕も母さんの事を嫌いになんてならへんかったんやで。

でも、もう手遅れやで・・・。

僕は母さんを嫌いになる事決めたから・・・。

なぁ、母さん・・・。

幼少期の僕は、母さんに対して、どんどんどんどん、心を閉ざしていきました。

ほんまは、愛してほしかったんですよね。

ほんまは、抱きしめてほしかったんですよね。

でも、それが叶えへんかった。

めっちゃ、寂しかったんですよね。

めっちゃ、悲しかったんですよね。

でも、この寂しさや哀しさを、自分で埋める事なんて出来へんかった。

だから、母さんを嫌いになる事でしか、自分の中でバランスを取る事が出来ませんでした。

今、あの頃の僕に会えるのなら、僕はあの頃の僕を思いきり抱きしめて、こういってあげたいです。

キミは嫌われてへんで、キミはたくさんの人に愛されてるんやでって。

●親子がすれ違う日々

僕は母さんに対して、言いたい事を言えなくなった、言わなくなった。

こうなっていった時から、会話もなくなって言ったんですね。

話す事が何もない。

言いたい事も何もない。

だから、会話が出来ない。

母さんから何か言われても、必要以上の事は言わない。

怒られても言わない。

この頃の僕は諦めていました。

言っても無駄だろうって。

どうせ受け入れてもらえない事に対して、話をしても嫌な思いをするのは僕だけ。

だから、言う必要なんてない。

きっと、母さんも文句が言いたいだけやろう。

せやから、母さんに言うだけムダ。

母さんに話をする気にはなれませんでした。

母さんが何か言いたそうな雰囲気を出すと、その場から離れる。

また、母さんに何か文句言われる。

めんどくさい。

早く逃げないとまた怒られる。

僕はそうやって、母さんと会話をする事をさけていきました。

この頃の親子関係を思うと、僕とお母さんはコミュニケーションをとる事が上手ではありませんでした。

むしろ、思ってない事を言いあって傷つけあう。

だから、コミュニケーションが取れなくなっていくのは当たり前ですよね。

でも、それがわからなかったんです。

母さんは、僕の気持ちをわかってくれない。

母さんは、僕を理解してくれない。

そして、母さんは、この子はなんで言う事を聞いてくれないんだろう?

どうして、私に反抗ばかりするんだろう?

このように思っていたそうです。

なので、お互いが自分の気持ちを分かってほしいと言う事ばかりで、相手の気持ちを直接聞いて理解しようと言うような事はしなかったんですね。

お互いが言いあうばかりじゃなく、話を聞き合う事が出来たら、ここまでこじれていく事はなかったんじゃないかと思います。

●母さんを嫌いになってから、気づけば自分も嫌いになっていた

僕は母さんなんて大嫌い。

母さんを絶対に許さない。

母さんなんて、僕の親じゃない。

親やのに、僕を嫌ってるし。

僕は母さんには愛されない。

どうせ僕は嫌われもん。

誰にも愛されない。

僕を必要とする人なんて、この世に誰もおらへん。

生んでくれた親にさえ、嫌われている僕やねんから。

僕が誰にも愛されるわけないやん。

誰にも必要とされるわけないやん。

僕はどんどんどんどん卑屈になっていきました。

そして、気づけば周りにも心を開けなくなっている自分がいました。

いつも友達に嫌われるのが怖かった。

いつも友達に捨てられるのが怖かった。

好きな人が出来ても、いつか嫌われるのが怖かった。

いつか捨てられるのが怖かった。

だから、僕は強がった。

僕を嫌いになるなら、最初から関わってくるな。

どうせ僕の事嫌いになるやろ。

せやったら、僕からあなたを嫌いになってあげるわ。

だから、僕に関わってくれるな。

僕は母さんとのやりとりと同じように、他の人に対しても同じ事をしていました。

本当は仲良くしたいのに、強がって突き放していきました。

そして、自分で突き放しているにも関わらず、僕はこう思っていました。

どうせ、僕は誰にも愛されないって。

どうせ、僕は捨てられるって。

一歩引いてみたらわかるような事でも、まさか、僕が母さん以外の人にも同じような事をしているなんて、渦中にいる間はわかりませんでした。

僕と母さんだけの問題だったはずが、気づいたら他の人と関わる時にも、影響が出ていました。

そして、僕はここに気づいた時に、親子関係と言うものは、人生に影響するもので、変えていく必要があるものだと確信した瞬間でもありました。

●父さんってどんな人?

父さんは優しい人。

父さんは気が小さい人。

父さんは怒りやすい人。

父さんは曲がった事が嫌な人。

父さんはウソをつくのが下手な人。

父さんは物事を真剣に取り組む人。

父さんは怠け癖がある人。

父さんは人が好きな人。

今、ここまで書いて、僕は父さんに似ているんだなって、改めて思います。

父さんと過ごした月日は小学校高学年まで。

でも、僕が物心ついてからの計算だとするなら、わずか数年しか暮らしていません。

あの時の父さんは、いつも苛立ってた。

すぐに怒って、母さんを殴っていた。

父さんが母さんを殴る音。

母さんが叫ぶ声。

母さんが僕達の名前を何度も呼びます。

だから、僕と妹は父さんと母さんがいる居間へ。

そこでは、母さんは父さんに柱に打ちつけられて、顔の色も変色して叫んでいます。

父さんは、母さんをおさえつけてわめき叫んでる。

僕は怖かった。

どうして、父さんと母さんって、好き同士で結婚したのに傷つけあうん?

どうして、暴力をふるいあうん?

なんで?

なんで?

僕と妹は喧嘩を止めようとします。

でも、小さい二人が大人を止められるわけがありません。

僕も妹も吹き飛ばされます。

そして、僕はこの時に思いました。

父さんを絶対に殺したるって。

こいつ、家族みんなを傷つけやがって。

いつか、僕が大人になったら、ぶち殺してやるから覚えとけ。

僕は怒りに打ち震えました。

そして、父さんをいつか殺せるような強い男になると誓いました。

●僕は弱い自分を責めてそれが暴力に変わった

父さんと母さんが喧嘩をするたび、僕は思っていました。

僕がもう少し大きかったら、喧嘩を止める事が出来るのに。

僕がもう少しチカラがあったら、喧嘩を止める事が出来るのに。

僕は子供だから出来ない。

悔しい。

早く大人になれたらいいのに。

僕はこのような事ばかり思っていました。

そして、自分の弱さをいつも責めていました。

強くなりたい。

強くなりたい。

それがいつしか、周りの人に暴力をふるうと言う形で、表れ始めたんですね。

僕は誰にも負けたらあかん。

だから、戦わないとあかん。

ここから、誰彼構わず、喧嘩をするようになりました。

どこでも誰とでも喧嘩をする。

負けようが勝とうが関係ない。

相手と戦わずに逃げるわけにはいかへん。

絶対に相手を叩きつぶすまでは・・・。

この頃の僕は、自分の事を、ただ喧嘩っ早いと思ってたんですね。

でも、本当は違ったんですよね。

僕は父さんと母さんの喧嘩を見て、母さんを守ろうと思った。

でも、僕は弱いから母さんを守る事が出来なかった。

だから、いつか強くなって、父さんをぶちころしてやる。

母さんを守る。

その為には強くならないといけない。

絶対に負けてはいけない。

このように思っていた気持ちが気づけば、他の人に対しても、同じような気持ちで接するようになってしまっていたんですね。

僕は喧嘩をしたいんじゃなくて、母さんを守りたいだけだったのに。

ここに気づいた時には、本当に後悔の気持ちでいっぱいになりました。

●妹が憎かった

いつも、妹の方が可愛がられていた。

いつも、妹の方が言い分が通っていた。

兄妹喧嘩になっても僕だけが怒られていた。

なんで?

なんで、僕だけいつも悪もんなん?

なんで、僕だけいつも責められるん?

兄弟喧嘩になっても、僕は手を出すのが嫌やから、妹に手を出さずに泣かされた。

すると、何を負けてるのと言われた。

そして、そうやって言われるのが悔しかったから、今度は妹に手を出して勝ったら、何を暴力振るってるのと怒られて叩かれた。

一体どういう事なん?

なんで、どっちにしても怒られないといけないの?

僕はどうしたらいいのかわかりませんでした。

そして、僕が何をしても、怒られる理由は妹にあると思いました。

だから、僕は妹を敵視するようになりました。

妹が、母さんに僕が怒られるきっかけを作りやがって。

許さへん。

絶対に許さへん。

そこから、兄妹喧嘩はひどくなっていきました。

最初の方は、妹の方が大きかったので、何度も泣かされました。

悔しい!

でも、僕は、妹に何度も何度も泣かされても思っていました。

いつか、こいつを倒したる。

そして、僕は成長と共に力もついていきました。

すると、いつも妹に負けてたはずの兄弟喧嘩で僕は勝ったんですね。

やった!

やっと勝った!

ここからは形勢逆転です。

今までやられてきた分、全部思い知らせたる!

僕は妹を完膚なきまでに制圧していきました。

僕に対して歯向かいやがって。

僕に恥をかかせやがって。

今までの恨みつらみを思い知れ!

そうやって、僕は妹を事あるごとに、泣かすようになりました。

また妹も負けじと歯向かってくるので喧嘩はひどいものでした。

そして、お互いが歳をとるほどに、妹との関係もより険悪になっていきました。

この兄弟喧嘩の初めは、両親からの愛情の欠乏だったんですね。

僕だけ愛されていない。

妹ばかり愛されている。

僕にも愛情をください。

この悲しい叫び声が、怒りとなって兄妹喧嘩に発展していったんですね。

僕はこの事に気づいた時に、涙が止まりませんでした。

嗚咽が止まらないほどに、涙を流しました。

そして、妹に謝罪をしました。

僕は妹が憎かったわけやなかった。

ただ、父さんや母さんからの愛情が欲しかった。

でも、妹ばかりが父さんや母さんの愛情を貰っているように感じたから悔しかってん。

だから、妹が憎かってん。

でも、ほんまは妹を責めるんじゃなく、父さんや母さんに言えば良かった。

僕も愛してやって。

この一言を、父さんや母さんに言えなかったばっかりに、妹を長年苦しめてほんまに悪かったって。

僕が妹にやってきた事は、謝っても謝っても許してもらえる事じゃない。

でも、それでも、謝らせてほしい。

ほんまにごめんって。

僕が両親に気持ちを言えなかった事で、妹を傷つけた事に対する後悔は今でも正直あります。

あの頃には戻れるなら、僕は兄弟喧嘩の仲裁に入って、自分自身に言ってあげたい。

妹は何も悪くないんやで。

父さんや母さんに愛してほしいんやったら、妹と喧嘩するんじゃなく父さんと母さんに直接言っておいでって。

そして、あの頃の妹には、こう言ってあげたいです。

傷つけてごめんね。

キミは何も悪くないから、のびのびとしてて大丈夫やでって。

今はお互いのわだかまりも取れて、普通に話をするようになりました。

たった一人の兄妹だからこそ、大切な妹です。

今は、妹が良い方向に進む事を僕は願っています。

●兄妹で父さんと母さんのマネをしてた

僕は兄妹喧嘩をしている中で、ひとつの事に気づきました。

それが、僕が父さん役で、妹が母さん役をして喧嘩をしている事。

妹は母さんが父さんを罵倒するように、僕に言ってきました。

僕は父さんが母さんに暴力をふるうように、妹に手をあげました。

まるで、父さんと母さんが喧嘩をしているかのように、兄妹喧嘩をしていたんですね。

夫婦喧嘩と兄妹喧嘩は全く同じでした。

これは、子供ながらに、父さんと母さんを通して、男女間の接し方を学んでいたんだなって思います。

そして、僕の中では矛盾や葛藤も生まれていました。

暴力をふるう自分と、暴力を嫌う自分。

暴力なんて振るったらあかんやろ!

暴力振るって当たり前やろ!

そうやって、僕の中のふたつの思いがいつも争っていたんですね。

そして、兄妹喧嘩をするたびに僕は怒られました。

暴力はあかん!

人を叩いたらあかん!

そらそうやんな。

暴力は人を傷つけるからあかんやんな。

でも、あかんと言ってる母さんは父さんと喧嘩をして暴力をふるいあう。

これは一体どういう事なん?

あかんって言ってるのに、なんで暴力をふるうん?

人が傷つく事を言ってはいけませんと母さんは言ってたのに、母さんはなんで父さんが嫌がる事を言うのん。

それも、父さんが怒るまで言い続ける。

僕はこの母さんの矛盾の行動がたまらなく嫌でした。

父さんが母さんに暴力をふるう事は許せなかった。

でも、母さんが父さんを罵倒する事も許せなかった。

なんで、傷つけあうん?

なんでなん?

好き同士で結婚したんやったら、大切にしあうもんちゃうん?

それやのに、罵倒したり暴力をふるったり、おかしいやん。

僕は父さんや母さんみたいにはなりたくない。

だから、僕は暴力を振るわない。

絶対に。

でも、僕はこう決めたにも関わらず、何かあれば暴力をふるっていたんですね。

男女関わらず。

そして、僕が暴力をふるう理由はいつも一緒でした。

僕をバカにしたから。

僕はバカにされる事が許せませんでした。

●家族で仲間外れになる事が辛かった

僕が暴力をふるう時。

戦わないと仲間外れにされると言う、恐怖心がいつもありました。

逃げたら仲間外れにされる。

だから、戦わないと。

逃げちゃダメだ。

戦って、絶対に勝たないとダメだ。

僕が暴力をふるう根底にあったのは、兄妹喧嘩の時に言われた言葉にありました。

妹と喧嘩になった時に僕は泣かされたら、何を泣かされているのと父さんに注意された。

なんで、暴力を振るわなかった僕が注意されて、暴力をふるった妹は何も言われないん?

僕はあの時、凄く悲しかったと同時に、凄く悔しかった。

そして、怖くもありました。

妹だけ擁護されて、僕だけ突き放されて。

どうやったら、僕を大切に思ってくれるの?

どうやったら、家族で仲間外れにされないの?

僕は悩みましたが、戦うことこそが、家族に仲間外れにされない方法だと思ったんですね。

暴力をふるう事が、戦う事から逃げない事が、家族から仲間外れにされない方法。

だから、そこから僕は、暴力的になりました。

少しでも気に入らない事を言われたら、喧嘩をしました。

戦う事から逃げない。

この事は、家庭の外でも行われました。

とにかく喧嘩をする。

負けようが勝とうが関係ない。

逃げたら負けだから。

逃げると言う事は、仲間外れにされると言う事だから。

だから、絶対に何があっても戦わなければいけない。

この頃の僕は、このように思っていました。

●暴力は愛情?

母さんは僕を殴った時。

あんたの事を思ってるから、叩いたんやでと言った。

僕が妹と喧嘩をしてた事を怒られて、母さんに叩かれた時。

あなたにちゃんとしてほしいから、叩いたんやでと言われた。

僕が母さんの気に入らない事をやった時。

母さんの言う事を聞かないから、叩いたんやでと言われた。

母さんが僕を叩く理由。

それは愛情。

そっか。

暴力は愛情なんや。

相手が僕の言う事を聞かない時に、殴る事って愛情なんや。

相手にちゃんとしてほしい時に、殴る事って愛情なんや。

相手の事を思って殴る事って、愛情なんや。

僕はこの事について、本当にそう思っていました。

そして、実行もしてました。

僕の気に入らない事をする子がいたら殴る。

ちゃんとしない子をみたら殴る。

僕はとにかく人を殴りました。

そして、それについて悪いという意識は全くありませんでした。

むしろ、間違っている事を正してあげていると言う気持ちにすらなっていました。

また、殴る事は愛情なんだから、この気持ちわかってほしいと思っていました。

でも、本当は殴る必要なんてないんですよね。

相手と話をして、コミュニケーションをとればいいだけの事。

それが、僕にはわかりませんでした。

でも、僕にも転機がやってきました。

それが、僕が暴力をふるうような状況がずっとやってくる。

いつも、僕を怒らせる人がいる。

その人と離れても、また別の人が僕を怒らせにやってくる。

それもずっと。

最初は、僕は相手が悪いとずっと思っていましたが、さすがに何度も同じような状況になるので、さすがにこれはおかしいと思ったんですね。

そこで、僕は色々な本を読むようになりました。

どんな事が書いてあるんだろう?

すると、本にはあなたに原因があると書かれていました。

でも、僕には相手が悪いと言う思いと、僕は正しい事をやっていると言う思いがあったので、最初はその言葉の意味が理解出来ませんでした。

なんで、僕が暴力をふるってしまう状況がくるんだろう?

なんで、いつも僕を怒らせる人がいるんだろう?

どうして?

僕に原因があるってどういう事?

僕が悪いって事?

僕はなかなか理解をする事が出来なかったけど、ある時に、このフレーズに頭を撃ち抜かれた気持ちになりました。

それが、自分がうまくいっていない原因は両親との関係にある。

この言葉を読んだ時に、倒れそうなくらいの衝撃と怒りがこみあげてきました。

くそ!

お父さんと母さんのせいで、僕の人生がうまくいっていなかったなんて!

腹立つ!

確かに、僕が子供の頃、常に暴力をふるっていたのは、父さんと母さんやった。

父さんと母さんが、僕に暴力を見せなければ、僕も暴力をふるう事はなかった。

全部、父さんと母さんが悪かったんや!

もう、今すぐにも爆発しそうなくらいの怒りが生まれました。

父さんと母さんを今すぐにでも謝らせたい。

許せない。

でも、そこからも色々な事を学んでいるうちに、僕は思ったんですね。

いつも人のせいにばかりしてる事に。

僕は、暴力をふるっている時は、相手が悪いといつも言っていた。

僕が暴力をふるうようになった原因が親との関係にあるとわかった時には、親のせいにした。

でも、それじゃ、僕は変われないんじゃないか?

僕は本当に変わりたい!

そう思った時に、自分に原因があると言う言葉を思い出したんですね。

僕の中に原因があったのか。

じゃあ、僕の中から原因を見つけないといけない。

僕の自分探しの旅が始まった瞬間でもありました。

●暴力はガマンから生まれていた

僕は暴力をふるった時に、いつも言われていた言葉があります。

それが、ガマンが足りないから、暴力をふるってしまうと言う事。

僕はガマンが足りないから暴力をふるってしまうんだ。

もっと、ガマンをしないと。

僕はそうやって、今まで以上にガマンをしようとするのですが、ガマンの限界を超えると暴力をふるってしまう。

そして、周りからはガマンが足りないから暴力をふるうんだと言われる。

僕は更にガマンをする。

でも、ガマンの限界を超えたら、暴力をふるってしまう。

どうやったら、暴力をふるわなくなるの?

どうやったら、人を傷つけなくなるの?

僕は暴力をふるいたくない。

でも、ガマンの限界を超えると、暴力をふるってしまう。

ずっと、ガマンをするのは、どうしたらいいんだ?

どうしたら・・・。

僕はこの事について真剣に悩んでいる時に、この言葉に出会いました。

それが、暴力をふるう人はガマンをしすぎるから暴力をふるってしまう。

僕は最初、この言葉を読んだ時に、何を書いているのか理解が出来なかったのと同時に、このような考え方がある事に、雷に打たれたような気持ちになりました。

僕はこの言葉の続きを読んでみた。

普通ならガマンをしない事でもガマンをしようとしてしまう。

そして、怒りが蓄積されていく。

怒りが蓄積されても、それでも、ガマンをして怒りを吐きだす事をしないから、どんどん怒りが溜まっていく。

最終的には、ガマンの限界を超えて爆発する。

でも、怒りの種が小さいうちに吐き出していくと、ガマンの限界を超える事が無くなる。

だから、少しでも嫌な事があったら、言葉に出して言う事が、ガマンの限界を超えない方法。

僕はそんな事は出来ない。

そんな事をしたら、余計に人を傷つけてしまう。

だから、ガマンをした方がいいと思いました。

でも、今までうまくいっていない方法にしがみついても、うまくいくはずがない。

そしたら、勇気を持って別の事をしてみよう。

そうやって、少しでも僕にとって嫌な事があったら言うようにしました。

すると、不思議な事に怒る事も自然と減って言ったんですね。

そして、嫌な事を言う人がいたら、いつも喧嘩をする姿勢でいたけど、嫌な事を言う人には近づかない。

僕を不愉快になるような事が起きそうなら帰る。

そうやって、出来るようになっていったんですね。

ガマンをしなくなると、目の前にあれだけあった暴力が無くなった。

嫌な事を言う人がいなくなった。

嫌な事を言う人が気にならなくなった。

そうやって変わっていく事が出来たんですね。

ガマンをしていた自分をやめたら、現実が変わった。

暴力を正当化したり、否定している間には見えなかった出口が、自分の中にあった事に気づいた瞬間でした。

●自己責任から自己肯定感を取り戻した

目の前の問題は、自分に責任がある。

最初、僕はこの言葉を聞いた時は、腹が立ちました。

なんで、僕が悪いねん!

僕、何も悪い事してないやん!

なんで、責められないとあかんねん!

そうやって、僕は凄く怒りました。

この頃の僕は、自己責任とは、自分が悪いと言う意味と勘違いをしていたんですね。

だから、自己責任と言う言葉を聞くたびに、自分を責められている気分になって、腹が立っていました。

でも、自己責任と言う言葉を調べていくうちに、自分を責めると言う事ではなかったんですね。

自己責任とは、自分の人生の選択を自分ですると言う事。

例えば、誰かに何かを言われて、腹が立った時。

その怒りは、他人の中にあるのではなく、自分の中にあるんですね。

だから、その怒りを他人の中で探して、解決をしようと思っても出来ません。

例えば、母さんが僕に嫌みを言ってきた。

そして、僕はすごく腹が立った。

だから、僕は母さんに何でひどい事を言うのと、母さんを責めた。

これは、自己責任でしょうか?

自己責任ではないですよね。

確かに、ここで僕に嫌みを言ったのは母さんですが、怒っているのは僕です。

そして、その怒りを持っているのは、僕なんです。

だから、母さんに怒りの責任をとってもらおうと思っても無理なんです。

自分の中に怒りがあるから、それを解消するのは、他の誰でもない自分自身なんです。

そして、それこそが自己責任と言う事なんですね。

自分で、自分の感情に責任を持って解消させる。

その為にどうすればいいか?

自分で感じてみる。

それがこの場合だと、母さんと話をする事も解決のひとつです。

自分がどうして、その言葉に怒りを感じたのか、見つけるのも解決のひとつです。

解決方法と言うのは、自分の中にあって、外側にあるのは常にヒントなんですね。

自分の問題の解決と言う目で見れば、母さんが僕を怒らせるような事を言った事が、ヒントなんです。

そして、その事により、自分の中でどうして怒ったのかを見つけるきっかけになった。

ここを、母さんが悪い。

だから、母さんが僕をこんな嫌な気持ちにさせた。

許せない!

ここで居続ける間は、解決は難しいですよね。

また、嫌な事を言われたから、無視をする。

徹底的に無視をする。

これでは、自分の嫌な感情に一時的に触れなく出来るので、解決したように勘違いしますが、本当の意味では解決にはなりません。

結局は、自分の中に原因を見つけ、解消していく事が解決になるんですね。

だから、自分の目の前に起きる事だけを変えても何も変わらない場合は、自分の中を見つめて変えていく事も大事なんですよね。

そして、ひとつひとつ解決されていく事で、自分に自信を取り戻すきっかけにもなっていきます。

自己責任とは、自分が悪いという意味ではありません。

目の前に起きる問題によって、自分の中に起きる感情を、自分で解消する事が出来る。

そういう事です。

●母さんと本音で話し合った

僕は自分の問題にぶつかった時に、家庭環境の問題に気づきました。

この時に、僕が気づいた事はこういう事でした。

父さんと母さんは、僕の気持ちを尊重せずに勝手に別れた。

父さんが母さんの悪口を僕に聞かせた。

母さんが父さんの悪口を僕に聞かせた。

父さんと突然会えなくなった。

僕は寂しかった。

僕は悲しかった。

でも、この気持ち伝えたら、母さんは悲しむんじゃないかと思って言えなかった。

母さんに嫌われるんじゃないかと思って言えなかった。

僕は、母さんに気を使って言いたい事を言えなかった。

だから、この事に対して僕の思いは、ずっと解消されずにいたんですね。

僕はこの気持ちを解消したい。

そう思ったから、母さんと話をする事を決めました。

でも、母さんはちゃんと話し合いに応じてくれるだろうか?

僕には、このような不安がありました。

だけど、母さんに言わないままだと、いつまでも解決されない。

だから、母さんとちゃんと話をしよう。

そう思って母さんに話をしようと連絡をいれました。

そして、母さんに会って話をしました。

僕は母さんに、僕が今から言う事は、母さんを責めたいんじゃない。

ただ、僕があの時に思っていた事を最後まで聞いてほしい。

ただ、それだけやから、母さんを傷つけようと思ってたり、文句を言ったろうと言う気持ちはないから、ただ聞いてほしい。

そう言って、僕は話を始めました。

母さん。

僕は母さんと父さんが離婚した時。

ほんまは離婚してほしくなかってん。

ほんで、父さんと会えなくなるって言うのも嫌やってん。

僕の気持ちは聞いてもらえずに、勝手に別居や引っ越しする事もほんまは嫌やってん。

でも、母さんには、よう言えへんかった。

母さんに叩かれる事もつらかった。

理由もわからずに、殴られる事が怖かった。

ほんまは、僕は大切にしてほしかった。

ほんまは、僕は寂しかってん。

ほんまは、僕は悲しかってん。

そうやって、母さんに話をしている最中に母さんは言いました。

あの時、あんたは言う事聞かない子やったからなー。

あの時は大変やったわ。

このように母さんは、僕の話をそらそうとしました。

だから、僕は言いました。

母さん。

僕は母さんを責めてるんじゃないねん。

ただ、気持ちを聞いてほしいだけやねん。

でも、この後は話し合いは進まずに、途中で終わりました。

僕は、この時に、母さんは何で話を聞いてくれへんねやろうと腹が立ちました。

でも、それと同時に、母さんも辛かったんだなと言う事はわかりました。

なので、また話をしようと決めて、その後、何度も話し合いをしました。

すると、母さんも自分が責められていたわけじゃないと言う事に気づいて、話を聞いてくれました。

そして、僕が話し終えた時に、母さんは語り始めました。

私はあなたに嫌われてると思ってた。

私は子供達の為に一生懸命がんばってきたのに、なんで嫌われないとあかんねやろうと思ってた。

あなたが高校の卒業式に呼んでくれなかった時、悲しかった。

私は子供の為に何も出来なかったんじゃないかと、自分を責めた。

私があなたを叩いていた事も、あなたが憎かったわけじゃない。

ちゃんと、一人前に育てたかった。

だから、私はちゃんとしてほしかったのに、ちゃんとしてくれないように感じた、あなたを叩いてしまってた。

私はあなたが一人前に育ってほしかっただけで、叩きたかったわけじゃないねん。

あの時の私は気持ちに余裕も無かった。

だから、子供達には、ほんまに寂しい思いをさせたと思ってる。

ごめん。

今日、あなたと話が出来た事によって、私が勘違いしていたという事に気づけた。

私はずっとあなたに嫌われてると思ってたから、勘違いで良かった。

つらい思いさせてごめんね。

そして、あなたがそんなに父さんの事を思ってるのも知らんかった。

あなたが父さんに会いたいんやったら、私が探したるから、父さんに会いに行っといで。

話し合いは思い通りに進まずに、何度も話し合いを重ねて、時間はかかりましたが、母さんと僕と言いたい事を言った事によって、自分の中にあったわだかまりを解いた瞬間でした。

●父さんに連絡がつかない

母さんに父さんに会いたいと言う気持ちを伝えてから、母さんは父さんを探してくれました。

母さんがたくさんの人達に連絡をして、父さんがどこにいるのかを見つけてくれました。

父さんの電話番号もわかりました。

でも、父さんとの連絡はなかなかつきませんでした。

何度も何度も電話をしたけど、繋がりませんでした。

父さんに会いたい。

でも、連絡がつかない。

すぐには行ける距離じゃないし。

でも、父さんに会いたい。

僕は、父さんに会いたいと思いながらも、一歩踏み出せない気持ちもありました。

父さんに会いたいけど、父さんを許せていない、僕もいる。

父さんに会いたかったのに、会いに来てくれなかった。

父さんは、僕達捨てていった。

ほんまは、父さんから会いに来るべきじゃないやろうか?

ほんまは、父さんから僕に謝ってこなあかん事やないやろうか?

僕の中にこのような気持ちがありました。

そして、この時は、父さんに定期的に電話をしながらも、繋がらない日々が続きました。

●父さんに会いにいこうと決めた

父さんに連絡を入れながらも、繋がらない日々が何年も続きました。

どうして繋がらないんだろう?

父さんに嫌われているから?

父さんに捨てられた子だから?

何で電話をとってくれないんだろう?

僕はこの事について色々思っていました。

でも、父さんの気持ちを想像は出来ても、真実は父さんに聞かないとわからない。

どうやったら、父さんに会えるんだろう?

僕には、父さんが電話に出ない理由がわからない。

どうすればいいんだろう・・・。

そうやって、思っていた時にフッとこんな事を思ったんですね。

もしかしたら、僕が父さんと会う事を、心の底からちゃんと決めてないから、父さんと会えないんじゃないか?

よし!

もう決めた!

不安は色々あるけど、僕は父さんと会う!

そうやって決めて、父さんに電話をしたら、電話が繋がったんですね。

でも、電話に出たのは女性でした。

あれ?

僕は電話をかけ間違えたんかな?

そう思っていると、その女性はちょっと待ってねと言って、電話をかわりました。

電話に出たのは、父さんでした。

僕は動揺しながらも話しました。

父さん、お久しぶりです。

お元気でしたか?

父さんは元気やでと言いました。

そこから、色々な話をしました。

そして、僕は、父さんのあの頃の気持ちを聞きたいから、父さんに会いたいと言いました。

すると、父さんも会いに来るなら待っているよと言ってくれました。

僕は父さんに会いに行けるように、飛行機のチケットの手配などをして、準備しました。

●父さんに怒りを感じた

僕は、父さんに会いに行く当日の朝、お風呂に入っていました。

そして、20年ぶりに会う父さんとちゃんと話が出来るだろうかと考えていました。

すると、僕の中になぜか怒りがこみ上げてきました。

そもそも、なんで僕から会いに行かなあかんねん。

父さんから会いに来るのが当たり前やろ。

なんで、僕から歩み寄らなあかんねん。

子供の僕が歩み寄るより、親である父さんから歩み寄ってくるんが普通ちゃうんか?

そうやって、色々な思いが駆け巡ってきて、僕はどんどん腹が立ってきたんですね。

なんで、僕から歩み寄らないといけない!

腹が立つ!

めちゃくちゃ腹が立つ!

今まで、自分が感じた事がないくらいに、自分が怒っている事に動揺しました。

どうしよう?

このまま、父さんに会いに行ったら、父さんを殺してしまうかもしれへん。

そのくらい腹が立つ。

このまま会いに行って大丈夫やろうか?

そうやって、不安になっている時に、フッとこんな言葉が自分の中から聞こえてきました。

それだけ、父さんに対して怒っていると言う事は、父さんの事をそれだけ大好きやったと言う事や。

僕はこの言葉が聞こえた時に我に返りました。

そして、自分の気持ちを振り返ってみました。

僕はほんまは父さんに会いたかった。

僕はほんまは父さんに大切にしてほしかった。

僕はほんまは父さんに大切やと言葉で言ってほしかった。

でも、僕の気持ちは全て叶えられなかった。

だから、僕は拗ねてたんや。

そら、何十年も父さんに無視されたと思って生きてきたから辛かったよな。

僕が怒る気持ちもわかるわ。

そうやって、自分の気持ちを認めたら、怒りは静かに消えていったんですね。

そして、僕は思いました。

これだけ、父さんの事を、僕は思ってたんや。

僕は今まで、自分の気持ちを押し殺してたから気づかんかったけど、ほんまは父さんの事大好きやったんや。

早く会いたいな、父さんに。

そうやって、僕の気持ちは怒りから、父さんへの愛情へと変わっていきました。

●父さんに会って話をした

僕は飛行機に乗って、父さんに会いに行きました。

飛行機の中では、父さんに何を聞こう?

どんな気持ちだったんだろう?

そして、そのような事を考えていると、飛行機は目的地に着きました。

久しぶりに会う父さん。

どんな感じになっているんだろう?

僕は飛行機が到着して、出口に向かうと、そこに父さんと父さんの奥さんがいました。

僕は父さんに会って声をかけました。

父さん、お久しぶりです。

すると、父さんから返ってきた言葉はこうでした。

久しぶりすぎて、顔もわからんかったわ。

僕はこの言葉を聞いた時に、不思議と腹が立ったりは無く、父さんは素直に表現出来ない人なんだなって思いました。

そして、父さんの車に乗り込んで家まで向かいました。

僕は、車の中で父さんに、今までどんな気持ちだったのと聞いたら、せきを切ったように話し始めました。

俺は子供を引き取ろうとしたけど、それをお前の母親は許さなかった。

お前の母親は、俺だけが悪いと子供に言い聞かせて、お前たちが良いなりになるようにしていた。

俺だけが悪かったわけじゃない!

お前の母親も俺を裏切った!

父さんは凄い勢いで怒りだしました。

でも、僕は黙ってその言葉を聞き続けました。

そして、父さんの気が済むまで話を聞き続けて、父さんの話が終わった時に、僕はこう言いました。

父さん。

父さんも辛かってんな。

僕は父さんの言葉を聞くまで、父さんの気持ちもわからなかったし、今聞いて、初めて知った。

今、僕は父さんの気持ちもわかったし、もう母さんを責めたり、自分を責めるのをやめてもいいんやないかな?

僕が父さんにそう伝えると、父さんは黙って聞いてくれていました。

そして、父さんの家についてから、僕は自分の気持ちを伝えました。

●僕は父さんに捨てられたと思ってた

僕は父さんと母さんが離婚した時。

ほんまは悲しかってん。

ほんまは離婚なんてしてほしくなかった。

でも、父さんと母さんが決めた事やからって、無理矢理納得しようとしたけど、ほんまは、嫌やった。

僕の気持ちを無視された気にもなったし、凄く腹も立った。

父さんと母さんが離婚をするという時に、いとこのおばちゃんに、あなたはどっちについていくのと聞かれて、僕はよくわからないまま、母さんやと思うと答えた。

そしたら、おばちゃんは、あなたは父さんを裏切った裏切り者やから、父さんもいとこもあんたを嫌いやって言うてるから、二度と敷居をまたがないでと言われてん。

だから、僕は父さんにも、いとこにも会う事をやめたし避けた。

裏切り者の僕が、父さんやいとこに嫌われて当たり前。

僕はおばちゃんに二度と敷居をまたいではいけないと言われて、それで納得したから、敷居はまたいではいけないと、ずっと思ってきた。

僕はほんまは、いとこと仲良くしたかったし、父さんにも会いたかった。

でも、おばちゃんに言われた事は、かなりきつかった。

僕はこの事を父さんに話している時に、父さんは怒りながらこう言いました。

俺はそんな事は言っていない!

俺が子供を嫌う理由なんてないやないか!

なんで、俺のおらんとこで、勝手な話になってるねん!

僕は、父さんの様子を見て初めて、おばちゃんが勝手に言った事だったんだって思いました。

そして、僕は父さんに聞きました。

僕は父さんと会えなくてさみしかったんやで。

俺も寂しかったよ!

僕は父さんに会いたかったんやで。

俺も会いたかったよ。

僕は父さんと会えずに悲しかったんやで。

俺も悲しかったよ。

僕は父さんと会話を重ねていくうちに、気持ちは同じだったんだなって思いました。

父さんに聞かなかったら、わからなかった思い。

僕は父さんと話が出来た事によって、たくさんの誤解を解く事が出来ました。

そして、僕はこの事を通じて、僕が今まで思っていた父さんは父さんじゃなかった事を知りました。

僕を捨てた父さん。

僕を嫌いな父さん。

僕を傷つけた父さん。

これは全て、過去に色々な人に聞かされて、自分の中で作り上げた偽物の父さんで、ほんまの父さんは目の前にいました。

僕の目の前にいる父さんは、気が小さくて、傷つきやすくて、優しくて、繊細で、まじめでした。

そして、父さんと実際に会って話をして、僕が長年父さんとはこういう人だと思っていたものを手放した瞬間でもありました。

●父さんの奥さんが優しかった

僕が父さんにずっと電話をしていたのに、父さんはとってくれなかった。

父さんの奥さんは、どうしてとらないの?

自分の息子から電話がなっているのに、どうしてとらないの?といつも父さんに言ってくれていたそうです。

そして、父さんに僕が何年も電話をしていたある日。

いつまでも電話を取らない父さんを見て、奥さんが痺れを切らして、父さんの電話をとったんですね。

自分の息子が電話してきてるんやから、電話くらい出てあげてや!

そうやって、自分の息子の事のように思い、父さんの奥さんは電話を繋いでくれました。

父さんと会うとなった日も、父さんの家についてから、とても豪華な手料理を用意してくれていました。

あなたが来るって聞いたから、今日はステーキにしたんやで。

今日、うちのニワトリの卵が朝一番に生んだ卵があるから、あなたが食べなさい。

そうやって、父さんの奥さんは、見ず知らずの僕に優しくしてくれる事に、僕はとても感動しました。

もし、父さんの奥さんが、僕を快く迎えてくれる人じゃなかったら、僕は父さんと会う事はもう少し先になっていたかも知れません。

そう考えると、父さんの奥さんが僕の電話を取ってくれたから、父さんと僕は会えたわけで、母さんが父さんの連絡先を調べてくれなかったら、父さんに連絡をする事も出来なかった。

僕と父さんだけでは、連絡を取る事も会う事も出なかったと思う。

だから、父さんと会えた時に、母さんにも父さんの奥さんにもとても感謝をしました。

●父さんと母さんも一生懸命だった

僕は、父さんと母さんと話をして本当に良かったです。

もちろん、僕にとって嬉しい話ばかりではありませんでした。

聞きたくないような話もありました。

でも、父さんと母さんと話をしてみて、僕が子供の頃に思っていた両親とは違った事。

父さんも母さんも、葛藤しながら頑張ってくれてた、普通の人だったんだなって。

僕は父さんと母さんを完璧な人だとずっと思ってたので、普通の人だとわかった時に安心したと同時に、許す事も出来ました。

父さんだって、母さんだって、完璧じゃなった。

でも、一生懸命に僕の事を育ててくれていた。

父さんも母さんも、親の初心者だった。

どうやって子供を育てていいのかわからなかったと思う。

そう考えると、僕をここまで大きく育てる事ってすごく大変だったと思うし、育ててもらって有難いし、本当に感謝の気持ちでいっぱいになりました。

僕は、父さんと母さんが僕を生んだ歳になって、僕は自分が完璧じゃない事に気づいた。

そして、まだまだたくさんの葛藤の中で生きていた。

そんな中で、子育てをしてきた事って、すごい事だと思う。

今でも、僕に子育て出来るのかなと言う不安もあるし、その不安を乗り越えてやってきた、父さんと母さんはやっぱり偉大だなって思う。

●家族みんな傷ついていた

僕は父さんと母さんが離婚した時、自分だけが辛いと思ってた。

でも、父さんと母さんの話を聞いて、父さんも母さんも離婚をする時、辛かったんやなと思った。

悲しかったんやなと思った。

父さんも母さんも、どうしていいのかわからず、葛藤で一杯やったと思う。

それでも、自分達で決断して進んだ。

辛かったのは、僕だけじゃなかった。

みんな辛かった。

僕は、自分の事だけを考えている時にはわからなかった事だけど、父さんも母さんも妹も傷ついていた。

でも、物事は進んでいるからこそ、前に進むしかなかった。

あの時に、自分の中にある感情と向き合わずにここまで来たから、家族間のコミュニケーションもうまくとれなかったんだなと思った。

みんな、苦しかったんやなって思った。

あの時、寂しいって言ってれば。

あの時、悲しいって言ってれば。

あの時、やめてほしいって言ってれば。

あの時、かまってほしいって言ってれば。

流れはきっと変わったと思う。

でも、全ては終わった事。

だから今、ここから出来る事って言うのは、自分の気持ちに素直になる事。

嫌な事は嫌。

嬉しい事は嬉しい。

そうやって、素直に気持ちを伝えられる事が、家族間のコミュニケーションをとる方法です。

●僕は自分自身を取り戻していった

僕は父さんと母さんと話をして、それで感じた事は、自分を認めても良いだって事。

今まではどこかで、自分が必要の無い人間だと思ってた。

自分は邪魔な存在だと思ってた。

自分なんて生きている価値が無いと思ってた。

でも、父さんと母さんと何度も向き合って話をした事により、自分を否定されていたわけじゃない事に気づいた。

あの時、自分自身を否定された風に思えた言葉や態度には、全て別の意味があった。

例えば、母さんが僕を殴っていた理由は、僕を嫌いと言う理由じゃなかった。

ちゃんと、子供達を育てたい。

でも、思い通りにならない。

そんな母さんの中での葛藤が、僕を殴ると言う事になっていただけ。

父さんが母さんを殴っていた理由も、同じようなものでした。

ちゃんと、子供達を育てたい。

でも、ちゃんと母さんが子育てをしているようには見えなかった。

だから、夫婦喧嘩になった。

僕の事を嫌いだから、父さんと母さんが喧嘩をしたわけじゃなかった。

思い通りにならない事がはがゆくて、喧嘩をしたり、暴力をふるっていた。

僕はこの事を知った時に、こんな理由やったんかと腹は立ちましたが、自分を否定されていたわけじゃなかったんだなって思えました。

父さんも母さんも、思い通りにならない夫婦生活や子育てに、葛藤をしてて辛かったんだなって。

父さんも母さんも僕を傷つける事を考えていたんじゃなくて、僕をちゃんと育てる事を考えていた。

僕はこの言葉を聞いて、僕は生きていて良かったんだって、初めて自分の中で許可が出た瞬間でした。

●僕は生まれた時の事を思い出した

僕は、自分自身が父さんと母さんと和解したら、自分が生まれた時の事を思い出すと言う話を聞いた事がありました。

でも、その当時は嘘だと思ってました。

そんな事があるわけない。

生まれた時の記憶なんて思いだせるわけがない。

僕はそう思っていたのですが、母さんと父さんと和解をする為に向き合う日々の中で、それはある日突然起こりました。

僕は自分の家でボーっとしていました。

そして、家族の和解について考えていました。どうやったら、母さんとうまく話が出来るんやろう?

どうやったら、父さんと会えるんやろう?

どうやったら。どうやったら・・・。

僕はそんな事を考えながらウトウトとしてしまいました。すると、僕は病院の中にいる夢を見たんですね。

僕の目の前には、父さんやいとこやおばちゃんが笑っている顔がありました。

そして、周りを見渡したら、僕は母さんの腕の中に抱かれてました。

母さんも嬉しそうでした。

あれ?

これって、まさか僕の生まれた時の事?

僕は目が覚めた瞬間、一杯泣きました。

こんなに嬉しくて、涙が止まらずに泣いたのは初めてでした。

父さんも母さんもみんな、僕が生まれた事を喜んでくれていたんだ。

僕は祝福されて生まれてきたんだ。

知らなかった。

僕が生まれた時なんて、誰も喜んでいないと思ってた。

誰も笑顔で迎えてくれているわけがないと思ってた。

でも、そうじゃなかった。

みんな、僕が生まれる事を心待ちにしてくれていたんだ。

僕は、本当に嬉しかった。

そして、僕は夢の中で見た景色や、その事を母さんに伝えたら、その通りだと言ってました。

僕の中で、子供の頃の記憶って消えたわけじゃなかったんや。

自分の中の奥深くに沈んでいるだけで、ちゃんとあったんや。

僕は愛されていたんだ。

僕が生まれるのを楽しみにしてくれていたんだ。

みんな、喜んでくれていたんだ。

僕は生まれてきた事を、みんなに祝福されていた事に気づいて、もう自分を否定するのはやめて、自分を認めようと決めました。

●僕は母さんにハグをした

僕は母さんと仲直りをしようと決めた時に、ひとつやろうと思っていた事がありました。

それが、母さんとハグです。

僕は色々な本を読んでいた中で、母さんとハグをしようと書いていて、そんな事は出来ないと思っていました。

出来ないと言うか、むしろやりたくない。

母さんとハグなんて恥ずかしい。

でも、僕はどうして母さんとハグをする事が恥ずかしいのか考えたんですね。

好きな人とだったらハグをしたいのに、母さんの事は嫌いだからハグをしたくないんかな?

そうやって考えていた時に、僕は気づいたんですね。

母さんが好きすぎてハグが出来ない事に。

僕はここに気づいた時に、凄く恥ずかしくなりましたが、でも母さんと向き合うと決めた以上、母さんにハグをやってみよう。

そして、僕は母さんに電話をしました。

今から話があるから、僕の家まで来てほしい。

そうやって、母さんを僕の家に呼んで来てもらいました。

僕は母さんと話をしている間、ハグの事でいっぱいで話が耳に入ってこないほどでした。

母さんを目の前にすると、ハグなんて恥ずかしい。

僕は平然をよそおって、母さんと色々と話をしていました。

そして、母さんが帰る時間になって、玄関まで送っていきました。

あぁ、僕はどのタイミングでハグをしたら良かったんだ。

そうやって思いながら母さんが玄関を出ていくのを見送っていた時に、僕は今しかないと思って母さんの手を引き、母さんにハグをしました。

そして、僕は母さんの子供で良かったありがとうと伝えました。

母さんはとても嬉しそうな表情で帰っていきました。

僕は母さんとハグをして、親のハグって照れくさくてあったかいものだったんだなって思いました。

●父さんと一緒にお風呂に入った

僕は父さんと久しぶりに会う時に決めていた事は、一緒にお風呂に入ると言う事でした。

僕の中で、父さんと一緒にお風呂に入ると言う事は、心を許す事であり、裸の付き合いで今までの事を水に流すと言う意味もありました。

そして、父さんと久しぶりに会った時に、父さんの友人が久しぶりに息子に会ってるんだからと別荘を貸してくれました。

その別荘は海を見渡せる大きなお風呂があって、そこで父さんが先にお風呂に入っていました。

僕は父さんと一緒にお風呂に入ろうと決めていたので、僕もお風呂に入りました。

そこで、久しぶりに親子でお風呂に入りました。

お風呂では、父さんと昔の話を色々としました。

父さんが何を思っていたのか。

僕が何を思っていたのか。

お風呂で話をしていると、自然と嫌な事も水に流すように聞く事が出来ました。

僕は父さんに嫌われていると思ってた時には、とてもじゃないけど父さんと一緒にお風呂に入るという事は出来なかったです。

心を許す事も難しかったです。

でも、僕の中で父さんの過去の気持ちを知りたい。

そう思った時から、父さんを許すと言う思いが始まっていたんだなって思いました。

●和解は一回だけじゃ終わらない(前編)

僕は父さんと母さんと和解をして、色々な事を知り、色々な事を話して、これでやっと家族は仲良くなれると思っていました。

そして、僕自身も自分を認める事が出来て、これからは幸せいっぱいで生きていく事が出来る。

そう思っていました。

しかし、現実はそうではなかったです。

母さんと話をして許したと思った次の日に、急に腹が立ってきたり、父さんに怒りを覚えたり。

もう、済んだと思ったのにどうしてこんな気持ちになるんやろう?

僕はここを考えた時にこのように思いました。

僕が何十年も抱えてきたこの気持ちをたった一回だけで終わらせるわけない。

だからこそ、何度も湧き上がってくる感情と向き合って、父さんと母さんと話をする。

これを繰り返す事によって、自分の心のわだかまりも解けて、父さんや母さんとも和解出来る。

そして、何度も父さんや母さんと話をするほどに気づいた事。

親子でも、お互いの気持ちをよくわかっていない。

お互いが、今までどんな経験をしてきたのか知らない。

母さんとは、ずっと一緒にいたから知っているんじゃないかと思った事でも、全く知らなかった。

父さんが当時やっていた事を、僕は知っていると思っていたけど、実際に父さんと話をしてみると全然知らなかった。

僕は、自分の記憶や思いが正しいと思っていただけに驚きました。

そして、それと同時に、父さんと母さんと話をしてみないとわからないんだなって思いました。

自分の気持ちのわだかまりが一度では終わらなかったからこそ、何度も父さんと母さんと話をして、それで父さんと母さんの事を知る事が出来た。

僕の中には今でも、父さんと母さんに対して、わだかまりがあります。

しかし、それは今までのように怒りに変えるのではなく、父さんと母さんと向き合うきっかけにする。

そしてまたひとつ、父さんと母さんの事を知っていく。

僕が思っている事だけが全て正しいわけじゃない事に気づき、父さんと母さんの言葉を耳を傾ける。

すると、僕が思っていたあの頃の父さんと母さんとは違う、別の父さんと母さんが見えてくる。

そして、それを知る事によって、僕の中の過去の父さんと母さんと言う姿が変わっていく。

僕達を育てる為に、頑張って仕事をしていた父さん。

僕達を育てる為に、一生懸命にやってくれていた母さん。

僕の中にいた過去の父さんと母さんは、僕を捨てて、僕を傷つけるだけの人だった。

でも、真実は違った。

確かに、僕の視点から見た、あの頃の父さんや母さんは暴力や喧嘩が絶えない夫婦だったかもしれない。

でも、父さんも母さんも、僕を傷つけようとしていたわけじゃなかった。

父さんも母さんも僕を捨てたわけじゃなかった。

もちろん、父さんは母さんを傷つけたいわけじゃなかった。

母さんも父さんを傷つけたいわけじゃなかった。

ただ、父さんも母さんも、自分の中で思い通りにならない事が多すぎて、結果的に傷つけあってしまっただけ。

最初から、父さんと母さんは傷つけあおうと思ってたわけでも無かった。

一緒に家庭を守る為に、一生懸命だった。

●和解は一回だけじゃ終わらない(中編)

しかし、父さんの理想と母さんの理想が違った。

父さんは僕をスポーツが出来る子に育てたかった。

母さんは僕を勉強が出来る子に育てたかった。

だから僕は、保育所の時に英語を習い、野球も習った。

でも、父さんと母さんは育て方の違いで喧嘩をしてた。

あの時は、このような事で喧嘩になるたびに、僕がいるから父さんと母さんは喧嘩になっているんだ。

僕なんていない方が良いんだと思ってたけど、今思うと、それだけ父さんと母さんに僕は愛されていたんだなって思えた。

子供の頃の僕の勘違いが、父さんと母さんと話をする機会を僕から奪った。

でも、後悔しても時間は戻らない。

だからこそ、今はひとつでも思い出を作る為に、父さんと母さんと積極的に話をしている。

あの頃の僕は、父さんと母さんと話をして、怒られたり、喧嘩になる事を怖れていたけど、今は父さんと母さんに怒られても、喧嘩になっても怖くない。

父さんと母さんに傷つくような事を言われてもかまわない。

もし、父さんや母さんが、僕に傷つくような事を言っても、僕を否定したり、僕を嫌いだから言っているわけじゃない事に気づいたから。

僕は父さんと母さんに愛されている。

そこに気づいたから、僕は今、怖れずに前に進む事が出来る。

僕はここに気づくには、何十年もかかりました。

父さんも母さんも信じる事が出来ませんでした。

周りに何を言われても、信じれませんでした。

僕は捨てられた、僕はいらない子だった。

これこそが僕の真実で、これ以外に真実は無い。

そうやって思っていた僕が、父さんや母さんと向き合う必要があると思ったのが、自分が父さんや母さんと同じ過ちを犯している事に気づいた時でした。

そして、それを克服したい。

そう思った時に、父さんと母さんと向き合う必要が出てきたんですね。

僕が父さんと母さんと同じ過ちを繰り返している理由が、父さんと母さんとの関係にあると確信があったから。

実際に父さんと母さんと向き合っていく中で、同じ過ちを繰り返している理由もわかりました。

僕が父さんや母さんと同じ過ちを犯していたのは、僕はそれしかやり方を知らなかったから。

父さんと母さんが夫婦喧嘩をしているのを見るたびに、僕は男女とはこういうものだと言う事を学びました。

父さんが母さんに罵倒されるのを見るたびに、女性は男性を罵倒するものだと学びました。

こうやって、僕は子供の頃に体験した事を、そのままやる方法しか知らなかったんですね。

そして、父さんと母さんを妄信していたから、他の価値観は耳に入ってこなかったんですね。

僕の父さんと母さんが間違っているわけない!

僕の父さんと母さんは正しい!

他の人達が間違えている!

僕は父さんと母さんのやり方でいく。

本当は父さんと母さんが間違っている気がしていても、僕がそれを言ったら父さんと母さんを否定する事になるから言えない。

父さんと母さんが間違っていると言ったら、僕は怒られるかもしれない。

父さんと母さんが間違っていると言ったら、僕は嫌われるかもしれない。

そう思っていたんですね。

でも、父さんと母さんと向き合ってから、父さんが間違っている事は間違っている、母さんが間違っている事は間違っていると言ったんですね。

そして僕は、それを言って、今まで引き継いできた父さんと母さんの価値観を手放す事が出来たんですね。

幼少期に親を否定するような事を言う事は至難の業です。

でも、大人になって、自分と異なる価値観を持っていたら、それについて話をする事は必要だと思いました。

●和解は一回だけじゃ終わらない(後編)

否定されるから話が出来ないとか、怒られるから話が出来ないと思ってたけど、勇気を持って話をしたら、話す事が出来た。

今でも父さんや母さんと話をする時に、言いあいになる事はあります。

でも僕は、否定されてもいい、怒られてもいい、そうやって話をするようになってから、父さんや母さんの怒りにも同調しなくなりました。

ただ、父さんはこう思ってるんだ。

母さんはこう思ってるんだ。

そういう風に冷静に物事を見る事が出来るようになったんですね。

父さんに嫌われていると思っている間は話すのも嫌やった。

母さんに嫌われていると思っている間は話すのも嫌やった。

どうせ怒られる。

どうせ否定される。

そうやって思ってたから、少しでも否定されるような事や怒られたりすると、すぐに僕は心を閉ざしました。

傷つけられたくない。

そうやって、僕は傷つけられないように自分を守る事に必死でした。

でも、家族と向き合って言える事はですね。

家族で向き合うと言う事はとても大変な事だけど、自分の人生をかけてでもやる価値のある事。

僕はどうやって育ってきたのか。 僕はどんな子供だったのか。

母さんがどんな思いで僕を育ててくれたのか。

父さんはどんな思いで育ててくれたのか。

このような疑問は全て本人に聞かないとわかりません。

もちろん、親が亡くなっていたとしても、自分の心の中で振り返ったら、気づける事はたくさんあると思います。

しかし、僕達は今生きています。

そして、僕達は全員いつか死にます。

だからこそ、生きている間に聞ける事は聞いておく。

それが嬉しい事だけじゃなく嫌な事があったとしても。

僕は自分がいつか死ぬと思った時に、後悔の無いようにしたいと思い父さんと母さんと向き合うと言う行動をしました。

まだまだ、出来ていない事はたくさんあるけど、やり続けたとしても後悔はするかもしれないけど、出来る限り後悔は少なくしたい。

そう思って、父さんと母さんと向き合って、僕は生きていて良いんだと知る事が出来た。

父さんと母さんと向き合うまでは苦しみばかりだったけど、勇気を持って父さんと母さんと向き合って、それ以上のプレゼントを受け取る事が出来ました。

●父さんと母さんは僕のルーツ

父さんを否定したり、母さんを否定している時には気づかなかったけど、父さんを否定したり、母さんを否定したりする事は、自分を否定する事に繋がっていた。

父さんみたいになりたくない!

母さんみたいになりたくない!

そうやって強く否定するほどに、僕は自分の事を否定していました。

母さんは母親のくせに、子供を大切にしない最低な親だと思っていた時も、僕は母親には大切にされない子供と思っていました。

父さんは父親のくせに、子供をかまわない最低な親だと思っていた時も、僕は父親にはかまってもらえない子供と思っていました。

母さんは最低!

父さんは最低!

その思いの裏には、自分を傷つける思いがいつもセットでありました。

だから、僕は知らず知らずのうちに、自分を傷つけていったんですね。

僕は父さんや母さんが加害者で、僕は被害者だと思っていました。

そして、父さんや母さんの事を攻撃していました。

でも、その攻撃は、実は僕自身も自分で受けていたんですね。

父さんや母さんを加害者としている間は、僕は悲劇のヒロイン。

傷つける人が加害者なら、傷つく人は被害者。

そして、傷つかないと被害者じゃないから、僕は自分で自分を傷つけたんですね。

それも父さんと母さんが傷つけたと言いながら、僕は自分で自分を傷つけていた。

このような事を知らず知らずのうちにしていた事に気づいた時に、僕はすごく驚きました。

そして、僕は被害者をやめようと思いました。

母さんと父さんを加害者にするのをやめようと思いました。

僕はそうする事によって、自分の中が平和になって言ったんですね。

現実ももちろん変わりました。

僕は被害者だと思っている間は、僕を傷つける人が目の前にたくさん現れていました。

でも、被害者をやめたら、僕を傷つける人が目の前からいなくなったんですね。

これは不思議な話に見えますが、実際に起こった話です。

僕は自分が被害者だと言っている間は、僕は被害者だと証明する為に、加害者を集めているようでした。

でも、僕は被害者じゃない。

そう思った時から、加害者がいなくなったんですね。

父さんと母さんは加害者じゃない。

僕は被害者じゃない。

父さんと母さんは僕を生んでくれた人。

僕には父さんと母さんの価値観が良いも悪いも半分ずつ入ってる。

そして、この価値観の中には、僕の役に立つ価値観もあった、役に立たない価値観もあった。

僕は役に立たない価値観を見つけて、父さんと母さんを否定していたけど、父さんや母さんを否定するんじゃなく、価値観を手放すだけで良かった。

僕にとって不要なのは価値観であって、父さんや母さんじゃなかったんだから。

僕はそこがわからなかったから苦しみました。

僕は自分に不都合な事が起きるたびに、父さんや母さんを恨みました。父さんや母さんのせいにしていました。

でも、そうしている間は、なにひとつ変わらなかったんですね。

状況は悪化していくばかりでした。どうしたら状況がよくなるんだろう?

僕はここについて考えた時に、父さんと母さんを今まで否定していたけど、それを辞めてみようと思いました。

そして、実践してみたら流れが変わっていったんですね。

今思えば、自分のルーツである父さんや母さんを否定してうまくいくはずがありません。

父さんや母さんを否定する事は、自分を否定する事。そこに気づけたから、僕は父さんと母さんを否定するのをやめる事が出来ました。

父さんと母さんを否定している間は正直とても苦しかったです。

いつも一人ぼっちで誰も助けてくれないと言う不安もありました。

だから、僕はいつも頑張らないと、もっと頑張らないとと不安を拭う為に必死でした。

でも今は、僕は一人じゃないし、僕を助けてくれる。そう思えるようになって、心も軽くなっていきました。

僕は父さんと母さんに対して優しい気持ちで接しようと思えるようになって、自分自身にも優しくなれました。

結局は、僕の中で父さんと母さんに対する思いや接し方と、自分自身に対する思いと接し方は同じなんだなって思いました。

●家族への手紙

僕は子供の頃、かなりわがままだったと思います。

自分の思い通りにならないとすぐに怒った。

自分の思い通りにならないとすぐに誰か傷つけた。

でも、家族のみんなは僕を見捨てないでくれた。

父さんと母さんが離婚するとなった時は正直すごく悲しかった。

悔しくて悔しくてたまらなかった。

でも、今振り返るとそれだけ、父さんと母さんが大好きだったんだなって事。

大好きだからこそ、悔しかった。

一緒に暮らしたかった。

でも、それは叶わなかった。

しかし、そのおかげで学んだ事もたくさんある。

あらくれた僕を助けてくれたのは友人やった。

あの当時は、友達にもたくさん迷惑をかけたけど、たくさんの友達に支えられてきた。

そして、友達がいたから、僕は救われた。

この事も、父さんと母さんの離婚がなければ知る事は出来なかったかも知れない。

僕は今、父さんと母さんと和解する事が出来て、何でも話をする事が出来るようになってとても嬉しいです。

妹ともたまにしか話をしないけど、僕の気持ちを伝える事が出来て良かった。

僕の家族は世間から見たら、欠陥だらけの家族かもしれない。でも、僕からしたら、この家族こそが僕の出発点で、僕の居場所。

僕は家族に誇りを持って生きていこうって思う。僕は生きている期間って、長いようで短いように思う。

だから、生きている間に一つでも多くの思い出を作りたい。

そして、自分が死ぬ時は、たくさんの思い出を抱えて死んでいきたい。

この家族で良かったって。

また、生まれ変わったとしても、この家族で生まれたいって。

僕は、父さんが大好きです。

母さんが大好きです。

妹が大好きです。

僕はこの家族が大好きです。

僕を生んでくれてありがとう。

●あとがき 家族との和解が、自分と向き合い生きる事になる

最後まで読んでいただきありがとうございました。

いかがだったでしょうか?

僕がこの事について本を書こうと思ったのも、同じ悩みを持っている人が多い事を知った事がきっかけでした。

そして、父さんと同じように、子供に会いたいと思っているけど、会えない親がたくさんいる事を知った事でした。

僕の経験が少しでも役に立ったら嬉しい。

そう思って、ブログを書き始めて、その後に、父さんと向き合ったドキュメンタリー映画を制作したりして、今回は本を制作しようと考えました。

本を制作するにあたって、ブログに投票箱を設置して、1000票入ったら本を出しますと書いて、わずか56日で1000票入った事に驚きました。

最初は欲しい人なんていないんじゃないか。

1000票入らないんじゃないかって思っていましたが、実際に1000票入った時は凄く嬉しかったです。

そして、僕の本を読みたいと言ってくれるたくさんの人達の声も僕を後押ししてくれました。

父さんや母さんと会えない日々で苦しんだ事はたくさんありました。向き合う中で、一度ではうまくいかず辛く思った時もありました。

でも、自分の人生をかけて、家族と向き合う。そう決めて進んで、父さんとたくさん話をして、母さんとたくさん話をして。

そこで初めて、本当の家族の絆と言うものが見えた瞬間でした。

正直、向き合うと言う事はとてもしんどい事です。

一度うまくいったからそれで終わりというわけでもありません。

だからこそ、何度も何度もやる必要はありますが、やった先にはそれ以上の喜びがそこにあります。

今、うまくいかないと思って辛い中にいる人にも、いつか乗り越えられる時がきて、その時には自分が思っている以上の喜びがそこにある事をお伝えしたくて、今回の本を書かせていただきました。

あなたの家族が幸せである事を願います。

満野和敏

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