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眩しい時間は終わるのか。『ちょっと思い出しただけ』を鑑賞

公開当時から気になっていた映画『ちょっと思い出しただけ』を、数年越しにPrime Videoで観た。

あらすじ


2021年7月26日に34回目の誕生日を迎えた照生。ステージの照明の仕事をしている彼は、いつものように仕事に向かう。一方、元恋人の葉はタクシー運転手をしており、客を降ろした先に照生の姿を見つける。2人は、出会ってからの7月26日を遡りながら、共に過ごした6年間を思い出していく。

感想

まず、照生と葉の付き合ってるときのきらきら感、別れてからの雰囲気、自然過ぎて好き。あの喧嘩別れの仕方、身に覚えがあり過ぎる。池松壮亮と伊藤沙莉は流石だな。

照生の誕生日に出会った二人が、付き合って別れてそれぞれ別の人生を生きていくまでを、時系列ではなく、遡る形で照生の誕生日にだけスポットを当て、定点観測的に振り返っていく。
照生の朝のルーティーンや部屋の荒れ具合から、その時の彼の心境や境遇、時間の経過がわかる仕掛けになっているのも面白かった。例えば、足を怪我している時は近所のお地蔵様に手を合わせず、足が回復して新たな一歩を踏み出すと、またお地蔵様に手を合わせるようになるなど。特定の日に「スポットを当てる」という設定や、「照生」という名前が、夢見たダンサーではなく舞台照明として生きていくことを暗示しているように感じた。

恋愛がおわる瞬間はもちろん切ないものだけど、人と人の関係性の輝く瞬間というのは、それだけでもう胸が苦しくなる。この眩しいほどきらきらしていた瞬間を、さざなみのように一生繰り返すことができる相手はいないのだろうか。それとも爆ぜては散っていく一瞬の線香花火のようなものなのかな。そうだとしたら、恋愛は本当に悲しいな。

どうも私は恋が成就する話より、きらきらしていた恋が終わっていく、そしてまた別の誰かと普通に生きていく、という話が好きみたいだ。『(500)日のサマー』や『花束みたいな恋をした』、終わるという意味では『ブルーバレンタイン』もそうかもしれない。私は恋のきらきら眩しい瞬間を知っている。でも、今のところ終わらなかった恋を知らない。恋はいつか終わるし、終わった時はその人が特別であればあるほど悲しい。つらいけど、終わってからのほうがきらきらした瞬間は輝きを増して、もう二度とは戻らないものを手放してしまった気持ちにさせられるのだ。仮に一生を誓い合ったとしても、どちらかが死ぬまでは添い遂げたとは言えないわけで、そうなると死ぬほど愛していた人と死別した人だけが終わらない恋愛をしていたことになるのだろうか。結婚していても恋はとっくに終わっている人もいるから難しい。私は現在進行形で恋する人がいて、この先をともにする約束もしているけれど、その人とのきらきらしていた瞬間を思い出して切なくなってしまうことがある。思い出すってことはもう終わりに向かっているのだろうかと不安になる。私はこの人と今度こそ終わらない恋をしようと思っているのに。あの人の「ちょっと思い出しただけ」にはなりたくない。死ぬまでは。

二人が付き合い始めてから、照生のバイト先の水族館の休館日に忍び込んで誕生日デートをした日まで(正確には多分その少し先まで)が二人の最高潮で、眩しい。けど、そんなきらきらの中にも二人の結末を知った上で見ると、ほんの少しの噛み合わなさも混じり合っていて。葉の言う「寝ると会えなくなるから寂しい」という気持ちにもとても共感した。わかる。一緒に眠る安心感もあるけど、寝る間も惜しんで一緒にいたい。二人を見ていたら、ずっと二人にも一緒にいてもらいたくて、二人が喧嘩別れしたあと照生が路端で葉からの誕生日ケーキを一人で食べるシーンで、私は泣いてしまった。

葉は結局、乗り気じゃない合コン中にタバコを吸いに息抜きに出た路上で出会った行きずりの人と勢いで趣味が最高に悪いホテルに行った。正直、この行きずりの人は葉が嫌悪感を感じた合コンの相手たちとどう違うのかわからないくらい、私は何だか嫌な気持ちになった。なぜ葉はこの人を選んだんだろう。投げやりになっている時にたまたま現れて、一緒にいてくれそうだったからだろうか。致したあとにすぐ「ずっとしあわせにする」的なことを言ってくれたからだろうか。子どもが欲しかったからだろうか。一緒にいたら子どももできて、それなりに今はしあわせで、照生とのことは誕生日にちょっと思い出すだけになったということだろうか。私にもちょっと思い出すだけの相手はいるけれど、後付けでそれなりに幸せを感じる相手と共に生きていくことを私はどうしても良しとできない。今一緒にいる、今まで生きてきた中で最高の人と思い続けている彼といたいし、思い出すこともないくらい近くにいたいと思ってしまう。

それから、この映画はクリープハイプの尾崎世界観が自身のオールタイムベストに挙げている映画『ナイト・オン・ザ・プラネット』から着想して作曲した「ナイトオンザプラネット」に監督の松居大悟が触発され、自身初の完全オリジナルラブストーリーとして執筆された。また、クリープハイプも主題歌を手掛けるのみならず、劇中バンドとしても出演している。私は『ナイト・オン・ザ・プラネット』は未鑑賞だが、劇中でもおそらくオムニバス中のニューヨークパートがちらちら出てきたり、これに引っ掛けた照生と葉の掛け合いがあったりするので、そのうち観てみたい。Prime Videoにはないみたいで、すぐに観られないのが残念。ちなみに、クリープハイプはまあまあ好きで「ナイトオンザプラネット」は映画の公開当時から聴いて知っていたが、あまりピンとこなかった。クリープハイプは「二十九、三十」とかはわりと好きだ。尾崎世界観は不自然なヒゲを付けて劇中に出てきたが、あれは世界観感を消すためなのか、ある意味キーパーソンだから注目を集めるために敢えてなのか……通りすがりの人にしてはすごい存在感(のヒゲ)だった。私だったら「そのヒゲすごいっすね」と言ってしまいそうだ。

ただ、一つ「うーん」と思った点は、最後に葉が行きずりの男と結婚して子供も出来て今はまあまあ幸せで、ちょっと照生を思い出しただけ、みたいな感じが個人的には嫌だった。いや、わかっている。単純に私が行きずりの男を生理的に受け付けなかっただけなのだけど。だけど、母になったことを一歩の前進として描くことがなんとなくきれいごとのように感じた。子どもを望んでいた葉にとってはそうかもしれないけど、私にはそれがなんだか安易に感じた。多くの人が想像する幸せの形で表現されたことが少し残念。照生くらいのふわっとしたなんとなく本人的にはそれなりに幸せというだけで十分だったのにな。それでも、作品全体的な雰囲気はとても好みだった。照生や葉も人間臭く好感が持てる人物で、飽きずに二人の6年間を見守れる映画だった。

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