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わたしがこの街で暮らす理由

東京から1時間ちょっとの田舎に、わたしの生まれ育った街がある。しょっちゅう東京に遊びに行っているせいか東京に住んでいると思われることが多いのだけれど、わたしは今 地元で暮らしている。

この街で18歳までを過ごし、進学を機に引っ越してひとり暮らしをはじめ、その6年後に就職をして地元に帰ってきた。たまたま地元の支店に配属が決まったからだ。

社会人になって最初の部屋。
入居初日にとりあえず荷物を運び入れたあとの写真

とくべつ地元に帰ってきたかったわけではなく、なりゆきで帰ってくることになった。実家の犬と頻繁に会えるようになることはとてもうれしかった。
この街で暮らしている理由がこれといってないまま、必死で仕事に慣れようとしているうちに2年が経った。


社会人3年目にさしかかったころ、犬が体調を崩した。加齢で平衡感覚が衰えているらしく、自力で立つことができなくなった。思うように体が動かない不安からか、家族が視界にいないと泣くようになった。
犬はもうすぐ15歳になろうとしていた。
若い頃はほとんど声を出さないおとなしい犬だったのだけれど、その14年分と数ヶ月ぶんの声をすべて使って泣いているようだった。
その切実な声を聞きながら、わたしは最期の時まで同じ家で、一緒に暮らすことに決めた。

犬は深夜まで泣き止まないこともあり、両親とわたしが交代しながら添い寝する生活を続けている。でも最近は彼女なりに動けなくなったことや 呼べば家族が対応してくれることを理解したのか、だいぶ落ち着いて穏やかに過ごせている。

食欲は旺盛で、食事の時間になるとお腹が空いたと訴えて泣く。動きたい気持ちも衰えていないようで、毎朝5時を回ると散歩に行きたいと泣く(自力では歩けないがハーネスを使って散歩ができる)。

歩けないこと以外はとても元気で、先日めでたく16歳の誕生日を迎えた。
寝そべったままあれこれと要求しそばにいてほしいと全身で伝える姿は本当に愛おしくて、できるだけ長く健康でしあわせであってほしいと願うばかりだ。

まだ首輪をしていた去年の春頃
いまはもう外している

そんなわけで地元で暮らす大きな理由ができたのだけれど、毎日をここで過ごす理由が「犬を看取るため」ではあまりに重いし辛すぎる。彼女にプレッシャーをかけてしまうような気もする。だからわたしは、心ゆくまでこの田舎の街を満喫することにした。


仕事終わりにジムで体を動かす習慣ができて、体力と筋肉と少しの自信がついた。そのせいもあってずっと憧れているだけだったフィギュアスケートを習い始め、氷に乗る側の人間になった。
田舎なのでなにをするにも予約がとりやすいし、料金の相場も安い。イオンモール以外なら、どこに行っても空いている。

先日、Twitterを見ていたら素敵な本屋さんを知った。街からどんどん本屋さんが消えてゆき頼りになるのはイオンモールの中の大型書店くらいだと思っていたけれど、案外そうではないらしい。昔ながらの喫茶店も、サブカルチャーに通じている古いミニシアターもなんとか残っている。
空き家を利用したカフェや素敵なパン屋さんも次々とできていることがわかった。けっこうイカした街だ。


まだまだわたしの知らない素敵な場所が、この街にはたくさんある。そう思ったらなんだかわくわくした。この街にいる理由は、いくらでもあった。

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