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緩やかな人間関係を大切にしていきたい

常々、子育てにたくさんの人に関わってもらいたい。と考えていまして、それは私たち親にとっても、子どもにとっても漠然といいような気がするからです。

漠然といい、と書いたのは理由がわからないわけではなく、いくつか頭の中にはあるのですが、あえてはっきりさせない方がいい、と思って書いていません。言葉にしたら、それが目的化されて、関わる人に関わること以上を求めるようになってしまうような気がしています。

そして人間関係を有益か無益で区別することになりかねないと思い、それは嫌なので目的のない関わりも大切にしていこうと考えています。

というのも、実家にいた時は親や兄弟が子どもの面倒を見てくれて、同時に子どもの成長をともに味わったりもしました。
この相手になにも求めずにいられる関係は、家族だから成立する関係だよなぁと思っていたのですが、関わり方の濃度は違うにしても、赤の他人でも同じような関わりが持てるかもしれないと、昨日の出来事をきっかけに思うようになりました。

近所のおばあちゃんが久しぶりに家に遊びに来てくれました。
朝電話があって、お茶をしながら談笑です。
自然に子どもを抱き寄せて、但馬弁むき出しで話しかけてました。

地方に来て、いいなと思ったのはこういう関わりが日常的に生まれることです。

社会人になって、経済合理性で物事を判断するようになると、こういう一見無駄とされる関わりを軽視しがちになります。

そして、個人事業主としてお店を切り盛りするようになると、さらに合理性を追求するようになりました。でも、それはちょっと違うよなぁと気付いている自分もいて、子どもが生まれてからその違和感はどんどん強くなっていきました。

そもそも、地方に移住したのは、緩やかな深い人間関係が心地よいと思ったからです。日々生活していく上で、原点を忘れ、日常に忙殺され、仕事に意識が向き、気付けば合理的な人間関係を築こうとしていました。

今回、実家に帰り、さらに竹野に帰ってきて、原点に立ち返ることにしました。生きていくにはお金が必要です。ひととまるのことを考えるのは好きですし、ビジネスとして考えることも好きです。

でも、一人間として、親としてのこれからを考えた時に忘れてはいけないものもあるので、とりあえず原点回帰でいきます。


今日はちょっと真面目なお話。
それではまた明日!

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