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主婦と個人事業主の間で働き方とその多様性について考えて来た私が言いたいこと

「趣味警察」撲滅宣言

「ふ〜ん、それで?」

「生活費に困らないくらいの収入はあるの?」

出た。
出ましたよ。

何回聞いただろうか、このくだり。

次に続く言葉は分かっている。

「なーんだ、それ『趣味』じゃん」

曰く、「そんな程度の収入で、『仕事』なんて言わないでよ」と、ヘソが茶を沸かすと言わんばかりの見下し方である。
私の「仕事」とあなたの「仕事(趣味)」とは、天と地ほどの開きがある、一緒にしてくれるなよ。
そう言いたいのだろうことは察しがつく。

ご主人の稼ぎで生活して、豪華なランチをするためのお小遣い稼ぎでしょ、と。

私の場合はちょっと違うけれど、それの何が悪いのだろうか?
目的はどうあれ、人様からお金を頂いて、その「対価に相応しい」サービスや商品を提供する事は、「仕事」ではないのか?

趣味にお金を払ってくれるほど、世の中ゆるフワに出来ているとは到底思えないが、そう言ってくる人は後を絶たない。

彼らを、私は「趣味警察」と名付けた。

冒頭のくだりの続きに、親しい相手ならば私はこう答えるようにしている。

「趣味ってさ、お金を払ってやる事だよ。映画観たり、サーフィンしたり。」

「金額は少ないけど、ちゃんと利益も出てるし、他ではやってないサービスをしてるって言う自負もあるし、専門知識も必要だからいつも勉強してるし、誇りと責任を持ってやってるよ。」

「(それでもあなたは、私の仕事を『趣味』と呼ぶの?)」

こう答えると

「それはそうかもしれないけど…」

と、だいたいは口ごもる。
やっと最近気付いたんだけど、これも一種のマウンティングってヤツだ。

家族との時間を大切にしながら、少ない時間で自分でコントロール出来る範囲の仕事をする。リスクは最低限。
本当は羨ましいんでしょう。
だから、「仕事」と認めず「趣味」と一段下に落とす事で自分の優位性を保っている。

人のやってる事を「趣味」と一蹴したところで、誰も幸せにならないし、自分が惨めになっている事に早く気付くと良いのに。

個人で何かを始めるのに、リスクは最小限にするに決まっている。家庭と家族を守るのも「仕事」だからだ。

家事は立派な仕事

「家事」は「仕事」じゃないと思っている人が多いかも知れないが、私にとっての「家事」は立派な「仕事」だ。

対価が支払われない作業は仕事ではない、と反論が来そうだが、私にとっての家事の対価は、夫から受け取っている生活費だ。
要するに、夫は我が家の大株主で、私に資本提供している。私はその資本を運転資金に家庭を運営しているのだ。

金銭ではないが、配当だってある。夫の好みに合わせた美味しい食事と家族団欒の時間はまさにプライスレス。配当と呼ぶに値する価値を創造している。

子供達は新入社員のようなもので、稼げるようになるまで、しっかり手をかけて(自分の手か他人の手かは別として)育てる必要がある。
人材育成だって立派な仕事だし、後々稼ぎ頭になってくれれば万々歳だ。ストラテジストの永江一石さんも「主婦(主夫)は未来の納税者を育てる公務員」と言っている。同感だ。

だから、主婦/主夫(以後シュフ)の仕事である「家事」は立派な「仕事」だし、むしろ、オンオフの境目があやふやな分、常に仕事をしているようなものなのだから、楽なわけが無いのだ。

主婦か個人事業主か

私個人に関して言えば、本業が主婦か個人事業主かは月によって変動している。
なぜかと言うと、個人事業主としての収入が月によって変動するからだ。夫からの生活費を超える月もあれば、超えない月もある。超えた月の本業は個人事業主で、副業が主婦だ。逆の月ならば、本業が主婦で副業が個人事業主になる。屁理屈と言う向きもあるかもしれないが、そうとしか考えられないのだから仕方がない。

夫の収入と私の収入の比率を考えたら、時間の自由がきく私が家事育児を主に担当するのが合理的なので、平日の家事育児はほぼ私1人でこなしている。

そう言う認識でシュフ業をしているのは私くらいかもしれないが、そう思っているからこそ、人の仕事を「趣味」呼ばわりする人間に腹がたつのだ。規模の大小だけでものを言わないで欲しい。

家庭が大切だから適当な事をやっているわけでもないし、人から何を言われても自信を持って胸を張れるほど、誰からも評価されているわけでもない。もちろん生徒様には満足して頂いてるから教室を続けられるわけだが、継続的に私の仕事を評価する上司のような存在はいない。

企画、運営、経理、営業、経営、まさにワンオペなのだから、誇りとモチベーションを保つのも容易ではない。誰からも認められず評価もない個人事業主は、自分で自分を奮い立たせるしかないのだ。

働き方の多様性

「働き方改革」が叫ばれて久しいが、このような趣味警察が跋扈しているようでは、改革も何も始まらない。彼らは少ない細切れの時間で少額の収入を得る働き方を認めないからだ。だからワークシェアリングも普及しない。

働き方の多様性は、収入や売上の寡多だけでなく、労働時間、労働場所など、あらゆる労働環境の可能性を見直し、認め合い、受け入れていく事から始めなければならない。

他人の仕事にとやかく言っている場合では無いのだ。

まずは自分の足元をしっかり固め、立ち上がるしかないのだから。

試作のための食材費や、子供達が使いやすい調理器具の購入に使わせて頂きます!