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固定ギアの自転車による環島(台湾一周)の記録 その4

2023年4月28日から5月4日までの七日間、自転車で台湾を一周した。今回は、二日目から四日目の走り出しまで。


前回の記事はこちら


2日目:峨眉から嘉義へ

 朝4時、聞き慣れたスマホのアラームで目を覚ます。
 睡眠時間は4時間程度だが、深く眠れたようで、なんとなく体と気持ちはすっきりしているような気がする。
 テントから這い出ると、辺りはまだ薄暗く、人が活動し始めている気配もまだない。トラブル無く朝を迎えることができたことにひとまず安心し、さっそく撤収に取り掛かる。

この建物はおそらく託児所。野営自体は近くのもう少し目立たない場所でした。

 朝食は、日本から持ってきたカロリーメイトと昨日Hi-Lifeで買った甘いコーヒーで済ました。既に真剣に行程を練り直すのが億劫になっていたので、とりあえず台中まで行き、そこからは時間と体力と相談しながら、2日目の終着点を決めることにした。

貝納頌(パイノッソ)。日本で言うBOSSのような定番格でどこにでも売っていた。台湾のこの手のコーヒーは結構甘く感じるものが多かった。
二日目スタート

 峨眉は山間部に位置する地域で、割としっかりとアップダウンをさせられる。朝5時台というのに、トレーニングをしているローディも結構見かけた。あてにしていた環島一号線の看板の表示もいつの間にか内山環線というサブルートの看板に変わっており、本来の環島ルートからは外れ、しかもややキツ目のコースにそれてしまっていることに気づいて、少しガッカリした。
 少し走った先にある峨眉湖には、「世界一家」と書かれた建物ととても大きな弥勒大仏がいた。何か信仰の場所になっていそうではあったが、後で調べてみても明確な情報は見つからなかった。

遠くから見た弥勒大仏。
世界一家の建物。右後方に弥勒大仏。
近くで見てももちろん大きい。

 どこからでも大仏が見えるくらい大きかったので、辺りには少し異様な雰囲気が漂っていたが、朝方の湖畔沿いを自転車で走るのはとても気持ちよかった。このまま峨眉湖の裏の山を突っ切って次の街まで抜けようかとも考えたが、ライオンズヘッドというかなり登りごたえのありそうな名前の山を越えて行かなけねばならなかったので断念して、環島一号線の本線に戻ることにした。
 結局この後、次の街から海側へ抜けるのにもう一山越えたり、延々と続く海沿いの一本道をカンカン照りの太陽に焼かれながら走ったりして、しんどかったことは覚えているがそれ以外の二日目の記憶があまりないのが正直なところで、数少ない写真で見ていただければと思う。

海沿いの道を固定ギアで走るのは最高に気持ち良かった。何十キロも続くと流石に疲れるが、道行くサイクリストが「加油!(頑張れ)」と声を掛けてくれて励みになった。
道沿いの軽食屋台
ゴロゴロと肉が入ったチマキと甘いお茶。右にある赤いチリソースが程よい辛さで、暑くて食欲が無い中でもとても美味しく食べることができた。
青マンゴーのアイス。果実が丸ごと入っており、さっぱりして美味しい。旅中に何度か食べた。
純萃。喝(ジュンスイホ)珈琲。珍しい円筒型の容器。味はやはり甘い。
日本でもたまに見かける台湾のコーラ。ローマ字部分を一瞬サロンパスと読んでしまうくらいにサロンパスのような独特な味がするが、炎天下で火照った体にはちょうどよく、美味しく飲めた。これも旅中に何度か飲んだ。

 とにかく暑くて疲れた。写真を見返していて驚いたのが、この日は200kmほど走ったが、行動中に口にした固形物はカロリーメイト1本・チマキ1個・アイスキャンディー1本のみだった。暑さによって食欲が湧いてこなかったのもあるが、ほぼ水分と精神だけで動く人間の体はすごいと思った。(好ましい状態ではない)
 といった感じで嘉義(ジアイー)に到着。

光っているところがこの日宿泊したゲストハウス・Tara 塔拉Guest House。自転車を中に置かせてくれた。宿の周辺の商店は店じまいで静かだった。
ルーロー飯と青菜の炒め物
豆花の有名店。絶品だった。

 ゲストハウスに荷物を置いて、ご飯を食べに出るついでに嘉義の街を少しブラブラした。山間の静かな地域で夜を明かした昨日とは打って変わって、熱気渦巻く台湾の地方都市の夜は賑やかで、海外旅行に来たことを改めて思い出させてくれた。
 余力があればもう少しブラブラしたかったが、疲れていたので割とすぐに宿に帰って、シャワーを浴びて就寝した。

ゲストハウスの寝床。人が気になって深く眠れなかった。

3日目:嘉義から高雄へ

 薄い眠りを重ねて朝6時頃に起床した。比較的有名な高雄に滞在することは予め決めていたので、この日の予定走行距離は100km。朝もゆっくりできる。
 散歩をするために外に出ると、昨日の夜は静かだった宿周辺には朝市が軒を連ね、朝早くから賑やかな雰囲気だった。

朝市。とてもいい感じ。
鶏の丸焼き。
野菜も売っていた。
市場で買った蛋餅(ダンピン)のような何かと林檎。蛋餅のような何かは素朴な味わいに胡椒が効いていてとても美味しかった。林檎も甘くてさっぱりして美味しかった。

 宿に戻って市場で買った朝ごはんを食べ、7時半に出発。

3日目スタート
冷たいアイスコーヒー。セブンイレブンのドリップするタイプのコーヒーは日本と同じ味がした。
3日目はほとんどこんな感じの道が続いた。

 嘉義から高雄まではほとんど広い幹線道路を走る。固定ギアでこのような道を走るととても気持ちが良いものだが、3日目ともなると臀部周辺の痛みが出始めて結構辛かった。出国直前にたまたま職場の人にもらったレーシングパンツを履いて幾分かマシにはなったが、結局3日目以降は臀部周辺と腕の痛みと戦い続けた。

変なおじさんに絡まれる

 環島をしていると追い越しや信号待ちをしている時などにたまに話しかけられる。一人旅をしているとフレンドリーに話しかけてくる人全員が良い人に見えるが、そうじゃない人もいた。
 その時も信号待ちをしていると、ボロい原付に乗ったおじさんが横につけてきて、フィリピン語(?)で話しかけて来た。自分はフィリピン人だと言っていることはかろうじて理解できたので恐らくフィリピン語だと思うが、さっぱり何を言っているか分からなかった。中国語で自分は日本人だと伝えても向こうは理解していない様子だったし、なんとか意思疎通を図ろうとしても、やはりさっぱりだった。
 ややめんどくささを感じ始めた時、おじさんが「ヘソを見せてくれ」とジェスチャーで示して来た。この時疲労で警戒心がかなり薄れており、「何か海外の文化みたいなものか」くらいの感覚で特に何も考えずにTシャツの裾を捲ってヘソを見せるや否や、おじさんの手はヘソではなくその下のズボンの方に伸び、あろうことかズボンの中を触ろうとしてきた。「ヤバイ」と思って咄嗟に「ノー!!」と手を振り払うと、怒気が伝わったのか、おじさんはなぜか悲しそうな顔をして、ボロい原付に乗ってそそくさと去っていった。悲しい顔をしたいのはこっちの方だ。
 この一件で、怪我の功名ではないが、旅も3日目になり慣れが出始めて不用心になっていたことを自覚したし、世界中のどこであっても当たり前に変なヤツはいることを学んだ。

張との出会い

 変なおじさんがいれば親切なおじさんもいる。
 ヘソのおっさんの一件があって少々ナーバスになりながら走っていると、東屋のところが木陰に覆われた涼しそうな公園を見つけた。一度は通り過ぎたが、日が出始めて暑くなっていたこともあり、やはりその公園で少し休憩することにした。
 バックパックを下ろして東屋のベンチで休憩していると、ジャイアントのロードバイクに跨った台湾人のおじさんがやって来て、同じく休憩するために僕が座っている向かいのベンチに腰掛けた。
 ヘソのおっさんの一件で警戒心が増していたので、特に目を合わすでもなく様子を伺っていると、おじさんの方から中国語で話しかけてきた。
 中国語は理解できなかったので、とりあえず用意した中国語で自分は日本人で環島をしているということを伝えると、おじさんは一瞬驚いたように目を見開いて、今度は英語で話しかけて来た。
 「日本から来たのか?一人で?台湾に知り合いは?」
 「一人で日本から来た。台湾に知り合いはいない」
 「中国語は喋れるのか?」
 「中国語は喋れない。ほんの少しだけ英語は理解できる」
 「自転車はどうしたんだ?」
 「自転車は日本から自分のものを持って来た」
 ひとしきりの問答の後、おじさんは呆れて笑いながら、
 「You are crazy・・・」
 と首を横に振っていた。
 「今日は何日目だ?」
 「三日目」
 「どこから来た?」
 「嘉義から来た」
 「どこまで行く?」
 「今日は高雄まで」
 「僕は高雄に住んでいて、今日は高雄から来た。高雄までなら後3時間あれば着く」
 「オーケー、台湾は日本よりずっと暑くて疲れるからゆっくり行くよ。」 
 「7月とか8月はこんなものじゃないよ」
 おじさんは僕の超初級英語にレベルを合わせてくれて、簡単な会話をすることができた。思えば台湾に来てから誰かとまともに会話をすることは初めてで、少し荒んでいた心が軽くなったことを覚えている。
 おじさんはその後も、僕がザックのポケットに入れていた地球の歩き方を見つけて、それを見ながら高雄の観光スポットを色々と教えてくれた。この時間にここに行けば綺麗な夕日が見えるとか本当に色々なことを教えてくれた後、宿の場所を聞かれたので、少し前の休憩の時にBooking.comで予約していた宿の場所を教えると、最初と同じように驚きながら目を見開いて、
 「マジかよ・・・僕の家の目と鼻の先じゃないか・・・」
 と言った。
 「僕の妻が英語教室を営んでいて、そのビルの4階に僕は住んでいる。何か困ったことがあったら来てくれよ」
 そう言って家の場所を教えてくれた。
 そこで初めて僕は自分の名前を名乗り、おじさんの名前が「張(チョウ)」ということを知った。

張。どおりで英語が得意なわけだ。

 そんなこんなで、僕が進む方向とは逆方向に走って電車で高雄まで戻ると言っていた張に別れを告げ、僕は目的地の高雄に向かって再び走り出した。
 張が教えてくれたおすすめスポットの中に、台湾最南部のエリアがあった。そこは一般的な環島のコースとしては外されているエリアで、当初の計画にも入れていない。さらにそこを周ると、宜蘭の太平山を登る時間は絶対に無くなるし、そもそも帰りの飛行機に間に合うように台北に戻れるかも怪しくなる。
 走りながらぐるぐると色々なことを考えて、自分はどうしたいかをずっと考えていたが答えは出ず、一旦考えることを放棄して、高雄を目指すことにした。

途中迷い込んだ旗山(チーシャン)の街。バロック風建築が特徴的でとても雰囲気が良い街だった。
台湾のミルクティーは風味豊かでとても美味しい。
黒松ブランドのスポーツドリンク。黒松沙士とは打って変わって、あっさりとして飲みやすい。

高雄に到着

 張は高雄まで3時間と言っていたが、だらだらと走りさらに迷ってしまったので、5時間くらいかけてようやく高雄に到着。宿に着く前に、釣りができそうな湖を見つけたので、戯れに竿を振ってみるが、釣果はゼロ。

澄清湖
あたりすらなかった

 高雄の宿は、唯一事前情報として知っていた「あひる家」というゲストハウス。日本人経営でスタッフも全員日本語を喋ることができる。バスタオルの貸し出しや洗濯機に乾燥機、綺麗なシャワールームとトイレ、浄水器などこれがあったらいいなというものは大体あった。

清潔感があってとても良い。
フロントに自転車を置かせてもらえた。

 この日も行動中はまともなご飯を食べなかったので、さすがに腹が減り、宿についてシャワーを浴びてから高雄の街に出てご飯を食べた。高雄の街はかなり栄えていたがどこか落ち着いた雰囲気があり、日本でいう京都市街のような空気を感じた。

揚げた大根餅。パクチー入りのタレにつけるとさっぱりして美味しい。
牛肉と大蒜の炒め。当然美味しい。
水蓮という細長い野菜の炒め。素朴な味わいでいくらでも食べれそう。
台湾でよく見たアップルソーダ。ちなみに台湾ではこの手の飲み物は勝手に冷蔵庫から取って行くスタイルだった。

 大餐という家庭料理の店で、親子で切り盛りしており、息子さんの方がかなり親切にメニューの説明をしてくれて助かった。
 ご飯を食べた後、宿に戻る前に昼間に出会った張の家に寄ってみた。確かに英語教室のビルはあったが、扉は鍵がかかっており、夜も遅かったので、翌朝もう一度訪ねることにして、張の家を後にした。
 帰りに足つぼマッサージをしようとお店に寄ったが、予約がいっぱいで入れなかった。台湾の足つぼマッサージはとても良いと聞いていたので残念だったが仕方がない。
 宿に帰り、衣類の洗濯をして、共有スペースのソファで少しぼーっとして、就寝。

張との再会

 朝7時。出発しようとフロントに置いてある自転車のところに行くと置土産があった。

 張からだ。昨日公園で話していた時、もし欲しいなら地図を宿に届けておくと言っていたことを思い出した。昨日はもしかしたら入れ違いになっていたのかもしれない。
 もし今日会えなかった時のために、せめて感謝の意を伝えるために、ゲストハウスにあったメモ帳に、スマホで調べた中国語で「色々と親切にしてくれてありがとう。あなたは私の最初の台湾の友達です」と書き、そのページを千切ってポケットの中に入れた。
 張の家に向かう途中、もしこのまま張に会えなかったらなんだか嫌だなとか考えていたが、その日は平日で仕事もあるだろうから、冷静に考えて会える可能性は低かった。もしいなければ、「昨日あなたの旦那さんにお世話になった日本人旅行者です。このメモを渡してもらえませんか?」と英語教室を営む奥さんに怪しまれながら頼むほかなかった。
 
 だが、張はいた。
 ちょうど高校生の娘さんをスクーターで駅まで送り届けるところだった。
 「張!」
 と呼びかけると、スクーターに乗りかけていた張は、昨日出会ったときと同じように一瞬驚いたように目を見開いてから、
 「お前!生きてたのか!」
 と幽霊にでもあったかのような表情で言った。
 「昨日は着くのが遅くて、張に会いに来ることもできなかったし、高雄の夕日も見ることができなかった」
 と伝えると、
 「そんなことより無事に着けていてよかった。今ちょうど娘を駅まで送っていくところだった。紹介するよ、僕の2番目の娘だ」
 と張は言って、娘さんを紹介してくれた。
 その後、しばし再開を喜び合った後、そろそろ出発しようと思い、その前に自転車のタイヤの空気を入れさせて欲しいとお願いすると、娘さんを送り届ける時間が迫っていたようで、
 「もし時間があるならここで待っててくれ。僕は今日休みだから、10分で戻って来る」
 と言って張と娘さんはスクーターで走り去って行った。

張と娘さん
張と僕。後ろにあるのが張の奥さんが経営する英語教室。

 10分後、張は戻って来ると、家に上げてくれた。
 4階建てのビルは3階までが英語教室で、4階部分が張一家の家になっていた。海外旅行に来て現地で知り合った人の家に上がっているのは不思議な気分だったが、台湾人の生活の日常風景が垣間見えてとても興味深いひと時だった。
 「パイナップル食べるか?」「コーヒー飲むか?ブラックでいいか?」「ブルーベリー食べるか?」「ジャーキーいるか?」など本当に手厚くもてなしてくれて、思わずその全ての厚意に甘えてしまった。台湾特産のパイナップルは味が濃く、甘くてとても美味しかった。
 コーヒーを淹れるまで間、張がくれた地図を見ながら、この道は美しいから走った方が良いとか、ここは少し狭くて危ないから別の道を選んだ方が良いとか、役に立つ様々な情報を教えてくれた。

かなり立派な英語教室だった
「コーヒー飲むか?」と張
張がくれた地図
パイナップル・ブルーベリー・フルーツジュース・ビーフジャーキーなど色々持たせてくれた。
本当にありがたかった。

 ひとしきりもてなしてくれた後、
 「今日はどこまでいく?墾丁(ケンティン・台湾の南端)まで行くのか?」
 と張は聞いてきた。
 前日から決めあぐねていたことだったが、張と色々話をしているうちに元気が出たのか、気持ちが前向きになり、
 「墾丁まで行く。そこから先はその時考える」
 と答えた。
 「お前は若いから大丈夫だ」
 と張は言った。

 その後、張の家にあった空気入れが僕の自転車のタイヤと互換性がなかったので、近くにある張の実家までお邪魔して空気入れを借りて、本当に出発の時がやってきた。
 何かあったら連絡してくれと張と連絡先を交換して、自転車を漕ぎ出して、後ろを振り向くと、張はすでにスクーターでどこかに行ってしまっていた。日本人ならまだ見送っていた距離かもしれない。僕が会った人だけかもしれないが、親切にするが構い過ぎない、みたいなところが台湾の人にはあり、その絶妙な距離感が僕には心地よかった。
 
 この日もとても暑かった。これまでの疲労が溜まって体も満身創痍だ。
 それでも張にもらったパイナップルを齧りながら墾丁に向けてしばらく走っていると、スマホにメッセージが入っていた。

 ”I forgot to bring you the coffee.Next time I will remember when you come to my home."(コーヒー忘れてた。今度家に来るときは覚えておくよ。)

 次、台湾に来るときは張の家でゆっくりコーヒーでも飲んで過ごしたいものだ。

(次回へ続く)


【閑話】台湾の気候

 僕が行ったとき、台湾はとても暑かった。
 加えて、高温多湿で雨が多いと聞いていたが、旅行中はほとんど降らず、カンカン照りだった。
 日中は30度前半から半ばくらいの気温だが、数字以上に日光が辛い。容赦無く肌が焼かれ、自転車なんて漕げたものではなく、昼の12時〜14時くらいまでは大体木陰で休憩していた。それでも半袖半ズボンでまともに日光をくらってしまったので、途中から腕全体に水ぶくれが発生して大変だった。
 帰国してから腕の状態はより酷くなり、もう一生腕を露出する服を着れないかもしれないとまで思うほどグロテスクな見た目になったが、風呂上がりに大量のハトムギ化粧水を腕に塗り続けたらなんとか回復した。
 環島をする時は、走るなら早朝と夕方から晩、天候に関しては雨対策はもちろんのこと、日焼け対策をして行くことを強くお勧めする。

地獄に仏。しばらく木陰から出られなくなる。

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