見出し画像

陶板レプリカで名画を鑑賞する価値とは?―大塚国際美術館

先日、徳島県鳴門市の大塚国際美術館に行った。関東に長く住んでいたこともあって四国は未踏の地で、「どうせレプリカでしょ?」という気持ちからわざわざ足を運ぶほど興味を持てなかった。

しかし、先日友人と週末のお出かけ先を決めようとGoogleMapを眺めていたところ、「あれ?大塚国際美術館、大阪から日帰りで行けるじゃん!」となり、行ってみることにした。

結論から言うと「どうせレプリカでしょ?」と、陶板を軽視していたことを大変に申し訳なく思った。実物ではないとはいえ、美術史上で重要とされている作品が一堂に会している点は非常に良い。今のように海外渡航が制限されているコロナ禍でなくても、ヨーロッパやアメリカの主要な美術館をすべて回ろうとすると、時間的にも金銭的にもハードルが高い。美術を専門的に学んでいる人ならまだしも、そこまで関心のない人は一生出会うことがない作品は多いだろう。

また、美術を専門的に学ぶ者にとっては、図録よりもより本物に近い形で作品をイメージできるというメリットがある。さらに、一度見たことがある作品の陶板を見ることで、オリジナルを思い出して鑑賞できる効果も期待できる。

学部時代、美術史のゼミで作品を自分の目で見ることと同様に推奨されていたのが、”手元で作品を再現すること”だ。例えば、屏風の作品は図版をコピーしてジグザクに折ってみる。屏風は、ジグザグに折っている状態が通常であるため、絵師もそれを想定して描いているはずだ。図版を見ているだけだと屏風は平面に見えてしまうが、実際はジグザグに折ることで前後の奥行ができているのだ。また、障壁画は厚紙にコピーして空間で再現したり、図録の寸法を見てメジャーで大きさを確認したりすることもあった。

実際、図版ではよく知っている作品も、本物を見ると全く印象が変わってしまうこともある。例えば、私が初めてルノワールの《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》(オルセー美術館蔵)を見たとき、想像よりかなり大きく、作品の印象が見る前後で全く変わってしまった。絵本の1シーンを眺めている印象だったのが、人々が集い談笑する様子を窓から覗いているような、よりリアルな感覚に変化したのだ。この時、やっと先生方が仰っていた「本物を見ること」「手元で作品を再現すること」の大切さがわかった。

陶板の表面は、ツルツルと光沢がある。テンペラ画や油画が元の作品とは相性が良く、遠目に見れば本物と言われても疑わないだろう。また、礼拝堂や洞窟の内部や祭壇画の再現もその空間性に意識がいくこともあり、その先のオリジナルを想像できた気がする。他方、ジャクソン・ポロックやアンディ・ウォーホルの作品には少し違和感があった。絵の具の盛り上がりやマットな印象が強い作品は、その先に本物の作品を想像することが難しかった。

順路をすべてつなぐと4km以上になるといい、一周見るだけで3時間(途中から気になるところ以外素通りした)、足はパンパンだった。

帰りは淡路島で寄り道。漁師直営の居酒屋に行って、海の幸を堪能した。今回は淡路島にゆっくり立ち寄れなかったが、道中気になる場所をいくつも見つけた。まだまだ行ってみたいところがたくさんある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?