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言語知識の理解に必要な解説

教え手の側から

今回は言語知識の理解に必要な解説についてのお話です。これは教師の側からすると、なかなか難しいところがある問題です。

英文法書の今昔

文法書というものは昔からありました。文法書はもともとは言語学的な研究の成果というよりは、ことばを使うという実用的な目的で編まれました。現在学習者が使う文法書も当然その流れを汲んでいます。しかし、ここに問題があります。これは実用目的の文法がどこで生まれたのかということと関連する問題です。ヨーロッパでラテン語を学ぶ必要性が生じたときにラテン語の文法書が生まれました。その後学術研究に使用する言語がラテン語からヨーロッパ各地の言語に切り替えられていく過程で英語の文法書も生まれました。このときはラテン語の文法を参考にした英文法書という感じで実際の英語を反映したものではありませんでしたが、20世紀の初頭にデンマーク人やオランダ人の英語教師が英語の実態に即した文法書を世に送り出しています。

日本の英文法書の始まり

こうした英文法書は日本にも伝わり、日本語母語話者向けの文法書にもこうした内容が反映されるようになりました。日本には、もう一つ、漢文訓読の手法を英文理解に応用した教則本のようなものもあり、今でもbe about to doを「まさに~せんとする」と訳している参考書があるのはその名残です(これで「将」が頭に浮かんでくるわけです)。1960年代くらいまでの英文法書はこんな感じでした。それ以降になると、その時代の言語研究の成果が反映された文法書が登場するようになります。

文法解説に必要なこと

さて、ここからが本当の問題です。こうして発達してきた文法書やそれにもとづく教室での文法解説は、果たして学習者の役に立っているのかという問題があります。英語の得意な教師が英語を教える場合、自分が無意識に感覚的に学んでしまった知識は、意識的に学んでもらおうという考えに至らないことがあります。これは学習者にとっては「痒いところに手が届かない」あるいは「雲をつかむような」解説にしかならないのです。この問題を乗り越えるには理論言語学の知見が必要なのですが、これが教師にとっては高度な文法知識を教えるよりも基礎的な文法知識を教えるほうが難しい本を読んで勉強しなければならなくなるのですから、躊躇してしまう人も多いわけです。

英語ができれば英語が教えられるわけではないのですが、では英語ができなかった経験があればその経験だけで基礎が教えられるかというと、そうもいきません。つまずき方は学習者によってまちまちです。その個々のつまずきに対処するには極めて専門的な知見が必要です。英語を全然勉強していない。でも基礎から一つ一つ理解していかないと納得できない。自分には語学のセンスがないのかも。そういう学習者に対しても自信を持って解説できることが教師に求められているといえます。こうしたニーズに持田なりに応えようとした試みがこちらです。


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