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投企ーフリースクール雑文記(4)

こんにちは!

OWNERS副代表のHARUです。

千葉県では37度を記録した本日、皆さまはいかがお過ごしでしょうか?

私はというとオンライン学習塾Scholaの運営に少しずつ力を入れ始め、最近は夏期講習やらHP制作やらで充実した毎日を送らせていただいております。

それにしても会社設立当時からOWNERSはなるべくクリアな、透明性の高い企業として運営していこうと決めていたのですが、(ZUMAと違って)私は人前に立つのが得意なタイプではないので、SNSを更新したりこうしてブログを書いたりするのも、頑張ってはいるもののいつまでも慣れません(笑)

さて、今回は前回の社会と個人に続く形で、「自分と世界」の関係について自分なりの考えを書いてみようと思います。

それでは、最後までよろしくお願いします♪

投企

第1回の実存主義の記事で、自分の生き方は自分で決めていくことが大事、という考え方の紹介をしましたが、これについて先日ある読者の方から、「その自分なるものはどのように見つければいいか」という質問をいただきました。

そこで実存主義の記事の続きとして、この記事では「投企」という概念を紹介させていただきます。

(これもあくまで門外漢の説明ですので、細かい違いは悪しからず(笑))

この「投企」とはものすごく簡単に言えば、「あるべき自分自身を追求する行為」全てのことであり、そこには私たち人間は、それぞれが有している理想や可能性に向けて未来を選び取っていくことが重要だというメッセージが込められています。

すこし観念的な話になるので我慢して読み進めてほしいのですが、人間の個性やアイデンティティのようなものについて考えてみると、自分というものが他人の存在によって少なからざる部分を規定され、また補完されることによって成立しているという事実に思い当たります。

これは右という概念がなければ左という概念も存在し得ないことに似ていて、「他人」という存在を認識から除外して自己を定義するという試みは、少なくとも私にはとても難しい。

このことからつまり人間には、他者と自分との相対比較、言い換えれば外界と自己とのフェイタルな差異を確かめることによって、自らを発見している一面があるのだと思います。

極言すれば人間は世界と摩擦することによって初めて、自己の内界を覗くことが可能になるのだと言えるかもしれません。

ここで話を「投企」に戻しますと、この自分なるものを意図的に発見するために、実存主義では自分自身を積極的に現実の状況の中へ放り込むこと、つまり他者との差異に充ちた世界にあえて自ら飛び込んでみることを通じ、自分の中の真的なもの、置き換えの効かないものと巡り合う可能性を示しています。

むろん言うまでもなく、この世界へのジャンプとはとても恐いものです。

誰に強いられてやるものでもない。

ですがある種の致命的な倦怠が人生を覆い始めた時には、時としてそうした危険な跳躍によって、心の霧を晴らしてみることも有効かもしれません。

まとめ

いかがでしたでしょうか?

今回は「投企」という概念について紹介しながら、「自分と世界」の関係についてまとめさせていただきました。

記事について何かご質問があれば、お気軽に私までご連絡ください。

次回もまた月曜日に更新します♪

それでは、今週もがんばりましょう〜!

※先週末からZUMAが通訳の仕事でNYに行ってます。帰国は明日の朝になるとのこと。いいなあ。


著者紹介

合同会社OWNERS副代表
HARU


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