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電車を眺める親子の先祖は何を見ていた?

 暖かい日が増えてくると、最寄り駅の近くでよく見られる光景があります。線路脇に立つ親子です。

 子供にせがまれたのか、もしくは親が誘ったのか。どちらにしろ子供は電車に夢中です。電車が通過するたびにガン見するのは当然として、ずっと手を振る子もボチボチいます。何も通っていない時だって次に来る電車をワクワクしながら待っています。一方の大人はやる気がありません。子供に話しかけるのは相当いいほうで、子供を抱えながらだるそうにぼんやりしている人、電車よりスマホに夢中な人、誰もがローテンションです。いや、そんなもんでしょう。大人は電車を散々見てきたんですから。

 私は考えました。今の親子はたまたま電車だけれども、電車がない時代までさかのぼっても似たような親子がいたのではないかと。機関車だったり、ガレー船だったり、牛車だったり、でかくて動くやつを子供は遠くから夢中になって眺め、その隣では親がローテンションで立っていたのではないかと。何なら親はでかくて動くやつなんて見向きもせず、まったく別のことをしていたのではないかと。

 いやいや、牛車くらいで満足してはいけないでしょう。もっと過去にさかのぼってもそんな親子がいたに違いありません。遠くからマンモスの群れを眺めてはしゃぐ子供の横で、父親は黙々と狩猟道具の手入れをしている。そして、たまに子供がマンモスに近寄ろうとして、お父さんに怒られたりする。そんな光景がそこらじゅうで見れたに違いない。

 もちろん、マンモスを眺める親子は私の推測ですけど、たぶんあっただろうという妙な自信があります。元気よくはしゃぐ子供と、それを半ばうんざりしながら見守る親御さんは、国や時代を問わず一定数見られたからです。でかくて動くものを見る親子だって、国や時代を問わず一定数いる、普遍的な親子像である可能性は高いのではないでしょうか。

 そうなると、気になってくるのが「いつからそんな親子像が出来上がったのか」です。ウィキペディアの情報で恐縮なのですが、どうやらマンモスは約400万年前に現れ、1万年前までは生息していたらしいとのこと。人類がものを作るなど文化的な創造性を見せたのが5万年前だそうなので、マンモスを眺める親子はなんだか実在しそうな感じです。

 更に、ヒト属がアウストラロピテクス属と分化、つまり別の種類の生き物となった時期は約200万年前とされています。なんかものすごい数字が出てきてますが、マンモスを眺める親子はひょっとしたら200万年前くらいにはいたかもしれないという、ザックリとした妄想ができます。でかくて動くものを見る親子は最もさかのぼってそれくらいだろうと、そう考えていました。

 しかし、ある日、上野動物園に行って、私の考えは覆されました。上野動物園にはゴリラがいるのですが、そこでもはしゃぐ子供とそれを半ばうんざりしながら見守る親御さんがいたんです。もう、動きから表情まで人間と大体一緒です。月並みの表現ですが、中に人が入ってるんじゃないかとすら思いました。

 国立遺伝学研究所のサイトによりますと、ヒトとゴリラが分化したのは、656万年前とされています。ただし、誤差として±26万年くらいあるかもしれないとのこと。前出の通り、マンモスが現れたのは約400万年前と言われており、誤差を考慮に入れたところでマンモスよりも余裕で昔です。まさかマンモスよりさかのぼるとは。でかくて動くものを眺める親子の起源は、マンモスではない別の巨大生物を眺めていたことになります。

 しかし、話はこれで終わりませんでした。ある日、自宅で動物の動画を見ていましたところ、はしゃぐ子犬をうんざりした様子で眺める親犬の姿が。思いましたよ、「えっ、犬も?」と。

 残念ながら、犬の親子が電車を眺める姿を見たことはありません。いや、ゴリラだって見たことないですけど、でもそれは、電車の走ってるような場所は犬もゴリラも自由に駆け巡れる環境でないだけでしょう。線路のそばまでくれば人もゴリラも犬の親子だってきっと同じです。というわけで、検索してみました。すると、ヒトとイヌそれぞれの祖先が分化したのは約1億年前という説が出てきました。

 とうとう億ですか。ちなみに、1億年前は余裕で恐竜がその辺を歩き回ってた時代です。恐竜なんてでかくて動くものの典型みたいなやつらですから、我々の先祖が親子で遠くから眺めていたに違いありません。

 電車を眺める親子は、遥か昔、恐竜を眺めていた頃の遺伝子がそうさせているのかもしれませんね。なんか無駄にロマンを感じる妄想になってしまいました。

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