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私のNo.1ゴールキーパー【OWLオムニバス】

こんにちは。あしかです。

先週末にJ3リーグ、JFLが開幕しましたね。

さまざまなカテゴリのクラブを応援している仲間たちが集う、OWL magazineや読者のみなさまがそろってサッカーを楽しめる日がようやくきたのだ!と思っています。

まん延防止が21日に解除となる報道がありました。アウェイ観戦へ行くサポーター旅が活発になることを願ってやみません。

さて、今月のオムニバス記事のお時間です!

当企画は、OWL magazineに寄稿しているメンバーだけでなく読者を中心としたコミュニティOWL's Forestのメンバーも参加しています。

OWL's Forestでは、オムニバス記事への参加以外にもたくさん楽しい特典をご用意しています。メンバー間の交流はもちろん、ラジオ番組の制作・企画などにチャレンジする創作活動を行っています。本の出版企画、イベントなどの先行案内もあります。

3月のオムニバスも4名の記事をご紹介いたします。※全文無料記事です。

川口能活、私の永遠のヒーロー(Harako)
神山竜一 アビスパのキングGK(大城あしか)
「西尾 隆選手」と書いてひたむき愛され人間と読む。(さとうかずみ@むぎちゃ)
林一章 印象ナンバーワンGK(KAZZ)

川口能活、私の永遠のヒーロー

「自慢のサッカーグッズ」がテーマだった前回、私はGKのアクリルスタンドがもつ不思議な力を紹介しました。

妄想でも誇大広告でもなく本当の話です。しあわせになりたいみなさん、アクリルスタンドを買いましょう!

さて、グッズに含まれるか微妙だと思い前回は紹介しなかったのですが、実は私のデスクには、もう1人GKがいます。

チームを問わずグッズを集めるくらいGKというポジションを好きになる、そのきっかけをくれた選手。

それは彼です!

日本が誇る炎の守護神、川口能活選手。

これは、カルビーが販売していた「日本代表チップス」に付いていた選手カードです。数回しか買ったことがありませんが、それで川口選手を引き当てたのは、我ながらラッキーですね。

カードには「31 July 2004 Chongging vs.Jordan」の文字。

2004年7月31日、重慶、ヨルダン戦。

このアジア杯準々決勝で何が起こったかは、長々と説明するまでもないと思います。

PK戦で0-2とリードされてから、奇跡的なセーブを2回も見せ、チームを救った川口選手。

ヨルダンの最終キッカーはポストに当てて失敗しましたが、これもきっと川口選手が放っていた力によるものではないでしょうか。

GKは頻繁に「守護神」と称されますが、本気で神のような、人間離れした何かの力を感じたのは、このヨルダン戦の川口選手だけかもしれません。

私が川口選手を知ったのは、1998年のフランスW杯でした。炎の柄のユニフォームを着てゴールを守る当時22歳の川口選手は、本当にかっこよかった。小6の私がサッカーにはまり、GKにはまったのは、間違いなくそれがきっかけの一つでした。

そして高3の夏、2004年のアジア杯で、所属チームでも代表でも試合に出られていなかった川口選手の活躍を久しぶりに見られて、本当にうれしかったのを覚えています。

翌日から張り切って受験勉強に励み、張り切りすぎたのか夏風邪を引いて寝込みました。

このヨルダン戦は、所信表明に書いたEURO2008のトルコークロアチア戦と並んで、私に力を与えてくれる試合です。上で紹介したPK戦の動画は、落ち込んだときや気合を入れたいときに見ます。川口選手のカードも、デスクに常備してお守りにしています。

というわけで、好きなGKは数十人規模の私ですが、「No.1」を1人選ぶなら、間違いなく川口選手です。

アジア杯の後も長く活躍した川口選手。2018年、SC相模原で迎えた引退試合は、当時住んでいた名古屋から見に行きました。会場に用意されていたメッセージ横断幕に何を書くか、いろいろ考えましたが、胸がいっぱいで、こんな月並みな言葉しか出てこなかったのでした。

「お疲れさまでした。永遠に心のヒーローです!」

【おまけ】
カードの裏面です。懐かしい顔ぶれ!

英語で直談判して、PK戦の途中でエンドを変えさせた宮本選手もかっこよかったなあ。

Harako
おもに登山と中東とサッカーについて執筆。「GKが好きな理由を面白く言語化できたら記事にしてもいい」と中村慎太郎氏から言われ頭を悩ませてきたが、ついに近々なにか書けるかも。最新記事では牛をバラしています。
【主な執筆記事】
サッカー切手のひみつ〜牛とボールを大解剖!〜
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神山竜一 アビスパのキングGK


私が応援しているアビスパ福岡におけるゴールキーパーの中で、もっとも長いシーズン在籍した選手が神山竜一氏(以下、敬称略)だ。

神山は、大阪市堺市出身、ガンバ大阪堺ジュニアユースを経て立正大湘南高校のサッカー部に所属、2003年に高卒でアビスパ福岡に入団する。

ルーキーイヤーの背番号は30。当時J2で戦っていたアビスパで試合の出番はなかった。翌2004年から背番号16に変更するもリーグ戦デビューはお預け。

神山のプロデビュー戦は、2005年の天皇杯。

京都府代表の佐川印刷SC戦。29分に先制した1点を守りきり勝利に貢献した。

そして、2006年J1に昇格したアビスパ福岡だが、J2で出番のなかった神山にリーグ戦デビューの機会が訪れた。

5月6日 J1第12節、サンフレッチェ広島を相手にしたアウェイゲームだった。

結果は0-1で惜敗。当時、私はスカパー!で観戦していたのだがサポーター目線では十分J1で戦っていけるように見えた。しかし、このシーズンで神山がリーグ戦のゴールを守ることはなく、チームもJ2に降格の憂い目を見ることになった。

しかし、2007年からは背番号1とレギュラーの座をつかみ、アビスパの守護神へと成長を遂げると「ゴリ」の愛称でファン、サポーターからも人気を得る。

アビスパのキングと呼ばれている城後寿(2005年入団)と共に、アビスパの顔として活躍する。城後よりアビスパの在籍年数が長いことから、サポーターの一部から「真のキングは神山だ」という声も聞かれることもあった。

ちょうどこの年に、アビスパはクラブ創設12周年記念モデルのユニフォームを販売した。私は、真のキング神山のユニフォームを買うことにした。何枚もユニフォームを購入しているが、はじめて手にしたゴールキーパーのユニフォームであり、これが唯一である。

神山ユニを着てゴール裏へ応援へ行くととても目立つので、試合に着ていくことは少なかったが、仲間うちでフットサルをやるときはよく着ていた。

OWL magazineの仲間には周知のことだが、私はフィールドプレイがうまくないため自らゴレイロ(ゴールキーパー)に手を上げていた。

その時に神山ユニを着ていったのだ。そのようなエピソードがあり、思い入れの強い1枚でもある。

神山は2018年シーズンで16シーズン在籍したアビスパを契約満了で退団、翌年からJFLのラインメール青森へ移籍した。そして、2020シーズンで現役を引退。18年の選手生活に幕を閉じた。

2021年4月17日にはアビスパの試合後に引退セレモニーが行われた。
そのときの本人のメッセージはこちら。

引退後はクラブに残らずに同じくアビスパOBの中村北斗と大豆製品の移動販売をはじめて、現在は団子屋さんを営んでいる。

次に帰省した日には神山ユニを着てお店へ立ち寄りお団子を買おう。

今はお団子屋さんの神山がいつの日か、コーチとしてアビスパに帰って来てくれる日を楽しみにしている。

大城あしか
アビスパ福岡、埼玉西武ライオンズを応援している千葉県民。
OWL magazine新人ライター。2021年9月に創業した株式会社西葛西出版の副社長に就任。
【主な執筆記事】
黒い霧の歴史を知っとったらアビスパを応援せないかんばい
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「西尾 隆選手」と書いてひたむき愛され人間と読む。

※写真はクラブ広報担当者よりご提供、掲載許可をいただいております。

「西尾 隆」。

誰やねん。

恐らくこれを読んでいる誰もがそう思っているだろう。

まあ、こんな私でも15年、色々なカテゴリーのサッカーを観てきて、誰もが知るような名実共に素晴らしい、プレイや心意気に感銘を受けたGKも沢山いた。

しかし、今回のオムニバスのお題を見て、迷わず「西尾 隆」選手の事を書こう。そう思った。

だから、「西尾 隆」って誰やねん。

1993年9月7日生まれ 東京都三鷹市出身。

JAPANサッカーカレッジ卒業後、Y.S.C.C.横浜セカンド、FC岐阜SECOND、その後ジョイフル本田つくばFCは今期6年目か…。

背番号1番。180cm。

ずっと支えて付いてきてくれる可愛い彼女がいる。

西尾君、ここまでの紹介で何か相違があれば、連絡してきてくれたまえ。

ちょっと待て。

ジョイフル本田つくばFCってどんなチームやねん。

1976年筑波大学のOB 、大学院生を中心に発足。1978年ジョイフル本田サッカー部として茨城県リーグ加盟、2014年関東サッカーリーグ参入。2006年よりチーム名が「ジョイフル本田つくばFC」(以下、つくば)となった。

西尾君の話に戻そう。

過去にはTFCC(三角繊維軟骨複合体損傷)手首靭帯断裂などGKには致命傷ともなりそうな怪我に見舞われ苦しんだようだ…。

彼との出会いは、JAPANサッカーカレッジ時代。

2012年。JAPANサッカーカレッジ(以下、CUPS)FORTUNA CUPS所属。闘将、佐藤光将(我が息子である)と共に県リーグから北信越リーグに見事引き上げた同志であった。

闘将佐藤光将と西尾 隆

当時の監督も、前シーズンを怪我に泣き、それでもチームの一員としてひたむきに献身的に頑張った選手をキャプテン、副キャプテン起用の理由にされていた素晴らしい先生の元。

華やかな印象のCUPSの中でも、色々と苦労して雑草魂で頑張る選手が多いチームであった。

同じ学校内でも闘う集団であり自分も含め全てがライバルである環境の中、語弊があるかもしれないが、変にギラギラしていない「素直で真面目。思いやりのある選手」が多いアットホームなチームだと言う印象だった。

痛む西尾の状態をベンチに知らせる闘将

もちろん西尾隆も礼儀正しく、懸命でとても印象のいい選手だった。卒業してそれぞれの道に進んだ同志達のその後も、母親心で見守り気にしていた。

岐阜SECONDにいる時、久しぶりにTMで会うことが出来た。変わらず、真面目で礼儀正しい。良き苦労人であるところもどうやら変わっていなかった。

その後、つくばでも、サポーターに凄く愛されていて、ピッチ以外のところでも凄く頑張っている事を、時折耳にし、「そうでしょ、そうでしょ、ほんと良い子なんです。」と勝手に誇らしく思ったものだ。

つくばのサポーターでこよなく西尾を愛している方がいる。

選手として頑張っている彼には、申し訳ない言い方に聞こえるかも知れないが、「例え試合に出ないとしても、西尾君がいないジョイフル本田つくばFCは考えられない」と言わしめた。この上ない褒め言葉ではないだろうか。

今回この機会に改めて、当時の闘将に西尾君を一言で表すと?と問う。

「いじられキャラ」と。

ほっこりな答えが。
もう、どれだけ愛されキャラなの!

※写真はクラブ広報担当者よりご提供、掲載許可をいただいております。

「西尾隆 サッカー」とググッてもセレッソ大阪の「西尾隆矢」の方が先にhitしちゃうけど、こんな人間として素晴らしい選手が茨城県でサッカーしています!ゴールマウスやらいろんな物を守っています!

ヌルいと言うなかれ。
サッカー選手である前に地味に歯を食いしばり生き抜礼儀正しい人間である彼。

ぜひ、そのプレイは実際に観てみて欲しい。

彼は、昨年のつくばの Webニュース ブログリレーで「誓います」という題名で決意を語っていた。

「一番声を出します。」
「仕事も頑張ります。」

シンプルだけど潔い。飾り気ない決意の言葉。

彼らしいと思った。

西尾隆選手を愛する方々にぜひ聞いてみたい。

「西尾 隆選手」と書いて何と読む?

※写真はクラブ広報担当者よりご提供、掲載許可をいただいております。

さとうかずみ@むぎちゃ
ヴィアティン三重、栃木SC、そして船山貴之のサポーター。OWL magazine代表の中村慎太郎に「サッカー界には彼女を表現する語彙がない。」と言わしめた。
【主な執筆記事】
サッカー旅の正装、レプリカユニフォームの正しい使い方
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林一章 印象ナンバーワンGK


未だに庄司孝と彼がFCセントラル中国を名乗っていた頃から、デッツォーラ島根ECに籍を置いていたのか、実は全くわからない。

故・若三康弘さんに誘われてのことだろうのは、何となく想像がつくのだけれど。

庄司孝はまだいい。彼は選手キャリアのほぼ半分ぐらい、ずっと島根に根を下ろしていた。2020年は、デッツォーラ島根ECの活動がほぼ無かったので、それを思うとまさか今も現役選手でもないだろう。

それでも、2005年から15年間はいたことになる。

さて、今回の主人公の林一章という人。

彼は2004年にFCセントラル中国に入り、2017年までは籍を置いていたようだ。それまではFC東京や水戸ホーリーホックにいたそうだ。

ただ、彼は高校で教師をしたり、伊賀FCくノ一でコーチ業をしたりもしている。そういう活動も多いので、レギュラー的に帯同しているわけではなかった。

2011年の天皇杯で、フクアリでジェフ千葉とデッツォーラ島根ECが試合をした時、島根のゴールを守ったのは彼だった。

その時の動画を見ると、この人は本当に立派だな、キャリアが違うなあ、と思わざるを得ないのだ。

しかも、この試合、林は若三さんに頼まれて出場したらしいのだ。頼む方も頼む方なら、引き受ける方も引き受ける方だ。

そして、出場して惜しくも敗れはしたものの、タイトロープ感満載の試合を演出もしたのだから、いやはや。

それから4年後の2015年9月、林の姿は浜田市陸上競技場にあった。何故かは知らない。若三さんから呼ばれたものと思う。

彼はデッツォーラ島根ECのゴールマウスを守っていた。この年、中国リーグで優勝した松江シティFC(今はFC神楽しまね)を迎え撃った。

残念ながら試合は松江シティが勝ったが、林のプレーに衰えなんて感じなかった。松江シティはこの頃、中国リーグで無双状態だったが、そんな彼らに一歩も退かなかった。

試合後、若三さんを介して引き合わされたが、こんなどこの馬の骨ともわからない風来坊に彼は誠実に応対してくれた。そんな彼の人柄が好きになった。

林一章という選手は、プレーをそんなに頻繁に見ているわけではないのだけど、何故か惹かれるものがあった。

故・若三康弘さんという強力な磁場のような包容力を持つ人によって、庄司孝同様に彼も引き寄せられたに違いない。

そうでなければ、島根県の片田舎にあるようなチームのために、招集をかけられて喜び勇んでくるわけがない。

今、彼は国内サッカー指導の傍ら、シリア難民のためにも一肌脱いでいるという。この先も彼はいろいろと活動し続けるだろう。

KAZZ
OWL magazineに月1ペースでShort Letterを寄稿している、得体の知れない島根県民のおっさん。OWL magazineにこの先何を書くべきかを真剣に模索している。現在、右足中指や薬指の付け根に負った怪我が容易に治らないので、困っている。
【主な執筆記事】
島根県民なのにガイナーレ鳥取を愛好する偏屈なおっさんの話
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