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【OWLオムニバス特別編】W杯3部作①〜日韓W杯の思い出〜

秋も深まる今日この頃、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
OWLmagazineオムニバス担当のハラコです。

すでにお知らせの通り、このたび当マガジンは新しくウェブサイトとして生まれ変わることになりました。

新サイト完成までの準備期間は記事更新をストップしていますが、月に一度のオムニバス企画は、これまでと変わらず無料記事として公開します。

そして、OWLオムニバス史上初(たぶん)の、3ヶ月連続型のテーマを打ち出します!

テーマとなるのは、とうとう来月にせまったサッカー界の一大イベント。
そう、カタールW杯です。

Jリーグや地域リーグなどの話題が中心のOWLmagazineですが、この4年に一度の祭典に乗っからないのはもったいない!ということで、3回連続でW杯の過去、現在、そして未来へつながるオムニバス記事を掲載してゆきたいと思います。こう書くとなんだか壮大なプロジェクトのようですね。

初回の今月は「過去編」ということで、「日韓W杯の思い出」をテーマに記事を募集しました。

ちょうど20年前に開かれた、初の自国開催ワールドカップ。
みなさんはどこで何をしていたでしょうか。
幼くて記憶がない方や、まだ生まれていなかった方もいるかもしれません。

OWLmagazineライター陣にとって、どんな体験をして、どんなことを考えたW杯だったのか。あるいは日韓W杯の影響で、今どんなことを考えて過ごしているのか。

それぞれの2002年を、ぜひお読みください。


上から目線の評論家嫌いは、日韓から続いていたらしい(中村慎太郎)


今のぼくは、熱狂的なサッカーファン……という感じではないものの、サッカー旅をライフワークとしていて、日々サッカーのことばかりを考えている。

熱狂して自我を失うようなことはまったくなくて、毎日お風呂に入って歯を磨くように、サッカーの情報を見て過ごしている。

そんなぼくがサッカーファンになったのは2010年。ワールドカップ南アフリカ大会をテレビで見てどハマりしたのだ。2006年のドイツワールドカップは、何試合か見たけど見ながら寝てしまった記憶がある。ジダンの試合だけは見ていて、決勝での頭突きもリアルタイムで見ていたような気がする。

さて、2002年の日韓ワールドカップ。狂ったほどテレビで放送しているので大まかな情報は知っていた。が、ぼくはあんまり関心がなく、大学で同じクラスのますーん(という人)が何かの試合を見に宮城まで行って、お土産に笹かまぼこをもらったのだが、随分奇特な奴がいるものだと思った。だって、サッカーを見るためだけに仙台まで行くのなんてどう考えても無駄ではないか。

といっていたぼくが、FC東京の天皇杯準々決勝を見るために仙台に向かうのは11年後。そのあと日本代表を追ってブラジルまで行くのだから人生何があるかわかったものではない。

日韓W杯の思い出。
多くは語らないけど疑惑の判定。ここから今のネット言論の流れが生まれたのだがそれはここでは語らない。
ぼくは日本以外にイタリア代表だけは応援していたので、退場するトッティの姿がずっと忘れられない。
モネール。誰だか知らないけどいつもテレビに出ていた。
ベッカム、マイルドヤンキーが髪型を真似していた。
ロナウド、誰も真似していなかった。
ロベカル、優勝したあとなぜか怒っていた。
カメルーン代表を呼んだ、どこかの村か町。などなど。

思い出してみると、それほど関心がなかった自分にとっても思い出はあるものだ。

日本戦は勝った負けたに一喜一憂していて大変楽しめたのだが、あの頃からサッカーのことを上から目線で論評する人たちがすごく嫌いだった。

サッカーのことを語れるのがそんなに偉いのか。何の努力もしていないおまえが、選手や監督よりも偉いのか。

その気持ちは今でも変わっていなくて、現場で働く選手や監督などを上から目線で批判する人は、何が楽しくてサッカー見ているんだろうなぁと思ってしまうわけです。

というわけで、中村の描くサッカーは肯定的な文章になっています。言うべきときは烈火のごとく言いますけどね!

中村慎太郎
OWL magazine代表。呪いのように襲いかかるすたすたぐるぐるの制作によって年の半分くらいは意識を失っている。本当に面白いので、埼玉編、信州編を是非ご購入ください!西葛西出版の本屋さんで買うと、ぼくの直筆メッセージが届きます!
【最新記事】みんなで遊ぼうOWL山。会社を大きくして山を買いたいおじさんの話。
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元サッカー少年の失望と、バードスタジアムにやってきたアフリカン(斉尾俊和)


日本にとって初めてのサッカーの祭典は、ちょっとした失意の中でやってきました。

ワールドカップがやってくる2ヶ月前、鳥取県の高校一年生だった僕はサッカーをやめました。当時はやめた理由を持病の腰椎分離症のせいだと友達や家族に説明はしていましたが、今思うと「逃げ」だったのかなと思います。

中学校から高校で上がった競技レベルからの「逃げ」です。しかし、コルセットをつけたり、日々の練習で腰回りの筋肉を鍛えたりすれば、サッカーは続けられていたはずでした。なのにやめてしまいました。

小学4年生から、あんなに打ち込んでいたサッカーをいとも容易く手放してしまった――。

自分への失望を噛み締めていた矢先、エクアドル代表チームがワールドカップでのキャンプ地を鳥取県とすることと、セネガル代表との強化試合が鳥取バードスタジアムで大会前の5月に開催されるニュースが入ってきました。

サッカーへの後ろめたい未練を抱きながらも、元サッカー少年の熱望は留まることを知りません。両親にチケット代をせがみ、一緒に観戦する友達を探しました。

高校のサッカー部で練習に打ち込む友達は何だか誘いにくい。なので、サッカー部から帰宅部へと同じく転身を遂げた友達と観戦するのであれば、サッカーをやめた後ろめたさも軽減されるだろう。こんな小賢しい心のケアを自らに施して、エクアドル対セネガルの日を迎えました。

当日は鳥取駅で友達と待ち合わせ。いつも人がまばらだった駅前のアーケードはエクアドルと黄色とセネガルの緑がパラパラと点在し、バードスタジアムへ向かうシャトルバスの待機列が発生しています。

決して、商店街が人でごった返して、シャトルバス待機に行列ができているほどの熱狂ぶりではありません。ですが、目を凝らせばたしかにサッカーの熱をところどころに感じられます! ワールドカップが過疎に悩む鳥取にもやってきたんだ、と感動さえしました。

バードスタジアムに着くと、その熱狂はボルテージを上げていきます。スタンドではセネガルやエクアドルの黄・緑が点在どころじゃなく密集し、現地からやってきたサポーターが何やら大きな声を上げて歌っておられます。バックスタンドで目の前がピッチという特等席で、キックオフのホイッスルを待ちます。

試合が始まり、世界のサッカーに驚き、酔いしれました。とくにセネガルのアフリカンたちの身体能力たるや。F1カーが目の前を走ったんじゃないかという疾走感と躍動感。ちょっとした腰の痛みでサッカー生命を絶った自分をぶっ飛ばすくらいの衝撃でした。

鳥取では毎年、高校駅伝の大会「日本海駅伝」が開かれ、全国の注目選手が集結するのですが、山梨学院大附属高校のメクボ・ジョブ・モグス選手が因幡路を高速で目の前を駆け抜けていった時以上の衝撃が身体を貫きました。

やっぱり、サッカーは最高だ。プレイヤーとしては逃げちゃったけど、ずっとサッカーのそばにいよう。

多感で繊細な高校時代の思い出。そのなかに日韓ワールドカップの熱狂はたしかに存在していたのでした。

斉尾俊和
OWL magazineで酔っ払いながら記事を書いている鳥取出身の36歳。6月から編集長に就任したはいいものの、お酒の飲み過ぎをメンバーに指摘されて自粛中。だけど、やっぱり飲んじゃう自堕落編集長
【主な掲載記事】鹿島の神々をトンテキに見た日。サッカーと酒を求めて中野坂上の路地裏へ
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おばあちゃんとトッティ(Harako)


私の父方の祖母は、大正2年?3年? 詳しくは覚えていないが、確かそれくらいの生まれ。勉強が好きで成績もよかったが、戦争や家庭の事情で進学せずに嫁いだ、と聞いている。戦後まもなく祖父と死別し、洋裁を教えながら女手ひとつで子ども3人を育てあげた。

まさに、激動の時代を生き抜いてきた女傑。

そんな祖母が2002年6月、少女のように目を輝かせていた。

「ツネ様ってクールで素敵ねえ!」

日韓W杯が始まると、まずこう言って騒ぎだした。
ツネ様とは日本代表の宮本恒靖選手。落ち着いた知的なたたずまいとプレーが、確かにかっこよかった。

好奇心旺盛な祖母は、そのうちに日本以外の試合もチェックし始めたらしい。そして、対ツネ様の比ではない熱量で騒ぎだした。

「ポルトガルのフィーゴは渋くて素敵ねえ!」
「トッティって知ってる?ローマの王子様!」

そう、祖母はラテン系のイケメンが好きなのである。
若いころ苦労した自分へのご褒美だと言って、たまにイタリアやスペイン、ポルトガル方面へ旅行に出かけては「向こうの男の人はみんなカッコいいのよ〜」と、ニコニコしながら話していた。

日韓W杯の間も、一世を風靡したイングランドのベッカムや韓国の安貞桓ではなく(どちらもちゃっかりチェックして「可愛いねえ」と言ってはいたが)、一貫してラテンヨーロッパの国の選手を推す姿勢を貫いていたのがあっぱれだ。

毎日試合を見ては、各国のイケメンに酔いしれる祖母は、80代後半とは思えないエネルギッシュさ。今でいう「推し」の力というやつである。

家族の中で特に祖母と仲がよく、サッカー観戦が好きだった私は、おのずとイタリアやポルトガル、スペインの試合を見るようになった。
確かにフィーゴもトッティも素敵だった。顔はもちろんのこと、プレーもカッコよかった。そしてブッフォンやカシージャスの存在を知った私は、すごい勢いで世界各国のGK沼に引きずり込まれてゆくのだが、それはまた別のお話。

私が日本以外のサッカーも熱心に見るようになったのは、間違いなくこのときの祖母の影響だろう。サッカーは世界で愛されるスポーツ。サッカー観戦の楽しみは無限大。ラテンの男はカッコいい。
それを祖母が教えてくれた、2002年の初夏だった。

祖母は10年以上前に亡くなったので、もう一緒にサッカーを見たり、イケメン選手の話題で盛り上がったりできない。でもきっと空の上で、カタールW杯を楽しみにしているはずだ。

そろそろ選手名鑑を買いに行かなければ。そして、祖母のお眼鏡に叶いそうなラテンの色男を探すのである。イタリア代表は残念ながら出場しないが、きっとどこかにトッティみたいな王子様がいるはず。
待っててね、おばあちゃん!

数年前ローマに行ってみたけど、王子様は見つからなかった。これは明らかに日陰でサボっている警察官

Harako
トルコはじめ中東各国、デンマークなど、世界各地に節操なく推しチームをもつ女。その原点は敬愛していた祖母にあることが、いま明らかになった。デンマークは本当にいいチームで注目株なので、みんな絶対見てくれよな!
【主な掲載記事】祝・W杯出場決定!デンマーク代表溺愛のススメ
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