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おとこたちの「カジュアルダウン」

先日、休日出勤をした。

立て込んでいた年度末の業務をちょっとでも進めるためで、私の他にも何人かの同僚が出勤をしていた。

え?在宅でできないの?という私の職場へのツッコミはおいとくとして、このたびの休日出勤で、私が特に印象に残ったことがある。それは「男性の装い」についてだ。今回はこのことについて書いてみようと思う。

休日出勤とカジュアルダウン

私はいまの部署にちょうど1年前に異動してきたのだが、この職場での休日出勤は今回がはじめてである。休日といえど出勤なのでと、特に何も考えることなく、平日に出勤するときと同じ服装で家を出た。

ところが、その日出勤していた他の男性の同僚は、どうやら平日と違う服装で出勤してきているらしかった。「らしかった」というのは、ぱっと見気づかない程度の違いの人もいたためだが、他ならぬその人に「平日みたいなカッコしてるね(笑)」と言われたので、本人としてはやはりいつもと違う服装という意識だったようだ。どう違うかというと、全体的にカジュアルダウンしている印象である。どうも、休日出勤の時はカジュアルな服装でOKという意識が男性の同僚の中で共有されているらしい。

仕事と服装

私の仕事は基本的にはデスクワークだ。服装について、特に決まりがあるわけではない。といっても比較的お堅い業界なので、男性の場合はスーツか、それに準ずるような服装が基本となっている。細かい点は個人の裁量に任されているものの、おおむねシャツとスラックスはみんな守っている、という感じだ。平日に襟なしのカットソーにジーンズとか、プルオーバーのパーカーにカーゴパンツでパソコンに向かっている人はまずいない。

私の場合、仕事で着る服については①快適さ②持続可能性③周囲との調和④自分の好みの4点を検討して選んでいる。①は気温との兼ね合いや動きやすさ、着心地など。②は毎日のハイペースでの着用に耐えられるものかどうか。価格と買い替えペースなどからみたコストパフォーマンス、また洗濯・アイロンなどのケアをどこまで自分でできるかといった点も結構重要だ。そして①②を満たす服を、③の条件にかなう装い、私の職場でいえば「シャツやスラックスを基調とした服装」の中で、④自分自身の好み(色、柄、素材など)とすり合わせながら選んでいくということになる。

そして、いったん服装のルールやルーティーンが自分の中で確立してしまうと、あとは気温に合わせて羽織物を追加するとか、大事な打合せの日はちょっとカッチリめにするとかの微調整のみで、一から服装を考える必要がなくなるので、これはこれで楽だったりする。結果的に、1シーズンで2~3パターンを着まわす日々となる。このたびの休日出勤も、私の中ではその延長上にあった。

にじみ出る自己表現

ところが、冒頭にも書いた通り、私の職場では休日出勤ならではの謎の「カジュアルダウン」があった。そう、これは謎といえば謎である。休日と言えど平日と同じ場所で平日とほとんど同じ業務をしているわけで、あえてカジュアルに装わなければいけない業務上の理由は、どう考えても存在しない。

ここで改めて、当日の周囲の服装を思い返してみる。ある人は、普段は細身のスーツをきっちり着こなすタイプのおしゃれさんだが、その日はチャコールグレーのハイネックのカットソーにゆったりとした黒いパンツを合わせていて、やっぱりおしゃれさんだった。またある人は、平日にはシャツとカーディガンばかり着ていた印象だったのに、その日は黒いパーカーとグレーのジーンズという組み合わせだ。別のある人は、普段からシャツにニットとスラックスという装いが定番で、その日もシャツとニットだった。ただ、ニットの色が普段は見ないような明るいグレーで、よく見るとボトムスがイージーパンツのようだった。

仕事とはいえ、カレンダー上では休日なのだから服装くらいリラックスしたいというモチベーションかもしれない。あるいは仕事用の服は休みの日には洗濯中で物理的に着られないという人もいるだろう。ただ、どういう動機にせよ、私にはその場が、結果的にであれ男性たちにとっての服装による自己表現の場になっているように感じた。

思えば、その日出勤していたのは私と同世代か少し上の年代、年齢でいえば30歳前後~30代半ばまでの人たちがほとんどだった。個人差はあれど、この年代は男性であってもファッションへの意識が高い人は少なくないし、年齢的にも「自分なりの着こなし」のようなものをある程度確立しているタイミングだと思う。そして、その日見た同僚たちの装いには、「自分はこういう風に見られたい」「これが自分が思う自分なんだ」というような「自分自身へのまなざし」とともに、彼らのこれまでの「人生」や「生き方」そのものがにじみ出ているような気がした。大学生が自由にファッションを楽しんでいるのともまた違う、それまでの人生を経て到達した、アラサーならではの「これが私の着こなしなんだ」というような自己表現をそこに感じた。

暗黙のドレスコードの是非と性差

もちろん、ここには私の職場における暗黙のドレスコードの問題があることは確かだ。デスクワーク中心の職場で、必然性もないのに「周囲との調和」のためになんとなくみんなが同じ服装をしているという状況は、そもそも健全だといえるのか。そして、この状況には男女間で明らかな差がある。女性の場合、男性ほど画一的な服装を求められていない。このことは、現状改善しているとはいえ、女性を排除するような風潮が、文化として私の組織に残存していることを伺わせるものだ。また、なんとなくであっても男女の枠組みに則って服装のきまりが存在することは、ノンバイナリーなど、一部のセクシュアルマイノリティの人にとっては働くための大きな障害となりうるだろう。

おとこたちの「解放」と「私の着こなし」

今回、休日出勤で私が目にした男性の同僚たちの「カジュアルダウン」は、平日に彼らが受けている男性ならではの抑圧からの解放の時間でもあったのではないだろうか。意識的にであれ無意識の内にであれ、私の周囲のおとこたちは、職場で自分を解放する場を求めていたのかもしれない。

また、ここまで書いてきて、普段なかば機械的に2~3パターンの服装でやりくりしていた自分が少し恥ずかしくなってきた。定型的に見えていた平日の男性たちの服装にも、よく見ると彼らの自己表現が隠れているような気もする。私も休みの日は私なりにおしゃれを楽しんでいるつもりだが、大多数の同年代に比べて社会人経験が足りていないというのもあり、まだまだ「私の着こなし」には到底たどり着けていない。中身も鍛えつつ、ファッションも精進していきたいな、と心を新たにした休日出勤であった。



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