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ショートストーリー『ガーが笑う空』

昨年『ガーが笑う空』という絵本用の物語を書きました。
ある絵本大賞企画への投稿用でしたが、晴れて選外になりましたので、こちらで公開します。
隠しテーマもあるお話で(そんなに隠れてません)、連作も想定してますので、よろしければよろしく。

 ~ ~ ~

『ガーが笑う空』

アフリカ大陸の真ん中、広いサバンナの東にある湖のような大きな沼に、100種類を超える動物や鳥や虫が暮らしています。
沼の周辺にはパピルスが生い茂り、一帯は湿った空気で覆われていますが、水や日陰や風があるので、他の土地から動物たちが集まってきます。
おかげで沼はいつも大にぎわい。


沼の水辺では、さまざまな動物の家族や鳥の群れが、それぞれにおしゃべりしたり、水浴びをしたりしながら、幸せに過ごしています。
そんな水辺の、みんなから少し離れた場所にぽつんと一羽、ひときわ目立つ大きな頭を持った、灰色の背の高い鳥が立っています。
鳥の種類はハシビロコウ。
ある朝、サバンナの西の方角からたった一羽、風に乗って飛んできて、以来ずっと、沼の浅瀬の同じ場所にジーッと立ち続けています。
誰ともしゃべらないので、みんな名前を知りません。オスかメスかも。


おせっかいなマントヒヒが、ジーッとしているハシビロコウに近づいて、沼の水際から声をかけました。「よぉっ、あんた、名前は?」
そのあと、空の雲が頭の上をスーッと横切るほど長い時間が過ぎた頃、ハシビロコウは金色の眼を眠そうにちょっとだけ開き、二つめの雲が頭の上を横切った頃、大きな頭をブルブルと振り、三つめの雲が頭の上を横切ろうとした時、ひと声鳴きました。
「ガー」
マントヒヒには、ハシビロコウの言葉はわかりませんでしたが、その日からサバンナのみんなは、この無口なハシビロコウを、ガーと呼ぶことにしました。
オスかメスかもわからないため、どちらにも通用する名前として。


沼の反対側の水辺では、サバンナのリーダーであるライオンを中心に、ゾウやキリン、インパラや水鳥など、さまざまな動物や鳥が仲良くおしゃべりしています。
おしゃべりの場では、いつもガーのことが話題に上ります。
ライオンはマントヒヒに訊ねました。「なぜオスかメスか聞かないんだ?」
それに対するマントヒヒの答えは、こうでした。
「何を聞いても、言葉は『ガー』だけだから、わからないんだよ」
横にいたおしゃべりペリカンが、続けて口をはさみます。
「それに、答えを待つのに時間がかかりすぎて、お腹が空いちゃうのよ」
みんな口々に「そうそう」と同意しました。
そしてみんなは、ガーに無理やり声をかけず、見守ることにしました。
ガーにとってはその方が幸せだろう、と想像したからです。
一方で、ガーはそのことを知ってか知らずか、沼に降り立った日とまったく変わらない場所にジーッと立ち、いつも変わらない様子でみんなを遠巻きに見つめています。


サバンナにたくさんの雨が降る季節が来ると、ただでさえ大きな沼は、雨のおかげでさらに広がり、海のようになります。
でも、ずっとサバンナで暮らす動物たちは、慣れたもの。
小高い樹木に雨やどりしたり、少しでも水はけのよい場所に移動したりして、雨の季節が終わる日を待ちわびます。
それでもガーだけは、相変わらず一羽っきり、同じ所にジーッと立っています。
気の優しいゾウが心配して、降りしきる雨の向こうにぼやけて見えるガーに、時々「パオーン」と声をかけましたが、ガーはジーッとしたまま。
心配症のハイエナが「もしかしたら、ガーは死んでいるかも?」とつぶやくので、他のみんなも少し不安になりましたが、時々大きな頭をブルブル振って雨のしずくを払うので、大丈夫です。


雨の季節が終わっても、地面の水はなかなか乾きません。
そしてこの時期、沼の水辺は普段以上に大にぎわい。
広くなった沼の水を求めて、動物や鳥が団体でサバンナ中からやって来るからです。
新顔の動物は、沼でジーッと立っているガーを見つけると、決まってリーダーのライオンに質問してきます。
「あの頭の大きな鳥は、何をしているんだい?」
「あちらにもご挨拶するべきですかねぇ?」
ライオンはお決まりの質問を受けるたびに、「ご自由に」と微笑んでうなずくだけ。
ただ一度、シマウマの長老がこんな質問をしてきました。
「ずっと動かず、何を考えているんじゃろうね?」
それを聞いたライオンは「うーん」と絶句した後、慎重に答えました。
「おもしろいことではないだろうねぇ」


雨の季節から月日が過ぎ、沼が元通りの広さに戻った頃のことです。
乾いた地面に風が吹き、砂ぼこりが渦巻く中、その砂ぼこりをさらに激しくかき立てながら、一台の車が沼に向かって走って来ました。
動物たちは車の大きな音に驚いて、警戒したり逃げたりしました。
相変わらずジーッと立っているガーを除いて。


車から二人のニンゲンが降りてきました。
一人は、アフリカ人の男。この沼に時々現れる車の持ち主です。
もう一人は、黒髪で小柄な女。どこから来たかはわかりません。
男からは「サクラ」と呼ばれています。
おしゃべりペリカンが、あきれたようにライオンに話します。
「あいつ、またシャシンカを連れて来たよ。うっとうしい!」
ライオンは「シャシンカならば平気だろう」と答え、大きなあくびをしました。
多くの動物が暮らすことで世界的に有名なこのサバンナには、時々シャシンカやテレビクルーがやって来ては、みんなの姿をカメラに収めます。
彼らは動物には危害を与えないので、みんな緊張しつつも、相手をしてあげます。
しかしペリカンのように、シャシンカをとても嫌う仲間もいます。


ペリカンはいらいらしながら飛び立って、沼の反対側の水辺に逃げました。
その途中、浅瀬に立つガーに近寄り、吐き捨てるようにこう言いました。
「シャシンなんて、何がおもしろいのかね。ガーも気をつけな!」
ガーはその言葉を聞き、ちらりと水辺に視線をやりました。
水辺でサクラは、何台かのカメラと膨らんだかばんを肩にかけて、手に持ったカメラで動物たちを一心不乱に撮り始めています。
ガーは、さっきのペリカンの言葉を思い出しながら、この沼に来て初めて、いや、生まれて初めて、こんなことを考えました。
「おもしろい? おもしろいって何?」
ガーは、おもしろいという言葉をこの時、生まれて初めて聞いたのです。


しばらくすると、サクラが不意に、ガーのいる方向を向きました。
この時ガーは考え事の真っ最中。頭がおもしろいで一杯でしたが、いきなりニンゲンと目が合ったので、驚いて慌てて、よろけてしまいます。
サクラはそれを見て「あっ」と小さく声をあげ、とっさにレンズの長い望遠カメラに持ち替え、ガーに向けます。
「危ない、銃だ!」と勘違いしたガーは、余計に大慌てをして、いつもは畳んでいる大きな翼を一杯に広げ、バタバタ羽ばたきました。
ガーがこんなに激しく動き回る姿を初めて見た動物たちは、水辺で一斉にどよめきました。


サクラはふと、カメラを下ろして、肉眼でガーを見ました。
視線の先では、大きな翼をバタバタさせ、細長い足で寝ぼけたようにふらふら歩く、大慌てのガーの姿。
さっきまでの謎めいた立ち姿と、今のだらしない姿にギャップを感じたサクラは、思わずプッと吹き出し、「あはははは!」と大声で笑ってしまいました。
そしてガーに向かって、「おもしろーい!」と叫びました。
ふらふらしていたガーは、一瞬動きを止めました。
「おもしろい? 何のこと?」
ガーは、自分の姿や動きがおもしろかったことに、まだ気づいていません。


ひとしきり笑ったサクラは、再び真顔に戻って望遠カメラをガーに向けます。
ガーはまた「銃だ!」と思い込み、慌てそうになりましたが、今度は逆に威嚇してやろうと、さっきよりも翼を大きく広げて、さらに大きな頭を揺すって、くちばしをカタカタカタと強く鳴らしてみせました。
すると、それを見たサクラは、「あははは! おもしろーい! ハシビロコウも笑うんだ!」と大喜び。
見守る動物たちも、やんややんやの大喝采。
なのにガーだけは、やはり気づきません。動物たちの大喝采にも。
「笑う? おもしろい? 何のこと? 銃はどうしたの?」
不思議なことが次から次に起こり、大喝采どころではありません。
その後も、二人は同じことを繰り返し、時はあっという間に過ぎて行きました。


夕陽に西の空が黄金色に染まりかけた頃、サクラは車に乗って去って行きました。
サクラは去り際、動物たちにこんなことを話しかけました。
「最高に楽しかったよ! ニッポンから来て本当に良かった!
また絶対来るから、それまでみんなも元気でいてね!」
沼の一帯は空と同じ黄金色に輝き、水辺の動物たちを一色に染めました。
ぐったりした表情で立つガーも一緒に。


翌朝、おせっかいのマントヒヒが先陣を切って、ガーに声をかけました。
「よぉっ、昨日はおもしろかったよ!」
続けておしゃべりペリカンが、言いました。
「ガーにあんなにおもしろい動きができるなんて、知らなかったね!」
心配症のハイエナも、言いました。
「最初はどうなるかとハラハラしたけど、みんな楽しんでいたよ!」
ガーは浅瀬の中で、意味がわからずキョトンとして立っています。
すると、気の優しいゾウが近づき、長い鼻をガーにさしのべます。
そして鼻の上にガーを乗せると、みんなのいる水辺に運びました。
ガーはこの沼に来て、初めて水の無い地面に立ちました。


みんなが笑顔でガーを取り囲む中、ガーは浮かない顔のままです。
昨日初めて知った「おもしろい」と「楽しい」と「笑う」のことで、頭の中がごちゃごちゃのままだったからです。
すると、リーダーのライオンが出てきて、こう言いました。
「おもしろいと思うこと、楽しいと思わせること、そして元気に笑うこと。
生きてゆく上で、この三つを忘れちゃいけないよ、ガー!」
これを聞いてガーは、なんとなく理解しました。
いつもと違う動きをすることはおもしろい、ということと、「おもしろい」と「楽しい」と「笑う」はつながっているのだ、ということを。


その日を境に、ガーはサバンナの沼からいなくなりました。
沼の人気者にはなりましたが、ガーにはそれがとても照れ臭かったのです。
ライオンは残念そうに、こう言いました。
「ガーにとって、幸せではなかったということだな」
一方のガーは、アフリカの青い空をあてもなく飛び続けながら、サクラが暮らしているニッポンのことをぼんやり考えました。
「このままニッポンに飛んで行けないかな?」
誰に見せるでもなく、くちばしをカタカタカタと鳴らし、笑う練習をしながら。


(おしまい)

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