見出し画像

「愛」ってなんだろう?と思っていた



「この私がこんなにも、を連呼しているなんて・・・

なんだか不思議だな。

でも、嬉しいな。」



これは、

先日のグループセッションで、

私が「愛」というキーワードをたくさん発していて、

それに対して内なる私が感じていたこと。




愛は、よく分からないもの。

と思っていた。

私は、愛がない冷たい人間だ。

と思っていたこともあるし、

逆に、

いや、愛があるからこそ、辛くなることがあるんだ。

と思ってたこともある。



でも、このところの私は、

愛というものを感じられるようになっている。

恥ずかしげもなく、そのことを認めてマルをつけている。



見えないものだから、説明のしようがない。

でも、

誰かを心から想う気持ち

を愛だと捉えている。



ダメ出しも愛だった



1週間ほど前、

講座メンバーから、ものすごくキツいフィードバックを受け取った。

私がしたことで傷ついたこと、ものすごく怒っていることが書いてあった。

そして、その悲しみ怒りが伝わる内容だった。




それを読んだ時の私の心は正直キツかった・・・

でも、深いところでは「嬉しい」と思っているような・・・・

不思議な感じだった。



その嬉しさを感じ取っていたからこそ、素直にお詫びと感謝を伝えることができた。



その結果、その方からすぐに愛あるメッセージを受け取った。

 

笑えるけど、1時間後くらいには

「大好き!」と言い合っていた(笑) 
 
 
 

私は、なぜネガティブフィードバックが嬉しかったのか。

なぜ素直に、お詫びと感謝を伝えられたのか?




それは、その方の奥に「愛」を感じ取ったからだと思う。

もちろん、これまでの関係性が前提としてあるから、それを感じられたのだけど。




私を、そしてそのクラスのメンバー全員を信頼していたからこそ、

本当の想いを、フレッシュなうちに出してくれたのだと感じた。



その方の

怒りを出す。

という行為によって、

私自身が自分について知ることができたし、

気づきも起こった。

他のメンバーにも大きな影響を与えることなった。




表面の言葉、エネルギーを見るのではなく、

その奥にある「愛」を観ることができると、

一見、悪いことが起きているようなことでも、

現実は素敵な方向へと変わっていく。




こんなことを経験したからか、

その後のグループセッションは、

「コレは、神回。」と言う人がいたほど、

ものすごく深い時間となった。




そして、私は「愛」という言葉をたくさん発していた。 
 
 



私たちは、本当はもともと愛の存在。

だけど、

だからこそ、

傷つくこともあった。



もうこれ以上傷つきたくないから、

「愛なんて知らない!」

と、知らず知らずのうちに、そして、徐々に蓋を閉めてしまっていたようだ。



だから、私は「愛」がよくわからなくなった。

「愛される」ということを受取拒否していた。

「愛する」ということもよく分からなくなった。

なんとなく、みんなが「愛」だと表現するような行為を真似ていた。



自分を受け入れるほど、蓋が外れていく


間違いなく、自分へのマルつけは、

自分の内側の愛との繋がりを取り戻してくれる。



ここを取り戻すほど、周りにも愛を感じられるようになり、

自然と感謝が湧いてくるし、

何より劇的に関係性が変わる。




私自身、親との関係性が劇的に変化したし、

今回のように、クライアントさんとも素直に愛を表現しあえる関係になっていった。





もちろん、ようやく取り戻しているところなので、

まだまだ「受取拒否」をしているところがあるし、

「愛」に対しては苦手意識もあるのも事実。



でも、

分かりかけている。

そんな手応えは感じている。



「愛が分からない」

かつての私のように思っている人は、

傷つきやすくて繊細な自分を守るために、愛を閉ざしてきたのかもしれない。




分からないから、受け取ることも苦手なはず。

だから、慢性的な愛不足になって、

無意識のうちに「求める」ことばかりになっているのかもしれない。




健全なのは、愛が循環すること。

愛があることを認めて、受け取って、また巡らせて、また受け取っていく。

そんな、愛がぐるぐる廻る関係を自分から創っていこう。



そして、

「あなたが今どんな状態であろうが、愛のエネルギーを取り戻すことはできる。」

と、私は確信を持って言える。


 
愛が循環する世界は、最高にハッピーだよ!⭕️



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?