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APR.8,2022


今日は前回のシューティングの反省です。
3月の後半に2021-22 Collectionのプレシューティングを行いました。正直、惨憺たる内容だったと思います。そして明日は本撮影なので、前回の反省を自戒を込めてあげていこうと思っています。メモです。

最終的には、全てのアウトプットに対しての責任を負うクリエイティブディレクター(責任者)が必須っていう着地になりそうですが、色々つなげて考えてみようと思います。

まず、あらゆることに対して誰もハッキリしたビジョン(出口)を持てていなかったのは大きかったと思います。それはそのスチールの用途もその素材をどう使うかの完成イメージも。みんな(少なくともリーダー陣)が”なんとなく”はイメージがあったし”こんな感じ”とか”この方向”っていうのはあったと思いますが、みんながみんなそれすぎたのがあの結果かなと思います。

そして次に、リサーチ&共有不足。みんなの完成形がふわふわしてるというのに直結しますが、「この画角でこのカットをこう使いたい」っていうのが現場で自然に出てくるにはあまりに自分自身のリサーチと共有が足りていなかったように思います。

でもそれ(現場であーだこーだ言うの)をやるべきなのはその時の(副代表としての)僕ではなく代表かPRESSのリーダーだったなと思います。撮影企画を立ち上げたところからずっとMTGに入って経過を見てきたわけではないし、PRESSのメンバーと頻繁にディスカッションできていたわけでもない。要は現場に入った日のあの時の自分が間違っていた。(し、間違った理由は今考えればたくさん出てくる。)

このへんの指示系統はリーダー論にも関わってくるところだと思っていて、クリエイションをしている以上そのアウトプットには評価が付いてきます。チームクリエイションをしているなら、その評価や責任の所在はどこかを明確にしていないといけません。これが曖昧なチームは、みんなが少しずつ遠慮し誰も責任を取らないクソつまらないものしか生み出せないチームだと思っています。

端的に言うとクリエイションの現場は”超民主的な独裁”であるべきです。

つまりクリエイティブディレクターが全最終決定権を握り、全てのアウトプットに対し責任を持つのがチームクリエイションのあり方であり、チームクリエイションの基本中の基本です。

ただ、”超民主的”であることが絶対条件でメンバーの全ての意見に耳を傾け、言語化されていない真意を汲み取り、そのメンバーからその意見が出るまでのコンテクストを読み解いた上で決断する必要があります。もちろん贔屓目も偏見もなくフラットに。

想像を絶するほど難しく苦しいものだと思います。自分の決断ひとつで誰かを傷つけることもあるし、ブランドを汚すことだってある。リーダーってそういう仕事だと思っています。

AFAはCreative Director = 代表 なのでややこしいですがこの場合のクリエイティブディレクターは必ずしも代表でなくてもよくて、”責任者”なら誰でも成立します。たぶん2021-22 Collectionにおいては(責任逃れではなく)僕ではないかなと。

どの反省点にも言い訳をしようと思えばいくらでもできますが、言い訳をしていても何かが前に進むわけではないので糧にして。


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