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サケの旅路を知って、科学ってスゲエな、と思った件

▼2020年5月17日付の日本経済新聞に、面白い見出しがあった。

〈サケ、骨に「旅の記録」/解析方法、ウナギ養殖に活用も〉(尾崎達也)

▼骨に「旅の記録」ってなんだろう、と思った。どうもサケの背骨は、木の幹の「年輪」のようなものらしい。適宜改行太字。

〈サケは食卓の定番メニューだが、これだけ身近な魚でも広い海のどこを泳いでいるのかわかっていなかったという。最近、サケの骨の中に各地の痕跡が記録されていることを日本の研究チームが突き止めた。

位置をたどると、日本の川でとれるサケの多くが米国アラスカ州に近いベーリング海の大陸棚まで回遊していた。

イワシやウナギでも、「耳石」と呼ぶ耳の組織から行動履歴が明らかになりつつある。魚たちが語り始めた「旅の記録」をもとに、未知の生態に迫る研究が始まった。〉

▼サケがベーリング海まで行っていることはわかっていたが、ベーリング海の大陸棚まで行って、そこで折り返してくる、というのが、今回わかったことだ。

〈3月、海洋研究開発機構などの研究チームは、サケの詳しい回遊ルートが初めて明らかになったと発表した。長旅の末にベーリング海の大陸棚にたどり着き、たっぷりとエサを食べて日本に戻ってくるという。

サケが日本近海からベーリング海へ渡ることは捕獲調査で知られていた。太平洋最北部にあるベーリング海の大陸棚まで到達しているかは不明だった。なじみがある魚なのに、実は日本の川を下った後の行動はよくわかっていなかった。

日本のサケにとってはるか遠くの海が大切だとすれば「日本のサケ資源を保全するには、ベーリング海の大陸棚の環境を守ることも重要だ」と研究を率いた中央大学の松林順助教は話す。〉

▼これまで関係ないと思っていた地域の生態系が、大いに関係ある、ということがわかったわけだ。それは同時に、「人間の視野が広がる」ということでもある。科学ってスゲエなと思ったゆえんだ。

〈サケの回遊ルートを探っていた研究チームが手掛かりをつかんだのは、海を泳ぐ姿の観察でも全地球測位システム(GPS)の活用でもなかった。意外にも、旅の記録を秘めていたのはサケ自身の背骨だった。

魚の骨の一部は年輪を刻むように成長する。骨を輪切りにすると、中心に近づくほど若い頃に育った環境の影響が残っている。

研究チームは名探偵がわずかな痕跡から答えを探し出すように、サケの脊椎骨をつくるコラーゲンの中の元素を分析した。すると、稚魚や若魚、成魚の各時期に成長した部分で窒素分の比率が違っていた。〉

▼サケの背骨を調べると、たとえば赤ちゃんのサケと、大人のサケとで、窒素の比率が変わるわけだ。でも、どうしてその時々にサケが泳いでいた場所がわかるのか。

この後、「同位体」という、この研究の肝(きも)なのだが、素人にはわからない言葉が出てくる。と同時に、「窒素の秘密」も出てくる。尾崎記者も苦心して解説している。

〈元素は、同じ種類でも質量(重さ)がわずかに異なる「同位体」という兄弟分がいる。窒素分の同位体の比率は、海中のプランクトンの働きによって海域ごとに変わる。

生物の活動が盛んな海は、排せつ物や死骸が海底にたまっていく。堆積物の窒素分のうち、軽い窒素は大気に出て行きやすく、重い窒素は海底に残る。浅い海では、海底の重い窒素がプランクトンに取り込まれやすい。

プランクトンを食べるサケの脊椎骨にも比率の違いが表れる。背骨の年代別の比率と海域の比率を照らし合わせると、過去にどこの海を泳いでいたのかを絞り込めた。そこで特定できたのが、日本からベーリング海の大陸棚に至る回遊ルートだ。〉

▼なるほど、泳いだ海の窒素の比率が変わると、サケの背骨の窒素の比率も変わるわけだ。

この「同位体」を追いかける手法は、マイワシや二ホンウナギにも応用できるそうだ。マイワシの場合は、「耳石」の「酸素の同位体」を追う。

〈マイワシが日本の太平洋側の近海からまず黒潮から続く潮の流れに乗って東に移動し、そこから北上する可能性が高いことを裏付けた。/耳石の分析には、京都大学の石村豊穂准教授(当時・茨城工業高等専門学校准教授)が操る分析装置を用いた。世界でも類を見ない性能を誇る。石村准教授は「魚の生きた環境を一日単位で読み取ることも可能だ」と話す。〉

▼一日単位で読み取れるとは、おそるべし。

▼この記事のとっかかりになった、海洋研究開発機構のプレスリリースもなかなか読みごたえがあった。まずタイトルにロマンがある。

サケの骨に刻まれた大回遊の履歴―“同位体”が解き明かす、知られざる海での回遊ルート―


▼冒頭には、発表のポイントが3点にわけて要約してある。

〈◆サケの背骨に記録されている、過去の“窒素同位体比”の履歴と、北太平洋における窒素同位体比の分布地図を比較することで、サケの回遊ルートを推定する画期的な分析手法を開発した。

◆サケは、成長に伴って北太平洋を北上し、最終的にベーリング海東部の大陸棚に到達することが初めて明らかになった。この海域は餌資源が非常に豊富なため、サケが性成熟に必要な栄養を摂取する「大回遊のゴール」となっていることが考えられる。

◆本手法は、北太平洋を回遊する多くの海洋生物に適用可能と考えられる。〉

▼以下のプレスリリースを読むと、かなりわかりやすく書かれている。

まず、彼らの今回の業績を、専門家の言葉でいうと、〈海洋の同位体比地図(アイソスケープ)を用いてサケの回遊経路を個体レベルで推定する手法を開発しました。〉ということ。

▼サケについて、これまでにわかっていること。プレスリリースの「概要」から。

〈サケ(通称シロザケ、Oncorhynchus keta)は私たちにとって、今も昔もなくてはならない重要な資源です。サケは川で卵から孵ると早い段階で海に下り、その後4年ほどかけて北太平洋を回遊した後、産まれた河川に戻るという興味深い生態を持っています(図1)。しかし、彼らがどこを旅する(回遊する)のか、そもそもなぜ海の広い範囲を旅するのかはよく分かっていませんでした。現代の技術であっても個体ごとにサケの海での回遊を長期間追跡することはできなかったため、彼らの回遊に関する十分な知見が得られていなかったのです。〉

▼さらにプレスリリースの「背景」では、上記の内容をさらに詳しく書いている。

〈サケは春に卵から孵ると、早い段階で海に下り、まずオホーツク海を目指します。それからベーリング海に向かって北上し、ベーリング海とアラスカ湾を行き来しながら数年かけて成長して、最終的に産まれた河川へと帰って来ます(図1)。

この中で、河川から海もしくは海から河川への回遊については、これまで数多くの研究がなされてきました。しかし、彼らが一生の大半を過ごす海での回遊はあまり調査されていません。海中を長距離移動する動物を長期間追跡するためには、多大な予算と技術、労力が要求されるためです。

サケの海での回遊における謎の一つが、なぜ彼らは日本から3000kmも離れたベーリング海まで泳いで行くのか?という点です。これまで実施されてきたような、多個体のデータに基づいて推定された回遊経路では、この問いに答えることができませんでした。これを明らかにするためには、サケの長期間の回遊を個体ごとに追跡する手法を開発し、多くの個体が共通して利用する“重要な海域”を特定する必要があると考えました。

そこで私たちが注目したのが窒素同位体比を用いる方法です。生態学的な研究では、生物の食べ物や栄養源を調べるときにこの分析方法がよく使われています。しかし、一定の条件を満たせば生物の回遊経路の推定にも応用可能です。そこで、本研究では世界で初めて窒素同位体比によるサケの回遊経路推定に取り組みました。〉

▼骨に大回遊の跡が刻まれている、という発見は、小さい物を調べ尽くすと大きい世界までわかる、とても面白い話だ。

いまごろ、生まれたばかりのサケたちは、ベーリング海の大陸棚へ向かって一心不乱に泳いでいるのだろうか。人間の世界のコロナ・パンデミックなど、少しも気にせずに。

(2020年5月31日)

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