自殺は「個人」の問題ではなく「社会」の問題である

▼言葉は人を傷つける、という現実がとてもわかりやすく現れた出来事が、2018年12月28日付の毎日新聞夕刊に載っていた。見出しは

〈「死んだら負け」では救えぬ/生きられるような言葉が必要なのに/電通過労自殺 まつりさん母の思い〉

〈「娘の話をし続けるのは疲れる。ヒステリックな母親と思う人もいるんでしょうね」。電通社員で過労自殺した高橋まつりさん(当時24歳)の母は、苦笑まじりに言った。「死んだら負け」という人気タレントの発言が歓迎される社会。娘が苦しみ抜いた長時間労働やパワハラがなくなる日は来るのか。【宇多川はるか】〉

▼高橋まつり氏が自殺した事件は、政府のいわゆる「働き方改革」のきっかけになった。この事件でわが子を失った高橋幸美氏が、べつの自殺をめぐる出来事に言及している。

〈今年、松山市のアイドルグループの一員だった少女が自ら命を絶ち、過酷な労働環境や所属事務所のパワハラが原因だとして遺族が事務所を訴えた。この訴訟について、タレントの松本人志さんが「死んだら負け」「死んだらみんながかばってくれるという風潮がすごく嫌」と発言。「死んだら負け」を言い続ける、とツイッターで宣言した彼の投稿に「いいね」が27万件以上もついた。

 「死んだら負け」という言葉に、幸美さんは娘を追い詰めていったものを重ねている。幸美さんは言う。「追い込むのではなく、苦しさを解決し、生きられるような言葉が必要なのに」

 幸美さんは、自分の話に共感する人もいるが、そうでない人もたくさんいると感じている。「これからも娘のことを話し続けたい。沈黙すれば新たな犠牲者が生まれると感じるから」〉

▼自殺という社会問題の渦中で、大きな苦しみを抱え続けるのは、自殺した人の家族である。言葉というものは恐ろしい。この記事からわかるのは、かつて漫才の天才といわれた松本氏の言葉が、この問題のまさに当事者の一人である高橋幸美氏の心には、まったく届かず、むしろ傷口に塩を塗ったに過ぎないという事実である。

なぜ日本のテレビ番組が、芸人にギャラを払って、深刻な社会問題に対する精神論をしゃべらせるようになったのかわからない。

娘を失った高橋氏は「死んだら負け」という松本氏の言葉に、愛する娘を「追い詰めていったものを重ねている」という。「苦しさを解決し、生きられるような言葉が必要なのに」と語る。

筆者は、この高橋氏の言葉に、松本氏の言葉の何百倍もの重みを感じる。マスメディアが自殺という社会問題を論じる意義の一つは、この「追い詰めていったもの」の逃れ難い暴力や、頑強な仕組みや、誰しもが秘める無意識を炙(あぶ)り出し、「見える化」するところにある。そして、自殺を「個人」の問題としてとらえたり、個人を問題視したりするのではなく、こうした放送をするテレビも含めた「社会」の問題としてとらえる、ということである。

(2019年1月2日)

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