安田純平氏の解放

(ソーシャルメディアあれこれ その3)

▼フリージャーナリストの安田純平氏が武装勢力から無事に解放され、助かってよかったなあ、ほんとに大変だったろうなあ、家族もさぞかしうれしいだろうなあ、と思っていたら、インターネットの中ではすさまじい非難中傷の嵐が起こった。今回は、過去に起きた幾つかの痛ましい人質事件と違い、自民党の国会議員が表立って「自己責任論」を撒き散らさなかったおかげで、テレビでの攻撃は少なかったが、ソーシャルメディアでの攻撃が激しかった印象だ。

▼2018年11月4日付毎日新聞の〈無事帰国 なぜ批判/外国人記者 安田さん「自己責任論」に驚き〉という記事がよかった。3人の海外メディア記者の声。

〈内戦中のシリアで武装勢力に拘束され3年4カ月ぶりに解放されたフリージャーナリストの安田純平さん(44)が危険を知りながら紛争地に入ったことに対して、インターネット上で批判が起こり「日本に迷惑かけるな」「殺されても文句は言えない」などの言葉がツイッターに並んだ。大手海外メディアの東京支局長、特派員として日本を取材する3人に今回の「自己責任論」をどうみるか尋ねた。【川上珠実、銭場裕司】〉

1)「日本は中東の紛争と無関係ではありません。石油を依存しており、中東政治の影響を受けます。外国メディア任せでなく、現場で起きていることを自国に伝えようとする安田さんのようなジャーナリストは重要です。彼を批判する人々はジャーナリストが担う役割を正しく理解していないように思います」

2)「日本社会は和を乱す人を嫌うため、社会の規則にあらがう人を好まない。そのため、政府の避難勧告に従わなかった人のために資金や労力を払う必要はないと考えるのでしょう。シリアに行ったこと自体が悪いことのように語られていることに驚きました」「彼らは正確な情報を届けるため、命がけで危険な紛争地に行ったのです。/日本では中東に限らず、海外の問題に関心を持つ人が減っているように感じています」

3)「『国に迷惑をかけた』という発想になるのは世界でも日本だけではないか。悪いことをしたら無視される『村八分』という言葉がありますが、そうした文化の影響でしょうか。非難されるべきなのは安田さんではなく拉致した武装組織でしょう

▼日本で何度も繰り返されるこの現象の「根」がどこにあるのかわからない。イギリスでは、 レバノンで人質になった記者が5年ぶりに解放された時、国を挙げて帰国を祝った。フランスでは4人の記者が解放された時、大統領が自ら出迎えた。出国、取材、拘束、解放の構図は同じはずなのだが、なぜ、こうも日本の対応は異なるのだろう。

バッシングに夢中になる人を動かす論理を推測するに、「政府の言うことを聞かなかった批判者を救うためなどに、政府に従順な私の税金を使われたくない」というものなのだろうか。彼らの言動は、「彼は政府を批判しているのだから、殺されたらざまあみろ」といった悪罵を公言するところに行きついたわけだが、「愛国心」の対極にあるこの酷薄さは、「ジャーナリズムの役割を理解していない」とか、「海外に関心を持つ人が減っている」とか、「村八分」とか、そういう分析では説明がつかないように感じる。

日本では他国と比べてソーシャルメディアがまだ発達していないのだが、スマホにどっぷり漬かっている人にとっては、「世界の自分化」の重症化が十分進んでいるのかもしれない。

ちなみに1)2)3)は、それぞれイギリス「タイムズ」東京支局長のリチャード・ロイド・パリー氏、フランス「ルモンド」東京特派員のフィリップ・メスメール氏、朝鮮日報東京支局長の李河遠氏。

▼下記の指摘は、今回の非難中傷の嵐にも当てはまるだろう。

〈食事から社交、結婚、育児、政治に至るまで生活のすべてにおいて、自己中心的な文化に翻弄され、市民として「社会的に」行動するのがどんどん難しくなっている。たとえば、長期的に何かに取り組むことに苦労する。また、自分と直接関係しない人やアイデアに関わることはもちろん、それを許容することも難しく感じる。他人への共感は弱まり、それに伴って、自分と他人との間には共有しているものがあるという、民主主義に不可欠な考え方すらも信じられなくなっていく。〉(ポール・ロバーツ『「衝動」に支配される世界』14頁)(つづく)


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