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【発達障がい】本人にもわからないし、説明もできない。「できるかどうか」ではなく「やりたくない」気もちを尊重する。

子どもに「できないこと、やらないこと」が
あった時、

わたしたちは、つい、
「サボってる、甘えてる」と決めてしまったり、

「本当はできるはずなのに」と
幻想を押しつけてしまうことがあると思います。
 
「あれができたんだから、これもできるはず」と
全然関係ないものをつなげて
子どもを変えようとすること。
 
日常的に起きていると感じます。
 
でも、
「決めつけられること」
「期待を押しつけられること」
「変えられること」は
誰にっても、気もちはよくないですね。
 

大人になれば、ある程度自分がどうするか
選ぶことができるけれど、
 
子どもには選択肢がないことが多いので、
どれほど「子ども」を尊重しても
し足りることはないと思っています。

わたしは、いろんなことで、
よく困っていたので、
余計にそう思います。


例えば、
わたしの「障がい」のひとつに、
「漢字」の意味や意図を感じる、
というものがあります。

「この漢字は、こういう意味がありますよ」と
教えられたとして、
 
「本当は、その意味はこの漢字じゃないと思う」
「この漢字は、その意味を表していないよ」
 
と、「意味」と「形」のズレに
違和感を感じるし、その形の現わしているものを
感じます。


小学生の時に、漢字を習いながら
 
「(この意味と漢字が全然違うじゃん)
 嘘つけ!」

とか、

「なんで、こんなに酷い形を
 表現してるんだろう、、辛すぎる」

と、思うことが、よくありました。
   
「気分がわるくなる」し、
「書きたくない」し、
「見たくない」し、
「嘘をつきたくない」けれど、

具体的に説明もできないし、

「書きたくない」から
「書けないフリ」をして
 
テストでは空欄、まちがえる、宿題をやらない、
ことで自分を守るしかありませんでした。

大人になって、日本人の意識を変えるために
意図的に変えられた文字があることや
元々の漢字を知って、ホッとしたものでした。

大人になれば、自分が感じていた違和感がなになのか、
調べられるし、理解できるし、書いても書かなくてもいいし、

今は自分で、自分が、どんな意図で使うか
決めているので、

誰が、どんな意図で、
どんな文字に書き換えたとしても、
わたしには関係がないので
いいんですが、

子どもの頃は、自分でも自分のことが
わからなかったから、しんどかったです。

子どもの「できない、やらない」の中に、
「怠惰、甘え」をみることは多いけれど、
 
子どもには子どもなりの理由があって
説明できなくて困っている、ということもあるし、

子どものことを、なにか決めつけてしまうことがあれば、

それは、自分のことを決めつけていたり、
決めつけられた心の傷がある証なので、
自分をみつめるきっかけに活かしたらいいのだと思います。




 


 

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