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子どもは政治よりも、親の影響を受けて育つから。

ちょうど一週間前に、東京都知事選が
行われましたね。

数年前のわたしなら結果にがっかりして
いたと思います。

「あの人が、あんなに頑張ったのに、ダメなんだ、、」
「あの人が選ばれない社会なんて終わってる、、」
「やっぱり、もう、誰がどう頑張っても無理なんだよ、、」と。

政治が変わること、変えることが
わたしの未来、子どもの未来が
明るくなるために必要なことだと
思っていたからです。

今は、わたしが変わることで
明るい未来が始まると思うようになったので
がっかりをしていなくて、

わたしが変われば、
わたしが自分らしくしあわせに生きれば、

その周りが変わって、子どもが変わって、
孫が変わって、子孫が変わって、
みんな「自分らしくしあわせに生きる」ことが
叶っていくという夢を信じているからです。


不登校になれば、
「日本国」という団体が与える「学校」という
「子ども用の社会」を頼らずとも

自分たちで、自分が選んだ場で
大切なことを学び体験していけることを
実感しやすいかもしれないし、

不登校でなくても、
「日本国」というチームが決めたルールに
「沿う、合わせる、適合する」ことと

「自分のしあわせ、充実」が
関係ないことは実感があると思います。

子どもには
「日本国」の「政府」という「他人の集まり」より
一つ屋根の下に暮らす親の方が
影響があるから

政治をみるのではなく
自分をみて、変えていくことで

一喜一憂する必要はないのだと
感じるようになりました。

少し極端ですけれど、

他人に期待するのではなく
自分に期待をする、

他人を信じて任せるのではなく
自分を信じて任せることに
重きを置くことで
気もちが切り替わりました。

同じ時代、
同じ土地、
同じ言語、
同じ文化風習
同じシステムを使っているといっても

「日本国」という組織の存在目的と
「わたしたち」の生きている目的がちがうので
そもそも、一喜一憂する必要はないのですよね。

他人に期待するように、
他人と関係があるように、
同じ目的があるように
思い込まされているけれど、

政治の結果と
自分の人生の結果は
関係がなく、

自分がしあわせになること
子どもがしあわせになることの
目的のために、がんばることには
なにも変わりがなくて

今日も、子どもの笑顔のために
がんばりたいと思います。

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