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自分の意欲がすべての始まり。不登校を通して「自分を大切にする」ことを学ぶ。

不登校のお子さん3人を
自宅でホームスクーリングのようにして
活動している方がいます。

朝、当番でパンをこねて、
毎日みんなで掃除をして、

釣りに行ったり、カヤックをしたり
マウンテンバイクで走りに行ったり
ラジコンを組み立てたり、、

子どもたち3人一緒にも、
それぞれ、にも、
思い思いに過ごしています。

失敗して、やり直して、
試行錯誤しながら
毎日子どもが自主的に
取り組んでいる話を聞くと

本当に、とても豊かな経験をしていると
感じます。

釣りに行って川に行って、
自分は釣れないのに
お父さんは釣れていたりして

上手くなりたくて
悔しくて、お父さんに憧れて、
そうした気持ちが自然と湧いて

やり方をみたり、聞いたり、
真似ながら過ごす日々。

学校に行けば

「やる」ことが決まっていて
「やり方」も「一緒にやる人」も
「時間」も決まっていて

自分が何かを考えて決めることは
ほとんどなくて。

自分で考えることといえば
与えられた、決められた
「やらなければいけないこと」を
どうやって、やるか。
といったこと。

なんで「やらなければいけない」のかも
考えないし、

自分がどのくらい
「やりたい」のか「やりたくない」のかも
感じることないままに、

どうやって、やるか、だけ。


学校に行くことが絶対だという
ことが暗黙に信じられているこの社会で

学校に行かない選択をすることは
子どもにも親にとっても
葛藤をし、苦痛が伴うものと思います。


でも、不登校を通して
「自分を大切にする」ということを
理解し自分のものにするのだと思います。

わたしは、
子どもに学校に行ってほしいと
責めたことがありましたが

でも、責めて責めて
追い詰めたとして、
学校に行くことにしたとして、

その先に息子の笑顔も、
わたしの笑顔もないと行き着きました。

「自分が何をしたいか」
「どんな暮らしがしたいのか」
「どんな暮らしが合っているのか」
が、真ん中にあって、

「やり続けられるために、
 何をやらなければいけないか」
という順番であることを
わたしは知りませんでした。

わたしは「やらなければいけない」ことで
自分が埋め尽くされて
自分が見えなくなっていたから

子どもには、
瑞々しい感性で
感じた今を大事に、今の花を開かせていくのが
大切だし、それが必要なのだと知り、

それが実践されている日々に触れ、安心します。

自分が、何が好きで
自分が、何をしたいのか

それを子どもがわからなく
なってしまうような
奪うことはしたくないし

自分を大切にすること、
大切にしていいこと、
それが自然な姿で
未来の「あたり前」になっていることを
願います。

子どもたちに託すしかありませんが
「自分を大切にすること」を
自然にすることを、
育みたいと思います。

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