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「どうしても学校に行ってほしい」学校を休む期間が長くても大丈夫。子どもの意欲は時間を超える。

わたしたちは学校へ行くことを
「絶対に大事なこと」とほぼ強制的に
通わされてきた経験があると思います。

学校は
「絶対に行くところ」。

行ったからこそ
親にも怒られずにすんだし
友だちもできたし
人としての関わり方も学んだし

だから、社会人になって
経済力も持てて、

恋愛も結婚もして、
今自分があるのは

さかのぼれば
「学校」が始まり
と思っているところが
あるかもしれません。

自分の今の生活を
支えているのは
学校生活だ、と。

学校に行く前から
「学校に行くのはあたり前のことだよ」
「楽しみだね」「友だちできるといいね」
とプレッシャーをかけられて

行きたくない気もちを出せば
「お父さんに、怒られるよ」
「お母さんに、怒られるよ」
「お兄ちゃん行ってるよ」
「みんなに置いていかれるよ」
「みんなにバカにされるよ」
「みんな行ってるよ」
「おじいちゃん、おばあちゃんが
がっかりするよ」
「お年玉もらえないよ」なんて

言葉にならなくても
いろんな脅し文句が
浮かぶほど

強制的なエネルギーを
いっぱい浴びてきたので、

「学校に行かない子」をみると
怖くなって焦るのかもしれませんね。

わたしたちの今の生活を
動かしているのは
社会や政府という
存在ではなくて
わたしたち一人一人の営みです。

わたしたちを
育てたのは
学校ではなくて
わたしたち自身です。

学校は「脇役」を育てるために
自分を信頼せず
自尊心を失くすように
教えてくることが多くて

そう思えない時も
多いけれど

主人公は、
主役は
個人ひとりひとり。

子どもも
子ども自身が
主人公の人生を
歩みます。

本来は、
主人公である子どもが
自分の個性、特性、意欲に
合わせて

「学校」を使って育ち

自分の個性で、自分を使って
自分の才能を使って
必要とし合える人たちと
社会を築いて
暮らしていくもの。

インターネットを利用する時代になって
新しい生き方が始まったばかりの
わたしたちは、
自分が与えられてきたもの、
自分にとっての常識に
縛られて置いていかれがちです。

つい子どもの重荷に
なってしまいがちです。

不登校は
わたしたちを
アップデートさせてもらえる
機会だと思います。


インターネットを使い
時間を越えられること、
場所も越えられること、
が増えました。

体感として、感じられるように
なってきていると思います。

自分の意欲があれば
時間も空間も越えられること。

例えば「料理が上手くなる」とか
「水泳が上手くなる」とか
そうした自分の身体を使って
練習して覚えて鍛錬するしか
ないものもあり。

そうしたさまざまな個性ある
アクティビティを理解し
バランスよく自分の
人生に取り入れられるように
なる必要があるのだと
思っています。

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