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「子どもが話してくれない」のも仕方がない。「買ってほしい!」子どもの心をみれなくて、自分の都合だけをみていた日々

子どもが何か「買ってほしい!」と言った時、
子どものことをみれていなかったな、感じられていなかったな、、と
思うことがよくあります。


それを買って、
子どもは、
どうしたいのか。

どんな気もちが欲しいのか、

どんな未来が欲しいのか、

どんな自分を描いているのか、

きちんと感じることなく、

お金(値段)をみて「高いからダメ」とか
お金(給料)を見て「負担だからダメ」とか

過去をみて「この前買ったからダメ」とか

甘やかしてると思われたくない、とか
他人の目をみて「ダメ」とか

わたしが子どもの頃はダメだった、と
自分の過去をみて「ダメ」とか、、、。


子ども自身には、
ぜんぜん関係ないことで判断されて

「この人は、俺のことは、まったく見てないし、
俺の話をぜんぜん聞いてない、、」と

思っただろうと思います。

現に、「話を聞いてよ!」って
言われたこともありますしね。

ぜんぜん
関係ないところをみて
判断されたら

話す気もちなんて、なくなりますよね。

結果が、
「いい」でも
「ダメ」でも

いい気分はしないし、

逆に、自分のことを、考えてくれているんだなと
子どもが感じられたら、

「いい」でも「ダメ」でも
満たされるものだと思います。

自分のことをみてくれている。
自分のことを感じてくれている。

子どもが実感をすることは
とても大切なことだけど、

毎日の中で、
たくさんの子どもが「諦めている」のでは
ないかと思います。

自分のことをみてもらえない、
聞いてもらえない経験が積み重なって、

「どうせ自分なんて」

という評価を自分にしてしまう。

でも、それは「親」の言動がつくった評価を
そのまま採用しているだけだから、
本来のその子自身からは
大きくズレていますよね。

とっても不自然な姿だし、
子どもにとっても困ることだから、

子どもが、子どもらしく、
自分らしくいられるために、

子どものことを感じる、みることを大切に
したいと思います。

せっかく、今、目の前に、
子どもが子どもとしていて、

話しかけてくれているのに、

財布の中身をみていり、カレンダーをみていたり、
過去をみたり、世間様をみていたりして、
よそ見をしていることが多い毎日は

とても、もったいない。

仮に、不登校になった、とか
「なにか、あった時」にいろいろ話しかけられても、

話を聞いてもらえなかった
みてもらえなくて、諦めていたら、

話す気もちにはならないし、
それだって、自分をみてるわけじゃないでしょって
もう、子どもは、わかっていますものね。



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