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誰にでもある「わたしの夢」の見つけ方

自分には夢がない、想いがない。
いいところがない、できることがない、
やりたいことがない、好きなことがわからない、、、

大人になると、ほんとうに「自分のことが全然わかってないんだな」
と、気がつく機会がありました。

子どもの頃から、いろんなことを諦めて、
自分の地図が塗りつぶされていたり、
自分の可能性をちがう描き方をしているからなのだと思います。


わたしはずっと「自分には夢なんてない」と思っていました。
たまたま「夢」を持てる人がいるだけで、
ほとんどの人には「ない」と。

「まぁ、仕方がないよね」という気もちでいましたが、
でも「夢」というのは誰にでもあって、
「心の傷」から生まれるもの、「心の傷」が教えてくれるもの
だと、
教えてくれる人がいました。

確かに
「こんな思いを、誰にもさせたくない」とか
「どうしても欲しくて手に入らなかったから、人に与えたい」とか
「傷つけられてきたから、わたしは笑顔にして返したい」という想いには、強い力があるものだと感じます。

これまでの自分のを振り返れば、
自分が抱えた「痛み」があって、
その「心の傷」が選ぶ人間関係、
「心の傷」が導く人生がどういうものなのかを知っているし、
その「痛み」がある不便さを知っている。

自分では、その痛みの影響をよくよくわかっているし、
誰に説明されなくても、誰に教えてもらわなくても、
どんなに他人に共感されなくても、
自分だけは知っている「とっても大切なこと」「価値あるもの」
がわたしにはあるのだと実感しました。

子どもの頃の自分が傷ついたところには自分の愛があるから、
自分の痛みを癒すことで、
自分の愛を原動力にした自分だけの「夢」が生まれる

ということなのだそうです。

実際に体現して教えてくれるその姿から伝わってくるもので納得をし、
自分の「心の痛み」を「なかったこと」にしてきたわたしの人生は
もったいものだったのだと思うようになりました。

羅針盤もないし、他人の目を気にした地図で
人生をふらふらとさまよって、

「心の痛み」を避けていると、
自分がせっかく親から与えられてきた「いい面」も
「いい」と思えなかったり、
人のために「使えない」ということがわかってきたのです。

「傷」を「傷」のままにするのではなく、
きちん「愛」に戻して、
さらに傷ついた分を「力」にすることで、
いろんな、バランスがとれる。

なんだか、誰にとっても自分らしくて
とても自然な生き方があることに安心をして、
今になって、自分を癒しながら進んでいるところです。

自分だけの夢は存在していて、
夢なんてない、と思っていたのは、100%まちがいでした。

ただ「子どもたち」は、
「夢」を抱くために、わざわざ「傷つく」ことは不要ですよね。

病気になったから、健康のありがたみもわかるし、
戦争がないから、安心安全な暮らしのありがたみもわかるし、
親が亡くなって、親のありがたみがわかるけれど、

わざわざ、失くして知るような遠回りを終えるために
自分を活かしたいと思います。

伝えたいものは「痛み」ではなく、「喜び」や「楽しさ」。
自分らしい人生を歩むこと。

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