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無理やり理解しなくていい。わからないし、わかり合えないし、期待していないから。ただ、受け入れること。

発達障がいがあってもなくても、
わたしたち親の世代と
子どもたちの世代とでは

住んでいる世界が
まったく違うので
理解はできないと思います。
 
わたしたちと
親の世代では

常識も社会情勢も
何もかもが全然違ったように

一つ屋根の下にいるからといって
自分が生んだからといって

子どものことは
わからないことだらけ。
 
 
わたしたちは、欲しいものは
「クリスマス」や「誕生日」しか
もらえないとしても
そういうものだと思えていたと思います。

でも、今はYouTubeを見たら
おもちゃや、お菓子、いろんなグッズの
開封動画があって
ほしいものに囲まれている
子どもにも大人にもたくさん触れます。

わたしたちが子どもの頃に
感じていたより
強いストレスを感じていると思います。

多くの情報に触れて

自分と比べて、
落ち込んだり
羨んだりする面も

反対に、
気が済んでいる
満たされている面も多く

とにかく、わたしたちとは
ぜんぜん違う世界を生きているし、

これからも生き続けていくということを
もっとずっと理解していたら
子育てが楽だっただろうと
思うことがあります。。

わからない。
信じられない。
意味わからない。

のが、普通でそれでいいし、

その上で、わかろうとしたり、
その世代を生きる人たちを
認め受け入れることが
大切なのだと思います。

「発達障がい」と名前がつくと
余計にわからなく感じるかもしれないけれど

「発達障がい」という名前のおかげで
子どもは子ども自身の
親は子どもの理解を
深めるための情報を

医師や専門家や
いろんな人たちが
発信していて触れやすく

お互いの人生に
活用していすくなっている
とも思います。
 
「障がい者」というものに
いろんなイメージがあって

心配になったり
怖くなったり
落ち込んだりするものだけれど

「発達障がい」は
その自分を苦しめるイメージから
自分を解放するのに
いいきっかけになる「名前」だと思います。

自分を解放するきっかけとして
受けとっていく選択肢もあるのです。


 

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