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「シネマティックとは何か」

自分の肩書を「シネマトグラファー」と自称して早10年余り。当時は映像を撮る人間は一律に「ビデオカメラマン」と呼ばれており、今では一般的になった「ビデオグラファー」という呼称さえ浸透していなかった。名刺を渡した相手から「シネマ、グラファー?なんですかそれ?」とよく聞かれたものである。シネマトグラファーを簡単に説明すると「映画的な表現をコントロールする現場の責任者」的な感じだろうか。昨今では肩書に限らず、シネマティック(映画的)なる表現方法がどんどん世の中に浸透し、映画撮影で使うようなシネマカメラが小型軽量化し、一昔前なら手が届かないような高性能機材やノウハウのコモディティ化がすごいスピードで進んでいる。これが意味するところは、誰もが映画のような映像表現ができる時代がやって来たということである。

ウェディング映像制作の世界でも以前から「映画のような」をキャッチコピーにした会社やクリエイターは多いし、映画的表現手法を駆使した=シネマティックなムービーが市場に占める割合が確かに増えていると実感できるのではないでしょうか。これは映像需要がこれだけ爆発的に伸びている中で、今まで独占的価値観であった「ビデオ(テレビ)的表現手法」に加え「映画的表現手法」という目新しく見える方法論がその反動として認知されてきたからだと考えられます。

シネマティックとは

そしてここで一度立ち止まって考えてみたいのが、「そもそもシネマティックってなに?」ということです。映画的表現手法を用いた映像がシネマティックということならば、その「映画的」とは何をもって「映画的」と言っているのか。映像を扱うプロであれば、この点に関して一度しっかりと自分の思考を掘り下げても損はないかなと。大事なのは、自分なりの解釈や定義を常に問い続けるということ。もしそうでないと、表層的な要素だけによってブレてしまい、本質を見失ってしまうかもしれないからです。

一般的に「シネマティック=映画的」と聞いて思い浮かべるのはボケ(浅い被写界深度)やルック(カラーグレーディング)などのビジュアル的要素、スタビライザーやドローンを使用したダイナミックなカメラワークの技法、ストーリーテリングなどの理論的なシナリオ構成技術等のことではないでしょうか。確かにそれらがシネマティックを構成する大切な要素であることは間違いないと思います。でも本当にそれだけでしょうか?

ここでまず、「映画的」を考査する上でその対比となる「ビデオ的」なるものについて考えてみたい。ビデオ的映像とはそもそもテレビ等の放送用映像制作のことであり、テレビの普及した1950年代以降に発展した表現手法だ。その内容は「万人が理解できるように説明する」ことを一つの目的として開発された方法論であり、誰もが納得できる「答え」を提示することでマスの共感を得て視聴率を稼ぎ、広告収入と連動させるビジネスモデルから派生されたものである。「ビデオ的表現手法」の最大の特徴は、誰にでも理解できることで共感を生み出すことである。この要素を盛り込んで映像を作り、テレビを通してより多くの対象に送ることで制作者側の意図に沿って作為的にコントロールすることが可能となります。

その反対に「映画的」とはつまり「ビデオ(テレビ)的」とは対照的に「万人が理解し、共感できる答えを教示する」ことを目的としていないのが一番大きな特徴と言えます。映画史などの歴史的背景なども加味して考えると、映画とは鑑賞者が制作者の意図して用意した答えを得て共感するものではなく、制作者もしくは作品自体と「対話」をすることで鑑賞者自身が答えを探求していく行為が求められます。このように極めて芸術的な要素が映画の特徴であり、総合芸術と呼ばれる所以でもあります。これこそがまさに「映画的」なるものの正体であり、最も本質的な部分の1つではないかと言えます。

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描写する映像ではなく、対話する映像

私たちは映像業界の中でも特にニッチなウェディング映像制作というものを主軸にしています。例えば日本で一番人気のあるウェディング映像の定番商品に「撮って出しエンドロール」というものがあります。結婚式当日の様子を撮影し、リアルタイムで編集して披露宴の結びに上映し「今日の結婚式よかったね」という披露宴列席者のシンパシー(共感)を醸成することを主目的とした一体感コンテンツであり、私たちも年間何百本と施工している人気の映像商品です。ここ数年の機材やノウハウのコモディティ化の流れを受け、一面的な「シネマティック」的ウェディング映像が誰でも容易に再現できる環境が整ってきたと同時に、業界内での「撮って出しエンドロール」の品質も確実に向上してきているのは間違いないと思っています。しかしながら、誰もが映画のような映像表現ができるようになった今、シンプルに結婚式をしてその様子を映像に収めて披露宴の最後に上映し「共感」を得るということだけでは、今まで以上の新しい価値を提供することは難しいと同時に、クリエイターとしての表現の幅も偏っていくように思います。我々を取り巻く環境の変化とともにウェディング映像の世界にもやっと、多くの人の「共感を得る」が絶対的な正義とは言えない時代がうっすらと見えてきたのではないかと思います。

私たちは結婚式に列席するすべての人が、私たちの作る映像を見て(共感ではない)何かを感じて家に帰ってほしい、そう思いながら映像を作っています。エンドロールを上映した後に「今日の結婚式よかったね」というのはもちろん悪くない感想なのですが、実はそれは「ビデオ的」な発想であり、もう今の時代それは空気のようにごく当たり前のことなのです。可能であれば、私たちは「映画的」なウェディング映像を作りたいと思っています。「今日の結婚式よかったね」のその先にある、もっと映像を観たすべての人の心に深く入ってくるような、何かを考えるきっかけをつくってくれるような映像を提供したい。その後の人生にも何か影響をあたえるようなウェディング映像。それはまさに映画的表現手法によってのみ実現できるものであり、鑑賞者自身の解釈で作品と対話できることが「シネマティック=映画的」なるものの本質であり、最終的に目指すべきはそういうことだと信じて進んでいきたいと思っています。


*普段着とブーケのフォトウエディング
Cinematographer: Park Hiroshi Lee (OUNCE)
FUJIFILM X-H1 / Fujinon 25mm F1.4

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