Roshi-Hee / 飯塚 大志
小規模零細企業経営者の取り組みや考えている事。
ウェディング映像というニッチな世界。
1990年代の旅行記。
椅子に座って何もしない贅沢を味わう。
2014年12月。混雑する池袋駅地下の喫茶店で僕は創業メンバーのAさんと向かい合った。会社を立ち上げてから5年半ほど創業メンバーとして参画して頂いたAさんに対して、僕は会社からの「卒業」を提案した。話を切り出した瞬間、Aさんは多少困惑した様子だったが、後には引けない僕の覚悟とAさんを取り巻く今の状況を悟ったのか、思いつめた表情ではあったものの抵抗もなく無事了承して頂いた。ただし、その後2年ほどAさんからの執拗で理不尽な要求や誹謗中傷に悩まされることになるのだが、ともあれ創業メ
近年SNSの普及により、多くの人々が何らかのコミュニティに所属し、自分の居場所を見つけている様子が可視化されています。かつては「何かしらに所属すること」にほとんど関心を払わなかった僕も、気が付けば自分の「家族」と自ら経営する「会社」という2つのコミュニティに属していました。それにも関わらず、趣味の集まりや仕事界隈でのコミュニティ、異業種交流サロンやお仕事仲良しグループには未だに縁がない。それを寂しいとも思わず、他の人と繋がることの必要性や不安を感じたことはありませんでした。む
1996年夏。僕が渡米して1年目の夏休み。期間は6月中旬から8月いっぱいまで。こんな大型の休暇は人生でもそう頻繁には巡ってこない。若い時の休暇をどう過ごすかがその後の人生を左右するんじゃないか、何となくそんな風に感じていた。3年前のトルコ、ギリシャ、エーゲ海の旅での成功体験もある。今やっておかないと絶対後悔する、そんな危機感に煽られながらバックパック1人旅の計画を練ることにした。その時僕が住んでいたオハイオ州(中西部)からは日本へ行くよりヨーロッパ方面へ行く方が格段に簡単で安
まだ日本円の相対的な価値が高かった90年代前半、僕はバックパックを背負って1人で世界中を旅して回った。行先は主にヨーロッパ。ユーロが導入される前の、ソビエト連邦が崩壊した直後のまだ東西冷戦の雰囲気が色濃く残るヨーロッパだ。何故ヨーロッパなのかというと、当時僕が住んでいた北アメリカはヨーロッパの文化や価値観をベースに建国されたという歴史があったから。街や通りの名前、人々のアイデンティティ、社会システムの設計思想や文化や哲学、それらのルーツがヨーロッパに起因していることが多く、自
2023年4月、僕の会社は15期目に突入します。最近、日本の会社の平均寿命が23年前後という統計を目にし、僕の会社も僕自身の人生もとっくに折り返しちゃってるじゃないかと今更ながら時の流れの速さに恐れおののいている次第です。次の10年を生き残るために、今何をすべきか。これからも首都圏を中心に中量生産で身の丈に合った規模感の経営を細々と、しかし着実に持続する努力を怠らないことは言うまでもありませんが、会社の未来の為に今このタイミングでもっと大胆に新しい行動を起こすべきではないのか
新規事業計画を着想してから約3か月、なんとか事業計画書が完成し全ての必要書類を準備することが出来ました。2021年4月30日締め切り(実際はアクセス集中により1週間程度延期された)の第1回事業再構築補助金の申請に、色んな人の協力を得て間に合うことが出来ました。感謝しかないと思っています。これから数年で複数回公募がある予定ですが、初回に絶対間に合わせたいと思っていました。というのも、事前情報で補助金関係は初回公募が一番採択率が良く、その後徐々に落ちていくというデータを見たからで
事業再構築補助金を申請するにあたり、まず考えなければいけないのは事業計画書です。事業計画書には主に既存事業の市場動向と自社の事業内容の現状分析、新しく進出する分野の市場動向と事業プランの詳細及び既存事業との比較と期待される効果の分析、新規事業に対する収益計画などについてを15ページに収まるよう作成します。この書類作成に関しては、理論的な文章の書き方をある程度知っていたほうが有利だなと思いました。僕は大学時代をアメリカで過ごし、毎週のようにペーパーと呼ばれる小論文を書きまくった
2021年1月に可決された第3次補正予算。その目玉として実施されることになったのが事業再構築補助金という総額1兆円超えの制度です。新型コロナウイルスの感染拡大に伴って大きく収益を削られた中小企業に対して新しい領域へのチャレンジを後押しすることが目的で、業態転換等にかかる費用の3分の2を補助するというのがこの制度の主な内容です。1社当たり100万~1億円を補助するという、これまでに類のない野心的な制度だと言われています。これから書く内容はこの制度をキッカケとして、東京を拠点とす
正社員として会社で働いたことがない僕が作った会社が今年で14期目に突入しました。規模としてはまだ小規模事業者のカテゴリーに分類される吹けば飛ぶようなスケール感ではありますが、「属人的」や「職人的」要素を「どう生かしつつ、排除していくか」というジレンマと戦いながら、ここ数年でやっと「組織化」が形になって来たんじゃないかと思えるようになりました。数年前までは僕が最前線に立ってチームを先導していた自覚がありますが、今はもう完全にフロントラインからは抜け出しました。社長本来の仕事であ
「持ってない身軽さからくる強さ / モバイルシネマトグラフィという可能性」と「スマホでウェディングムービー撮影はどこまで現実的か」という2本の記事を公開して、モバイルデバイスをメインとした映像制作の可能性を探る実験を始めてから1年半が過ぎました。 海外ではすでに「モバイルフォトグラファー」や「モバイルシネマトグラファー」、「アイフォンフィルムメイキング」などのスマートフォンを中心としたモバイルデバイスによる写真や映像制作の新しいジャンルが2019年頃から本格的に確立されてき
世の中の価値観が確実に変わるであろうアフターコロナの世界において、私たちが携わっている「ウェディング映像」という極めてニッチな分野の中長期的な在り方について考査してみたいと思います。この記事を読んで少しでもウェディング映像の世界に興味を持っていただけたら嬉しいです。 まず僕がこのジャンルの存在を知ったのが2003年。それまで定番であったテレビ局の取材等でよく見る肩乗せのENGカメラで撮る、いわゆる「ブライダル記録ビデオ」と呼ばれる映像商品(結婚式の様子をずっと撮る長尺の商品
ドローンと電動ジンバルが広く普及し始めた2018年以降、ウェディング映像業界全体のクオリティは劇的に進化してきました。技術や情報はネットでいくらでも収集できるようになり、マッチングアプリや支援系サービスの拡充やSNSで直接集客が容易になるなどITインフラの整備によってフリーランスになる障壁も限りなく低くなったと言えます。特に顕著なのは、大手ウェディング映像制作会社(以後大手と呼ぶ)に籍を置く腕に自信のある人材。正社員という安定したポジションからどんどん離脱し、もっと自分のスキ
自分の肩書を「シネマトグラファー」と自称して早10年余り。当時は映像を撮る人間は一律に「ビデオカメラマン」と呼ばれており、今では一般的になった「ビデオグラファー」という呼称さえ浸透していなかった。名刺を渡した相手から「シネマ、グラファー?なんですかそれ?」とよく聞かれたものである。シネマトグラファーを簡単に説明すると「映画的な表現をコントロールする現場の責任者」的な感じだろうか。昨今では肩書に限らず、シネマティック(映画的)なる表現方法がどんどん世の中に浸透し、映画撮影で使う
私たちは大量のモノで溢れた社会で暮らしている。大小あらゆるモノが続々と生産されては消費されていく。街に出れば新しいモノが次々に目に入り、店舗の棚に延々と陳列されてゆく大量のモノに毎日包囲される。ある時、僕はそんな状況にもうこれ以上ついていく自信がなくなった。エコだとかグリーンだとかを配慮したわけではない。ただ単純にこの世の中にモノが多くなりすぎて選択することを放棄したという感覚。本当に自分が好きなものは何かということすら忘れさせる物量のモノや情報に対して、もうこれ以上自分自身
私たちがこれから目指す世界とは、いったいどういうものなのか?ウェディング映像というニッチなジャンルの地位を一気に引き上げてくれたあのStillmotionみたいな作品を作ることなのか? 否。Stillmotionは一つの指標にすぎない。ここ数年でStillmotionも世界的に知名度が上がり、彼らの作品に多大なる影響を受けてテイストの似通ったウェディング映像作品を世界中で散見するようになりました。 彼らが好んで運用するスタビライザーを使った映像が増え、全体的に映像の質とレベ
ウェディング映像制作を生業にしたいと思うのなら、まず自分が進むべき方向の指針であるフィロソフィを確立する必要がある。自分のブランドや屋号を持って持続可能な事業を立ち上げたていきたいのなら、この点を曖昧にしてスタートしないほうがいい。浅く広くいきたい、もしくはただの副業としてアルバイト感覚でやりたいと思っているのならその限りではない。映像制作の世界でも特にニッチなこの分野で生き残り、少しでも頭角を現したい、上を目指して上達したいと思うのならば哲学を持つことは必要不可欠だと思う。