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敗金主義者と税

 相変わらず働けど働けど、働きたいくないけど、だからなんだけど、我が暮らし楽になりまセン。どうしてか理由はわかっているんです。私が敗金主義者だからなんです。

 さて、弱音を吐いたところで今回は税金について、敗金主義の観点から語りたい。まず、税金は誰もが心の奥では払いたくない、と思っていると思う。なるべくなら他の誰かに多く払ってもらって、自分は少なく最低限で済ませたいのではないだろうか?実際、資産家の権力者、投資家、政治に影響力を持っているだろう方々の税制は多くの国で優遇されている。自分は税金を喜んで払う、と言うのは正直者で気持ちのいい人だろうが、この高度貨幣拝金主義世界では愚か者なのであろう。もっとも、そんな人であっても、税金の意味について深く考えたことがある人がどれくらいいるだろうか?
 まず、納税は義務となっているが、そこに疑問を持つべきではないだろうか?なんで私達は納税せねばならんのか?
 まず、多くの人は「公共サービスを維持するため」と考えるであろう。金を払うからこそ公共サービスを維持できるのだし、その恩恵に預かれるのだから当然だ、と言う考えである。これは一理ある。ただ、これは建前であって、実は今払う税金は未来への投資であって、今受けている公共サービスは先人が行った過去の遺産の方が多いのである。公共事業の類はそれが顕著だし、あらゆる設備もそう言える。人件費などは今に直結するだろうが、教育費を見ればそれは過去の投資の賜物とも言える。要するに、今税金を払って公共サービスの恩恵を受けると言うのは即物的な感覚で、実は未来に投資しているのが現実的だと思うのだ。
 そう考えると、現在の日本政府の支出を見れば、社会保障に多くを割いて、公共事業には多くを投じていないのであるから、簡単にいえば、未来よりも現在を維持することで精一杯である、と言えるだろう。高い保険料や年金をとっていてなお、他の税金で徴収したものを社会保障に回しているのだ。
 これでは、我が暮らしが楽になるはずがないのである。
 今我々が快適な生活をできているのは先人たちの積み重ねがあったからで、それをこれからもしていかなければ未来にはその恩恵を受けられなくなるのは目に見えている。我々の子孫、子供達、孫達には恩恵を与えられないどころか、更なる負担を強いることになるのだ。
 さて、この問題を考えるとき、多くの人は「だから、税金をあげて公共投資だ!」と短絡的に考えるかもしれない。「金持ちから税金を取り上げろ!」とも言うかもしれない。実際、その理論で、社会保障維持のため、と言うことは他に税金をまわすため、と言う建前で消費税が出来て、徐々に上げられてきた。

 結論を言えば、これは間違っている。
 短絡的に考えなくても、砂糖が少ない状況で手持ちの砂糖を取り上げると、砂糖の島は加速度的に縮小されるのは理解できると思う。
 むしろ、砂糖が足りないのであれば、税金は減らすべきなのだ。
 逆に、砂糖が過剰にあるのであれば、税金はあげる方が全体のためになる。

要は、デフレ時に税金は下げるべきなんだ!
と言うことがなぜ実行されないのか?これはもちろん人災である。税収を決めたのも人だし、マネーを市中に行き渡らせないのも人なのだから。誰がそれを拒んでいるのか?

 そして、このことが理解できると、税というものが一体なんであるかの本質も見えてくると思う。
 島の大きさが一定だとして、
・税上げる(砂糖を取り上げる)→手持ちの砂糖が少なくなる→島が小さくなる→多くの人が溺れジヌ
・税下げる→手持ちの砂糖が多くなる→島が大きくなる(あるいは維持される)→多くの人は生活を維持できる

 だが、島の大きさは供給される砂糖の量で決まるから、実際は大きく変動する。供給される砂糖が少ない場合(デフレ時)、多い場合(インフレ時)によってまた意味合いが変化する。
 例えば、供給が多い場合に税を下げたら
・税下げる→手持ちの砂糖が多くなる→島が大きくなる→消費しきれずに島が大きくなりすぎる→島全体が沈む
・税上げる→手持ちの砂糖が減る→島が大きくなりすぎない→島が維持される
 と言った感じになり、意味合いが変わってくる。

 要するに、税には経済の安定剤の役割があるのだ。
 ただ上げれば良いと言うものではないのである。安定剤も過剰摂取すれば死に至る。何事もバランスが大事なのであるし、それは多くの人だって分かると思うのに、なぜ税金は別と考えるのか理解に苦しむ。この30年消費税は上がりっぱなし、社会保障費も上がりっぱなし、もう、逆の手を試した方がいいのではないのか?もう、遅すぎるかもしれないけど、我々は生きているし、子供もこれからを生きるのだから遅すぎると言うことはないのである。
 
 さて、税についてもう一点重要なことがあって、それはマネーと関係しているのだけど、日本人が日本円を「価値」として認めるのは税金をそれでしか払えないから、と言うのもある。日本に住み、その恩恵を受けるには「日本円」を稼ぎ、それで税を納めなくてはならない、という仕組みがあるのだ。
 これは義務というよりは「強制」である。金の力が人の意思より圧倒的に強いのである。義務には権利がつきものであるが、税の義務の裏にはこの強制力が働いているのである。
 さて、今一度考えてもらいたい。
 皆さんは自分が払っている税に伴う権利を義務以上に享受しておられるだろうか?
 税による利益の享受って目に見えにくいから判断が難しい、と敗金主義者も思うのだけど、せめて、我がくらしが楽になるような舵取りをしてほしいと思うのであった。
 今回はここまで。


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