3.11を機に「絆」が裏目に出たSNS

2011.3.11= #東日本大震災  当時の連絡手段は、

スマホは持っていたものの、ガラケーの感覚が未だあったのでSNSという存在はなかった。

直後、スマホ購入時にインストールされていた #Facebook に電話帳を介して既に始めたという友人の通知があったので、

実質、友人数皆無の私もその流れで始めた。

結婚•出産、仕事の多忙等で連絡が取れず、近況を知ることが不能だったが、

その場でそれを確認し合う喜びが癖になってしまったかというか、「友情復活」と言う形でやり取りを行なった。

リアルな場では、

人を慮った対応をしなくてはならない為に言いたいことが言えなかった反面、 #5ちゃんねる  同様、善悪の区別しない発言や反応したことによって険悪になった。(詳細はこちらへどうぞ)

具体的にいうと、東日本大震災によって被災された方が住んでいる仮設住宅みたく、防音材や仕切り等の資材を使用せずに建築されていないことによって、

プライバシー保護が守られておらず、住みにくいという #生きづらさから 、友達と離れていても暴かれているという危惧があった。

直近の、

#とろサーモン久保田  さんと #スーパーマラドーナ武智  さんがした #上沼恵美子  さんに対して、本人がいない場所で誹謗中傷されたという報道の影響によるリスクが高まり、使い方によっては「凶器」になる。

それによるSNSやメディアで報道されている仮設住宅入居による「絆」が「無意味」になってしまい、

却って「孤独」を紛らわすかのような「束縛」を感じてしまい、従前通りの個人ベースを保ちたいが為の葛藤を生じている。

「友達」といえば、

困った時にすぐ駆けつけるという存在であるという感覚をしていたが、この10年で被災者に等しい社会的弱者になってしまった私に対して「疎外」されたことから、家族同等の「関係性」の無さによるすれ違いから、離れていても何も意味がなかった。

それで学んだことは、

ストレス脆弱性による状況不能のまま善悪の判断が出来ずに迷惑行為をしてしまったことから、「デジタル」という便利な物に負けて、従前の「アナログ」感覚での構築を怠ったことを受け、寂しさや現在受けている被災者並みの甘んじ方から逸らした弱さにあった。

#それぞれの10年 #はじめてのインターネット





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只今失業中で高齢家族に合わせた生活を強いられており、取材する時間と費用がない状態で2時間という短時間で執筆しなければならない厳しい状況です。 主たるジャンルはいじめ、ハラスメント等の労働・社会問題を過去の回想を基にして執筆しております。