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別れる前に私が言えなかったことをこの場で伝える〜毒親に反する意思〜

在籍した学校や職場でも、

表面的に受け身型の私に対して、「もっと自分の意思を持って欲しい」と必ずと言っていいほど言われた。

原因はそもそも、出生時から手がかかる子供であったことは勿論、

どこに行っても問題児呼ばわりされて保護者である実母が失望したことを受け、私の要望を受け入れず、両親が先回りしてレールに乗るだけの人生を送っている。

上記三記事はいずれも私の意思ではなく、両親の意向でしなければならなかった事情でしたことであり、

余所者である友人達は表面的に私自身がしたことであったことであると見做されてしまい、責任所在は私ではないと反論した。

幼少時から両親に

口論になると必ずと言っていい程元々私は心から信じ合える友人は皆無であり、両親が亡くなったとしても頼れるのは実姉しかいないと言い聞かされたことを受け、家庭内カースト最下位の私はただ従う他はなかった。

それが身についた影響で、

社会性がなく、友達が出来るのを待つだけの受け身型で、依存していると見做された。

私からすれば、

人類は一人だけでは生きられないという弱さを持つ生き物であり、私に限らず、歓迎を断った相手も同様な感情があると伝えたかったのと同時に、私を嫌がっているのだということを読んだ。

友人らに言わせると、

中学生になったら親に精神的に依存をせざるを得なかった環境から別の形で自らの意思表示ができなくてはならいことを間接的に教えられたことになる。

高校に入学してから、その悔しさをバネにして家族や友人達の批判的な印象から脱皮したく、自ら地域の高校の部活が運営する地区委員と文化祭実行委員会に立候補した。

家族の急な判断が原因でそうなってしまったということ許して貰いたく、正当化したのは勿論、それが原因による #承認欲求  とそれ以前に私が在籍した高校のレベルが #底辺 であることを目に受けたことや友人が皆無であることに関して影響を受けたこともあり、

第三者から見て「身の丈知らず」と非難されたり、学業との両立ができなかったことは勿論、学校以外の外出が頻繁に増えたことに耐えかねた実母によって、不本意ながら地区委員を辞めざるを得なかった。

他校の同じパートの地区委員の同級生が

いい加減な形で辞めたと怒っていたということを他の友人経由から伝わってしまったことから、実母の突然の反対のせいに至ったという正当性を伝えたかったのは勿論、中学時代に両親に阻止されるということを無視して、感情任せに実現不可能な約束をするなということを思い出し、友人間の信用を失ったことになるという責任を感じた。

又、初職を退職するまでの一年間に、通勤時間が往復2時間の場所に移転したことや所定時間以上の残業で帰宅したのが深夜になった日が続いたことから、実父の判断で退職せざるを得なかった状況になってしまい、

退職日が年度末決算で、残高が合わなければ帰れないことを理解していたが、翌日に契約社員として入社することになった前職の #東京水道サービス  (TS)を優先して欲しいという意向と食い違いになり、トラブルに至った。

前職の退職検討理由は

会社の判断基準に達していないと見做され、私の言い分を聞いて貰えず、表面的にいい加減であると見做された。

私の意思ではなく、家族の意向で進路を決めざるを得なかった厳しい状況であったことをずっと伝えたい程だったが、

基本的に自分で決めたことは毒家族抜きで最後までやり抜くことをポリシーとしているいい加減な人間ではなく、問題がある家庭環境で育ったことを言えなかったことを卒業や退職の為に別れる前に伝えたかった。



#みんなの卒業式 #毒親 #とは #HSP #生きづらさ

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只今失業中で高齢家族に合わせた生活を強いられており、取材する時間と費用がない状態で2時間という短時間で執筆しなければならない厳しい状況です。 主たるジャンルはいじめ、ハラスメント等の労働・社会問題を過去の回想を基にして執筆しております。