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「共感」=「優しさ」ではなかった⁈

今は「共感力」がとても大切だといわれる時代です。
社会性のベースは共感力だから、人とつながって生きていくためには、共感力を育てなくちゃいけない!と盛んに言われているのです。

ところが先日、共感力の意外な一面を知りました。
共感力が高い人が、必ずしも「優しい」わけじゃない、という記事を見たのです。
「別冊日経サイエンス孤独と共感・脳科学で知る心の世界」より

共感力を鍛えれば、相手の気持ちがわかる、心優しい人になり、チームワークも育つのだろうと思っていたので、とても意外でした。
また、思いやりの高い人が、決して相手の不幸を感情的に理解できている人を指すわけではないというのです。
これは、相手の気持ちが理解出来なくても、思いやりの高い人がいるということになりますよね?

これには驚いてしまいました。
「共感力=優しさ=思いやり」の黄金ルールがかると信じていたので、ガラガラと音を立てて崩れていくようでした。
そこで、このことを私なりにまとめてみることにしました。

共感を構成する3つの要素

「共感力の高い人」と聞くと、何となく相手の気持ちを敏感に察知できる、思いやりのある人を想像しますよね。

悲しそうな人を見ると、自分も同じように胸が苦しくなって、いたたまれなくなる。
そういう人を見ると「共感力がある=心優しい人」だと感じますが、共感とはそれだけではないというのが、専門家の見方のようです。

共感には3つの要素があり、どれか一つでも欠けると共感とはいわないんだそうです。
その3つの要素がこちらです。

1情動的共感
2認知的共感
3共感的配慮

もう少し詳しく説明してみましょう。

情動的共感
相手の感情を共有できる力のこと。
相手の行動や置かれている状況に合わせることができる力のこと。
→一般的に「共感力がある」といわれるのは多分この部分。

認知的共感
相手の感情について考えたり、深く理解できる力のこと。
→感情が一緒に揺れるだけではダメで、深く理解するだけの知性が必要だということになります。

共感的配慮
相手が抱えている苦しみを何とか取り除いてあげよう、という意欲を高める力のこと。
→行動が伴わなければ、共感力があるとはいわないというわけです。確かに「気の毒に」「かわいそうに」と言うばかりで、何も行動が起きない人は、思いやりがあるとはいわないのと同じですものね。

この3つがそろって、初めて「共感力がある人」と呼ぶのだそうです。
つまり、相手がどれくらい辛いのか、不快感なのかがわかるだけでは、共感力が高いとはいわないのです。

そして、この3つのうち、どれか一つでも欠けると「共感」が成立しないだけでなく、問題を生じさせることがあるといいます。

例えば、サイコパス。
サイコパスとは、他人への愛情や思いやりを著しく欠き、残虐な行為を平気でくり返したりしますが、それは、相手の気持ちがわからないのではなく、ちゃんと理解できているのです。

相手の苦しみを理解できているにもかかわらず、残忍な行為に及ぶ。
当人は心が痛む事はなく、共感的配慮を全く欠いている状態なんだそうです。
なんとも恐ろしい話です。

「感じる」以上に「理解する」ことが求められる

そもそも、人が高い共感力を持つようになったのは、生き延びのため。
他人と関わり、他人と親密な関係を築き、子どもを育てるために必要な能力として発達させていきました。
なので、相手の感情を理解するのはもちろんのこと、同じように心が痛み、どうすれば苦痛を取り除いてあげられるか、行動を起こそうとすることが必要だったのです。

ただ、深く「理解する」ことや、「行動を起こす」のは、学習の領域が大きいです。
教えてもらわなければわからないし、実際に行動を起こす姿を見て、自分も真似してみようと思うものだからです。

また、興味深いのは、自閉スペクトラムの人は、相手の感情をすぐに察知するのは苦手だけれど、何が起こっているのか認知できれば、なんとかしてあげたいと行動を起こすことに差は見られないというのです。
つまり、理屈を丁寧に教えてもらい、困っている人がいたら助けてあげるものだと学習すれば、躊躇せず手を差し伸べる思いやりの行動をとるというわけです。

共感力を育てよう

では、共感力を育てるためには、何が必要なのでしょう。
どんな段階を踏んでいけば、共感力は磨かれるのでしょう。

共感力が育つには段階があります。
まず、自分の痛みを知る。
次に、他人の痛みを想像し、相手の状況や考えを理解する。
そして、相手の苦しみを和らげるように手を差し伸べる。

簡単に見えますが、実際はとても大変な作業です。
まず、自分の痛みを知るということは、不快な体験をいとわず、積み上げる必要がありますし、痛む心を直視できる力が必要です。
痛みとはどういうものかを知らない人に、信頼を寄せることはありませんからね。

また、相手の痛みを強く感じ取ってばかりいては、助けることを回避することもわかっています。
医療現場や警察官、消防士たちは、日々他人の苦痛を目の当たりにしているわけですから、全ての人の痛みを共有していては、仕事に支障が出てきますよね。
決してドライなわけじゃない。
それよりも、揺れる感情に手綱をかけ、状況を理屈で理解して、素早く行動に移すトレーニングを積む。大変な労力です。

更に、共感には偏りがあることも知られています。
そもそも私たちは、他人よりも仲間、家族に対して、共感を抱くように進化してきました。
天敵から身を守り、助け合って子どもを育てるためには、社会的な繋がりが強い方が良かったのです。
身内と、そうでない人を区分けする傾向をプログラムされているというわけです。

その壁を越えて、他人に対しても、共感できる力を持つためには、知的な学習が必要です。
それは「もし、私があなただったら…」という、立場を置き換える学び。
また、大切な人に抱く想いを、他の人にも拡大させる学習。

つまり、助けようとする意欲は、学習で身につけることができるわけです。

実際に、感情が揺れやすく、相手の苦痛を感じやすい人よりも、困った人がいたら助けなさいと教えられた人の方が、実際に手を差し伸べる場合が多いそうです。
そして、身近にいる人が人助けをする姿を見ると、自分も同様に助けることを躊躇しなくなる。
見て習うことが、行動に影響を与えることもわかっています。

子どもたちには、道徳的な授業を増やしたり、お説教をするよりも、大人の共感力を高めて、尊敬できる大人の(生き方』の姿勢や振る舞いに触れることの方が、遥かに効果が高いのではないか、と思うのです。

鶯千恭子

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