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文章を書く上で、「大きなウソ」は許されるが、「小さなウソ」は許されない。

昨日、noteを開いたらこんな通知がきました。

先週UPした下記の記事、

が、特に「スキ」を集めた、ということ。

「スキ」して下さった皆様、本当にありがとうございました!

どういう仕組み(どれだけ「スキ」を集めたら)で、この通知がくるのかは、わかりませんが、「届いていた」、そしてわざわざ「スキ」までいただけた、ということが本当に嬉しいです!

紹介した本、
「20歳の自分に受けさせたい文章講義」  著者 古賀史健
ですが、まだまだ良いメソッドがぎっしり詰まっています。

その中から、ぼくが特に気に入ったネタ(?)をまた1つ紹介したいと思います。
話の内容が面白くて、飲み会なんかでも使えそうなネタなんです。
「大きなウソ」は許されるが、「小さなウソ」は許されない
というものです。


「大きなウソ」は許されるが、「小さなウソ」は許されない

文章を書く上で、絶対に犯してはならないミスがある。
それは「細部」の誤情報だ。
フィクションの世界で良く語られる、「大きなウソは許されるが、小さなウソは許されない」という言葉をご存じだろうか?

たとえばゴジラが街にやってくる。
これはとてつもなく“大きなウソ”だが、物語上なんら問題にならない。むしろ大歓迎な大ボラである。
そしてゴジラに自衛隊が応戦するのだが、戦車や戦闘機の攻撃がいっさい効かない。すべてはじき返される。これも冷静に考えれば「どんだけ皮が固いんだよ」という“中くらいのウソ”だが、まあ許されるレベルだ。

続いてゴジラの攻撃から逃げる主人公が、倒壊したコンビニ前にある公衆電話を使い妻や子どもたちの安否を確認する。
面白いことに、観客はこうした“小さなウソ”を許さない。
「いまどきコンビニの前に公衆電話なんて置いてねえよ」
「コンビニは壊れてるのに電話線は生きてんのかよ」
「携帯電話を使うだろ、普通」
「この時代にテレフォンカードを持ち歩いているやつなんか見たことねーよ」
「いいから早く逃げろ」
などなど、容赦ないツッコミが入るし、物語のリアリティは一気にしぼんでしまう。映画は間違いなく駄作の烙印を押されるはずだ。

(中略)

あるいは、ハリウッド映画に登場する奇妙な日本人の描写を見て、気持ちが萎えてしまった経験は誰にでもあるはずだ。
物語の描写は、細部になればなるほど手を抜けないのである。

「20歳の自分に受けさせたい文章講義」より

どうでしょうか?
今回は、原文をそのまま引用しましたが、読みやすいし面白いし、まさに非の打ち所がない文章ですよね。
いやぁー、ホントに面白い。

著者である古賀史健さんは、
細部をどれだけ大事にできるかは、文章を書く上で最重要ポイントのひとつであり、
意識的、無意識的であれ“小さなウソ”をついてしまうのは、
自らが語ろうとする対象について、まだまだ理解が浅いから“小さなウソ”が出てしまう、
と言います。

そして、
「文章には“自分の頭でわかったこと”以外は書いてはいけない」
と結論付けます。

なぜなら、文章とは“答え”を示すものではなく、その“解き方”を示すもの。
読者にゴール地点を見せるのが目的ではなく、「ゴールまでの道のり」を示すことが文章の役割なのだ、と。
「わかったことだけを書く」というシンプルなルールを守ってこそ、読者の“納得”を引き出せるのです。


はい、わかりまいた。
ストン、と腹に落ちる内容で、
ぼくの中からは“納得”が出てきました。

皆さんの中からも“納得”が出てきていれば、幸いです。


今回も最後までご覧いただきありがとうございました。
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