ヴィクトリア女王のペンダント
<あらすじ>
古い時計のパーツや鍵、切手を埋め込んだPunctuallyのジュエリーが、
あなたをそれぞれの時代へと連れていってくれます。
1837年の英国ヴィクトリア時代、
1600年のフランス、
1867年の英国郵便馬車の時代、
1930年のパリ、モンパルナス駅、
私とともに、時空を超えた旅を楽しみましょう
このペンダントは、
1837年女王に即位したアレクサンドリナ・ヴィクトリアの記念切手を
バックグラウンドに、アンティークの時計のパーツをあしらって作られました。
Punctuallyのジュエリーは、
全て古い本物の時計のパーツや歯車を使って作られており、
身に着けた人は、
時空を超えて、
様々な世界に、旅をすることが出来るのです。
それでは、“時の歯車”の力を借りて、
英国ヴィクトリアの時代1837年に、旅をしてみましょう。
当時のイギリス国王であったハノーファー王、ジョージ3世には7人の息子があり、第1王子のジョージ、
第2王子のフレデリック、
第3王子のウィリアム、
そして、ヴィクトリアの父であるケント公エドワードは第4王子であった。
1820年1月23日、ヴィクトリアが生後8か月のとき父ケント公は他界し、
時を同じくして1月29日、国王であったジョージ3世が亡くなった。
それにより、第1王子のジョージがジョージ4世として即位した。
ヴィクトリアは母であるケント公妃とともにケンジントン宮殿で育った。
1830年6月26日、ジョージ四世が子供を持たずに亡くなった。
第2王子のフレデリックはすでに他界しており、
第3王子のウイリアム4世が即位したが、すでに65歳という高齢であった。
ウィリアム4世の子供は、出生後すでに亡くなっており、
次の王位継承最有力候補はヴィクトリアであった。
その頃、ヴィクトリアの母であるケント公妃は、
ヴィクトリアを連れて度々、イギリス各地を旅行していた。
しかし、ヴィクトリアを差し置いて摂生然とした態度をとる彼女に対して、
国王は、怒りの感情を抱いていた。
ケント公妃はヴィクトリアが王位についた後、彼女を操って権力をにぎる算段だったという。
1837年6月20日、午前2時20分、ウイリアム4世が亡くなり、
これにより
ヴィクトリアが18歳にしてハノーヴァー朝第6代女王に即位した。
6月20日のその朝、
ヴィクトリアは6時に母ケント公妃に起こされた。
彼女の中に嫌な予感が芽生えた、
(もしかして、国王であるウイリアム叔父様になにかあったのでは・・・)
彼女は、寝衣である純白のガウンをまとったまま、カニンガム侯爵とカンタベリー大主教に引見した。
カニンガム侯爵は彼女に国王崩御を報告し、
その場に跪いて
新女王の手に口づけした。
ヴィクトリアは、ついにこの瞬間がきたのだと、気持ちを新たにした。
それと同時に、
(母に、もうこれ以上コントロールされたくはない・・・)と、思っていた。
女王としての自覚を新たにするのと同時に、
彼女の意識は過去の記憶へと向かっていた。
幼いころに父を亡くしたヴィクトリアは、
ケンジントン宮殿で母ケント公妃に大切に育てられてきた。
母は、いくつになってもヴィクトリアに個室を与えず、
彼女を監視するように育ててきた。
母はドイツ語を母国語としていたので、
ヴィクトリアも3歳まではドイツ語のみを話す生活を送った。
その後、英語とフランス語を学び、やがて3か国語を自由に話せるようになった。しかし、強い口調でヴィクトリアをたしなめる母のドイツ語を、
彼女は冷たい言葉と感じて、
5歳になるまで反抗してアルファベットを学ぼうとはしなかった。
ヴィクトリアが11歳を過ぎたころから、母のヴィクトリアに対する態度はさらに厳しくなった。
(女王になったら・・・女王に即位した暁には・・・もっと、女王らしくふるまいなさい・・・) それが母の口癖だった。
ヴィクトリアは幼いころから思っていた。
(お母様は私のことが嫌いなんだ。もし私がいい子でなかったら、お母様は私のことを置いて行ってしまうかもしれない・・・)
いつも冷静で、プライドの高い母親・・・ヴィクトリアには、母に抱きしめられた想い出も、優しく話しかけられた想い出も、まったくなかった。
大広間の時計がボーンボーンと9回鳴って、ヴィクトリアは我に返った。
彼女の目の前には、首相であるメルバーン子爵がひざまずいており、
彼は彼女の手に口づけした。
ヴィクトリアは彼に引き続き国政を任せると述べた。
メルバーン子爵が部屋を出た後、
ヴィクトリアは母であるケント公妃に、はっきりと告げた。
(これから行うすべての会見、会議へは、私が一人で出席します。)
ウイリアム4世崩御の知らせのあと、
冷たい微笑みを浮かべていたケント公妃の顔が、一瞬にして青ざめた。
しかし、ケント公妃は、女王に言葉を返すことは許されなかった。
ヴィクトリアは思っていた。
(私は、今やっと、この18年間の母の束縛から解放されることができる。
そして、実の母以上に、幼いころから私を愛し、私を心から理解してくれた
ガヴァネスのルイーゼ・レーツェンに、今の私の思いを伝えたい・・・)
ルイーゼ・レーツェンは、ヴィクトリアが5歳の時にガヴァネスとしてケンジントン宮殿にやってきた。
ガヴァネスというのは、
今の時代の家庭教師のような存在で、
この時代、
裕福な家庭の学齢期の児童に「読み、書き、算数、外国語、音楽」などを教えた。
その頃、
母を脅威に思い、
母からの愛情に不審感を抱いていたヴィクトリアを、
ただただ優しく受け入れてくれたのは、ガヴァネスのルイーゼだけだった。
ルイーゼと出会って、はじめて言葉を学ぶことの楽しさや、
知識を身に着けることの大切さを教わった。
そして暖かい言葉と優しい抱擁を、初めて彼女は感じることができた。
自分に対する自信の無さ、
母に見捨てられるのではないかという不安、
そして何よりも心の中にぽっかりと空いていた大きな穴を埋めてくれたのが
ルイーゼだった。
いつのまにか、彼女にとってルイーゼはなくてはならない存在になっていた。
大広間の時計がボーンボーンと11回鳴って、ヴィクトリアは再び、我に返った。ケンジントン宮殿内の赤の大広間において、
ヴィクトリアにとって最初の枢密院会議が開かれた。
ヴィクトリアは心のうちに思った。
「私が王位につくのが神の思し召しなら私は全力を挙げて国に対する義務を果たすだろう。私は若いし、多くの点で未経験者である。だが正しいことをしようという善意・欲望においては誰にも負けないと信じている。」
権力を誇示して、自分の利益のみを求めることの空しさ・・・それは母から教わった。なんと、みじめで孤独なことだろう。
他人を思いやり、まわりの誰かを幸せにすることで自分自身も癒されて幸福な気持ちになれる。愛されていると自覚することで、自分を愛し、自信と純粋なプライドを持つことが出来る・・・それらは、ルイーゼから教わったことだ。
ヴィクトリアにとって最初の枢密院会議、そこに出席した官僚たちは口ぐちに、
新女王の優雅な物腰、
毅然とした態度、
堂々たる勅語をほめたたえたという。
ウェリントン公爵は、この日のヴィクトリアの存在を
「彼女はその肉体で自らの椅子を満たし、その精神で部屋全体を満たしていた」
という言葉で表した。
またジョン・ラッセル卿は
「ヴィクトリア女王の治世は後代まで、また世界万国に対して不滅の光を放つであろう」と予言したという。
それらの賞賛を彼女が耳にしたとしたら、
すべてはガヴァネスのルイーゼのおかげだと心から感謝することだろう。
さて、そろそろ、ネックレスを外して、旅を終えよう。
このPunctuallyの“時の歯車”のネックレスを着けることで、
その時代に旅をするだけではなく、
その時代のその人物の気持ちも味わうことができる。
大英帝国を象徴する女王として知られ、
63年7か月にも及ぶ治世を務めたヴィクトリア女王。
しかし、その地位と名誉と権力の陰には、
誰にも言えない孤独な思いが隠されていたのかもしれない。
自信と権威に満ち溢れた女王・・・
でも、その心のうちは、
どこにでもいる、
とても繊細でナイーブで傷つきやすい、
弱気でさみしがりやの女の子だったのかもしれない・・・
@この物語は、実在する人物、時代背景をもとに書かれた架空の物語です。
レディ・ガヴァネスに捧げるネックレス https://note.com/otueotjf/n/ne05fa6b26773
ヘンリエッタのお祖母様のネックレス https://note.com/otueotjf/n/n13143f79e51a
馬車と歯車のペンダント
https://note.com/otueotjf/n/n8fafee1208b0
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