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【ショートショート】スナちゃんはストッキングがキライ

一条さんには隙がない、と私は思う。一条さんは若手女性社員みんなの憧れだ。

胸元まで伸びたロングヘアをゆるくカールさせ、常に体のラインにフィットしたVネックのカットソーに、パンツもしくは細身のロングスカートを合わせてる。

そんな頭からつま先までが描くカッコいいIラインは、スタイルの良い一条さんならではだと私は思う。ちんちくりんの私に、パンツスタイルは似合わない。

「ねえ、ここさ、うちの都合で変更したっぽい印象与えるからさ、あくまでうちはお客様の立場に立って提案した結果ですよ〜みたいなニュアンス?そういう風に変えた方がいいと思う」

一条さんのアドバイスは的確だ。入社8年目。今現在、入社1年目の私の教育係。

「ありがとうございます、今直します」
「それ以外はすごく良かったから、直したら係長に回しちゃっていいよ」

後輩を褒めるのもすごく上手い。キュッと笑って立ち去っていった一条さんからほのかに柔軟剤の香りがしたけれど、それは私がドラッグストアで何度も香りを嗅いでは値段を見て諦めたラグジュアリーな香りってやつだ。

ランチタイムは一条さんと社内カフェスペースで過ごすのがお決まりとなっている。それは陰で男性社員から「一条会」と名付けられ、まるでマルチ商法の勧誘を受けているかのような図、とのことだけど、内側の人間には分からん。

「やっぱりさ、男って揺れるものに弱いじゃない?」

一条さんはいつもお弁当。体のことを考えたような和食が多く、今日は焼き鯖とかぼちゃの煮物、きゅうりの浅漬けとひじきの煮物、ゆかりご飯が、彩り良く小ぶりな曲げわっぱのお弁当箱に詰められていた。

「揺れるってなんですかー?イヤリングとかですか?」

2年目の高梨さんの問いを受け、「んーそうだな、例えばさ」と今日のロングスカートを手でつまみ、はらりと揺らす。

「こんなもん?」

そう言いながら左手で掻き上げたゆるいウェーブの髪がまた揺れる。またほのかに湿りを持ったフローラルな香りが空気に乗った。

目尻から少しはみ出たアイラインが、一条さんの女の格をワンランク上げてる気がする。私も明日、少し長めにアイライン引いてみよう、と脳内にメモする。

「今日、部長の送別会だね、早く終わらせるように午後もまた頑張ろ」

45分を過ぎた頃、一条さんのその声で私たちは一旦解散、それぞれの部署に戻った。

足元からライトで照らされ朱色の柱が煌々と存在感を放つ、神社のような店内。間の仕切りを外し4つのテーブルを繋げられた掘りごたつ席で、部長の送別会は行われていた。

端の方の席で一条さんと高梨さんと私は、またも女子トークに花を咲かせる。

「陽介もよく言うわけ、お前には結婚したら家に入って欲しいって。でも私はそういうのって逆に窮屈?決められたくないっていうかさ、決めるのはいつだって自分でいたいじゃん?」

一条さんは同棲してる恋人の陽介さんとの話をよくする。友人の紹介で知り合い付き合って3年、結婚の話も出るらしいのだがタイミング的に「今ではない」らしい。

「ええ〜専業主婦になれるなんていいじゃないですか〜」

高梨さんはテーブルをバンバン叩きながら羨ましがる。

「そうですよ、今どきそう言ってくれる人珍しいですって」

私も便乗すると、満更でもなさそうに一条さんは頬杖をつく。

「陽介って見かけによらずどこか昭和っぽいんだよね、平成生まれなのに」

そう言いながらジョッキでハイボールを豪快に流し込んだ。一条さんが一条さんだったのはここまでだ。

店を出る頃には、一条さんはかなりハイになり、珍しく頬を赤らめ、目を潤ませ、口を開けて笑っていた。それはそれはとても楽しそう。

宴の間はほとんど話さなかった部長に、今頃になって「来月から部長がいないなんてさみし〜、私部長に育ててもらったんですよ〜、ほら〜大きくなったでしょ〜?」とその細い体を左右にクリクリ回しながら別れを惜しんでいた。

しかし美人な一条さんはいくつになっても許される。

「若いっていうのは最大の武器だよ〜」と一条さんは言うけれど、こういう時、若さが何の武器にもならないことを私たちは思い知る。

だって部長は誰からのどんな言葉よりも、今、一条さんの「さみし〜」の一言で鼻の下を伸ばしたのだから。

部長が男性社員たちを引き連れ次の店に向かったのを見送ると、突然一条さんのスイッチが切れた。

「おっも〜い赤が飲みたい・・・」

そう呟いて、膝からカックンとなだれ落ちたのである。

「おもい・・・あか・・・」

パッと支えた高梨さんの腕の中で、目を瞑り呟く。

「一条さん、こんなんでワインなんて無理ですよ、今日はもう帰りましょ」

私が腕をゆさゆさ揺らし説得すると、一条さんは口をへの字に曲げて露骨に拗ね、そして「じゃあ・・・」と口を開いた。

「よっけ」

へ?高梨さんと私は顔を見合わせる。

「よっけ!よっけ!よっけ!」

・・・陽介だ、とピンときたのは数秒後だった。

「よよ陽介さんですね、陽介さん、おうちにいますかね、電話します?」

高梨さんが肩を揺らして聞くと、一条さんは半ば寝っ転がったままの姿勢でガサガサと自分のロングスカートを探りポケットからスマホを取り出した。

指がピポパと画面上を慣れたようにタップすると電話は繋がったようだ。

「よっけ?むり、もうむり、歩けない」

突然のキャラチェンジに高梨さんと私は固まった。

「うん、うん、ここ?一丁目のファミマの角。あーい、あーい、あいよー」

電話が終わったのか一条さんはスッとスマホを耳から離し、またグッタリと体の力が抜けたように高梨さんの腕にもたれる。

高梨さんと目が合った気がしたけど、お互いすぐに逸らした。

「あー、もう!こんなところにいたー」

よっけが来たのは15分後と意外とすぐだった。

声の方に目を向けると、身長157cmの私と目線が同じ、メガネをかけた小熊のような人物が立っていた。

私たちが想像してた「陽介(30)外資系金融機関勤務」と「よっけ」は違った。

最初はまさかよっけだと思わないから無視してたけど、その小熊は明らかに一条さんに向かって「スナちゃん」と連呼する。

スナちゃん。一条砂未、スナちゃんだ。

よっけが到着すると、スナちゃんの表情は一気に柔らかくなり、「よ〜っけ」と大きく手を広げてはふにゃふにゃに笑う。

「ああ、もう、すみません、スナちゃんが。ほらもー、後輩の子達に迷惑かけてー」

人柄の良さが溢れんばかりの穏やかな叱り方に、高梨さんも私も「いえいえ」と遠慮がちに否定する。

私たちよりわざわざ家から迎えに来たあなたですよ、一番迷惑かかってるのは。

「スナちゃんがお世話になりました」

よっけは私たちに向かってペコリとすると、すぐスナちゃんの脇の下を支えて立ち上がらせた。

「あーもうストッキングやだー、きらーい、脱ぐ脱ぐー」
「ここはまだお家じゃないからだーめ」
「脱ぎたいのー」
「だめだよ、スナちゃん」

よっけは何度も私たちにペコペコ頭を下げ、少しずつゆっくりスナちゃんのペースで離れていく。

すっかり酔いが覚めてしまった様子で高梨さんが「帰るか」と言った。

私たちは解散した。

帰りながら、よっけとスナちゃんを思い出した。私はすごくホッとしていた。

一条さんは家に帰ってからも一条さんだと思っていた。家に帰って髪を一つに束ね、手際良く和食を作る。部屋着もきっと落ち着いたトーンのシャツとパンツ。

でもきっと違う。彼女は家に帰ると一条さんというストッキングを脱ぎスナちゃんになれる。

内側にこもった体温と汗から解放される。

ホッとした。

一条さんはきっと、よっけと間違いなく結婚すると思う。昭和生まれにしか見えないよっけと。

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