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記憶の中の人は歳を取らない


人間は記憶の中の人の時間経過をさせないものだと思います。


例えば、
久しぶりに会った人に
「あら、大人になったな」
「あら、老けたな」

と思うことはあっても、

「あら、思ったより大人になってないな」
「あら、思ったより老けてないな」
と思うことはあまり無いのではないでしょうか。


人間が自分を主に(主観)に生きている以上、
様々な記憶にある人の時間を進めない。

これは自分の記憶にある人物に対する時間軸と
現実の時間軸がズレる、
という、
多分、古の遥か昔から常としてある課題なのではないでしょうか。



分かりやすい例を取ると、
育ててもらったエネルギッシュで
元気な親の印象のまま過ごしているうちに、
現在の親の現実との解離が発生し、

最後に
もっとああすればよかった、
話せばよかった、
会えばよかった、
と後悔する。



多分、人間が始まってからずっと
人間はこれをやっているんではないでしょうか。
でもそうなのが人間なのでしょうか。


生きていれば目まぐるしく
自分の世界軸で次々と課題が発生し、
それが死ぬまで終わらないゲーム。

それに翻弄されている内に、
先の
「ああすればよかった」
に行き着く、

でもそれも不正解では無いのかもしれません。
もちろん、
「ああすれば」
一番良いのでしょうが、


「ああすればよかった」
は愛ですので、
そう思える人は、
"ああしたとして"

「もっとああすればよかった」
と思える人なのではないのでしょうか。




この人間の習性は、
「ちゃんと感謝して生きなさいよ」
という大きな意識の意思とも感じます。

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