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町中華に思いを馳せれば 選ぶことのアンビバレンス

いつのまにか「町中華」が話題のひとつとして成立するようになった。雑誌やテレビで「町中華特集」が組まれるようになってから、私も町中華に行くようになった類である。

以前は知らない町に行く機会があれば、ラーメン屋を探していた。そのポジションを私のなかで現在占めているのが町中華だ。周辺の町中華を調べると、4,5軒は見つかることがザラだ。その中から今の空腹を満たすにふさわしい町中華を選び出す。

ちなみに、ここでいう町中華とはかなり緩い定義で捉えてほしい。つまり経営者の国籍は問わないが、気楽に入れるラフなスタイルの中華料理屋ということだ。

数ある選択肢をふるいにかけて選り抜く作業は、快楽と苦痛のアンビバレンスだ。切り捨てた選択肢は、もはや実現されない可能性、確定された現在、摩耗された未来・・・・・・こういうことを思えばフゥッと溜息をつきたくなる。一方、選ぶとはアイデンティティの表現である。あれもこれも素敵だけれども、自分が最もいいと思うのはまさに”これ”という価値観の表明が、曖昧模糊としたアイデンティティの手触りを形成する。

このように思いを馳せれば、私にとっての町中華の魅力とは、ジャンルのはらむ多様性にあるのかもしれないと思った。つまり、「どこに行こうかしらん」と選ぶときの快楽と苦痛のアンビバレンスが、ただの昼食をある種のイベントとして盛り上げる。

人生において選べることは数少ない。選べない現実に直面するうちに流されたほうが楽だと思うようになる。ちょっと待て。今日の昼食は選べる。まずはそこからだ。

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