病気をして失うもの得るもの

6月からの体調を考えればやっと右肩上がりの復調していると実感しています。しかしながら身体の怠さや気持ちの鬱感で動けなくなる事も確かにあります。
相変わらずの両足首の寝るときの痺れは継続、唾液は相変わらず出る量は少なく、朝起きた時の舌がガサガサになっていたりするのは変わらず。
こんな状況ですが、鍼灸医に通い始めて食事の量は明らかに増えた。
食べられる物は変わりなく、揚げ物や刺身、魚、随分と食べられるようにはなったけど、喉通りは悪く、喉につっかえるものは水分を一口含んで飲み込む。煩わしいけどこれしか食べる方法はない。まあ、味も幾分わかるようになってきたのは確かだ、けど…。

6月の下旬ぐらいからほぼ毎日、午前中を中心に散歩、歩く事を日課にしている。自分ができるできる運動といえば歩く事ぐらい。最近ではこれにプラスしてゴルフの打ちっ放しもふらりと行くようになった。営業時代に上司から強制的にゴルフをしろと言われ、ゴルフショップで一番安い訳の分からないセットを購入して、打ちっ放しや、ショートコースに勤しんだものだ。
知識も何もないからクラブも振れていない。教則本通り、先人たちの情報を頼りに握り方や構え方、振り上げた角度、云々、思った通りに飛ぶはずがない。「そんな安いクラブ使っているから」よく言われたものだ。
しかし当の本人は営業でのあくまで人付き合い程度としか考えていないので、そんなものにお金を回すほど余裕もない。
20数年前に買ったクラブをそのまま今も使用している。使用頻度は少ないから綺麗なものだ。

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ゴルフボールを腕を振って打つ。ボール手前の芝に当たって腕が痛かったり、ボールを打った反動がそのまま腕にきて痛かったり…。

鍼灸医の院長にこの話をしたら、「お前は死ぬ場所が決まってないから、多分どんな事があっても生きていると思うわ」カラカラと笑いながら、背中をマッサージしてくれている。しかも、散歩とこの打ちっ放しは良い意味で期待を裏切っていたらしく、院長としてはかなりうれしい事だったらしい。
久々にこの医院の扉を叩いた時に、「お前の体は80歳の体だ」あちこちが健常ではなく、筋力もない。それでも笑いながら、癌の後遺症、鬱の体調に合わせて体に鍼を打ってくれる。
「散歩はともかく、打ちっ放しも何度かいっているのか?うん、いいぞ、いいぞ、内容はともかく、行く事に意義がある」
子供をみる優しい眼差しで嬉しそうに肩を叩いてくれた。

「治療と関係ないんですけど、もし、自分が癌のまま発見も遅くなって、放置していたらどうなっていましたかね?」これは癌の主治医にも怖くてきけなかった事だ。癌が悪化して多分死んでしまうだろう位に思っていた。だから余計に聞けない。今は心療内科、外科、よりもこの鍼灸医の院長には気兼ねなく聞ける。
「ああ、たぶんだけどな、右顎をとって食事は管を入れての流動食。俺の患者でもお前と同じ人いてな。その人は顎を取るぐらいならそのままうまいもの食べればいいわといって、そのまま病状が悪化してなくなったよ」
この話を聞いて本当にゾッとした。食べる事が出来なくなる。
オイラはまだいい。味もへったくれもないけどまだ口から食べ物を入れて噛み砕いて、飲み込む。腑に落ちるってこういう事。

冒頭に、けど…とかいたのは、良くなると言われている味覚障害。
生き物に感謝しながら、命を食べなきゃならないけど、ここ最近は食に対して義務化、口にものを運ぶ、味がしない、それでも食べなければならない。食べる事が機械的になってきた。
食って、自分の生命を守る為に必要なエネルギー、栄養を得る為に必要な作業で、ここに感情が入ってくるから、生産者、料理を作る人や食べる人、様々な感情があって、「食欲」という人間に必要な欲求に変わっていく。
甘いものや、キリッとした喉越しや、薬味香辛料の効いた刺激のあるもので「食」という欲求を満たす。
しかし、今の自分にとっては、僅かな味と食感がないのは本当に辛く、ストレスになる。寿司はまさしく辛いもののオンパレードで、刺身の部分は油の塊の食感。米は口の水分が持って行かれるから醤油も多めに。他人が美味しいと感じる10の数字が、自分では常に2〜3。
昨日も卵かけ御飯を口に運んでいてもストレスで食べれなくなりそうになった。これでは良くなりかけている鬱にも影響がでそうである。

癌になって失って一番大きなものは味覚。得たものは一体なんだろう?

おいらの性格か、人の心理か、病んだり気分が落ちたりする時ほど文章を書く事がしやすいきがする。

早く美味しいものが食べれるようになりたいものだ。


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