「離れた星々と彗星」 ショート×ショート(3498文字)


「つまり、こういうわけだ」
 

幼馴染であった。シバタは幼い頃から鼻筋の通ったアドルフの横顔を見て、自身の目を細めていた。視界の奥には沈んでいく夕陽が、バオバブの木の特徴的なシルエットを映し出していた。

「僕等はこの世に生を受けてからずっとテクノロジーにそのすべてを委ねすぎている。だからこそ、こういった時でしか、もうリアルを感じることが出来ないのさ」

アドルフはそう言うと、紅に染まり、今まさに息を潜めようとしている大地を確かめるように見つめた。シバタの頬にマダガスカルの乾いた風が触れていく気がした。湿地の水面には聞いたことも無い虫の鳴き声が反響している。

「リアルか。それでも、アドルフの国では、まだそういう文化に疎いんじゃないのか?」

シバタは、小さく呟いて、アドルフの視線の先を追った。黄金の宝石のように染まっていた草原が闇夜に浸されていく。

「そうでもないよ。シバタのようにトウキョウにいる人間からすると、そう見えるのかもしれないけれど。歴史的建築物に価値があるなんて考え方、今はほとんどのフランス人にもう通用しない。古い建物に価値があるだなんて、一昔前の人間だと笑われるよ」

そう大きく手を振りながら話したアドルフの頬に微かに、痣があるのが見えた。夕陽が完全に沈み、夜目に浮かび上がったアドルフの頬の傷は、事情を知っている人間でしか気が付くことが出来ないくらい僅かな差異だった。
アドルフは幼い頃、酷い交通事故に巻き込まれ、頬骨を粉々にする怪我を負った。当時のアドルフは顔に包帯を巻き、僕の前に現れた。だが医学はアドルフの端正に整った顔を、まるで何も無かったかのように完全に復元したのだった。

「だが、こうしてシバタと話していると、思い出すことができるんだ。僕は生きている。僕は確かに生きているんだということにね」

「つまり、アドルフの言っていたふうになるということかい?」

シバタは笑みを浮かべて、わざと嘲笑するように答えた。

「シバタ。馬鹿にしちゃいけないよ。これは間違いないんだ。もうすぐ人類は気が付くはずさ。こうして、実際に、自分で、まだ知らない世界を見て、聞いて、感じること。その素晴らしさに立ち返るべきなんだ」

シバタはポケットから電子健康煙草を取り出そうとした。だがすぐに、キッチンに置いてきたことを思い出し諦めた。取り残された夕陽と、訪れる夜が混ざり合い、深く紫に染まった大きな雲が、褐色の岩肌の山の向こうに見えた。

「ネットワークから脱出したいのさ。人類は、生のすべてを支えてきた、それから離れる時がきたんだ。こうして素晴らしい、うつくしい時間を、大切な仲間と共有するんだよ。わかるだろ?」

アドルフの熱のこもった声を聞いて、とうとうシバタの甲高い笑い声が乾いた大地に響いた。アドルフは眉間に皺を寄せて、その様子を眺めると、二人で座っていた岩の上に大の字に転がり込んだ。
そうして、アドルフは真っ直ぐに宙に手を伸ばしてみせた。それは光に向かって力強く伸びる、バオバブの木のようだった。

「シバタ、見てみろよ、そろそろだぞ」
 

顔を上げると、淡い青白い空が広がっていた。同時に、燃え上がるような夕陽に隠されていた、星々がその姿を闇に紛れて現した。
星から放たれた、突き刺すような光は小刻みに震え、何万光年も離れた生命体に、その命の輝きを伝えるのだった。シバタはほとんど声を失くしてその姿に見惚れていた。闇夜のキャンバスに、あまりにも力強く存在している輝きにすっかり心を奪われてしまったのだ。大きな、大きな一羽の鳥が、星々の合間を縫うように駆けていくのが見えた。

「分かるかもしれないよ、アドルフ。君の言っていたことが」

シバタは自身が座っていた石の感覚を確かめようとした。温度こそ伝わってこないが、静かに大地に佇む、この岩は何千年もここに存在していたはずだった。

その瞬間、目の前の茂みから、物音がした。
アドルフは咄嗟に起き上がると、身を潜めたものを確かめようとした。辺りは暗闇と静寂に包まれている。

「人じゃないか?」

アドルフは身を乗り出して、物音の先を窺いながら、そう呟いた。シバタもようやく理解した。

圧しかかるような闇に、獣のように身を潜めた小さな子供がいる。鋭い眼光は、小さな岩に座り込む二人を捉えている。シバタは、その子供が棒状の武器を抱えて緊張をしているのを感じ取っていた。

「驚いたな、現地民だぞ」

アドルフは表情を変えずに、声を出した。

「服は着ているみたいだ。流石に裸ではないな。おい、アドルフ。データバンクから言語を拾って、なにか話しかけてみろよ」

アドルフは髪を掻きあげると、その存在に満足したようで、もう一度寝転んで空を見上げた。その姿に目の前の子供は、微かに草原を揺らし動揺をした。

「断るよ。今日、見に来たのは、こっちなんだ。さぁ、始まるぞ、時間だ、時間だ」

拍子抜けのアドルフの姿に、ぎらついた敵意を含む視線が、まるで不思議なモノを見るように変わった。シバタは、張り詰められた空気が解かれたのを確認すると、アドルフと同じように岩の上に身を投げて、再び空を見上げた。

「二十世紀の接近がうつくしかったらしいんだ、こっちでは、当時、魔女なんて存在が信じられていたから、当初その呪いなんじゃないかって」

「実に、西洋的な話だ。分からないことを追及していた時代っていうのは、良いものだよ」

二人は暫く、燦々と煌めく星々を見上げていた。
在る瞬間を待ち侘びていたのだった。たった一度しか経験の出来ないことを。

「きたぞ!あれだ、シバタ。南西の空、七時十二分三十二秒。時間もきっかりだ!」

アドルフが興奮気味に指し示した夜空に、白い綿のような切れ込みが見えた。暗がりから、染みだすように現れた白い光は、徐々にその輪郭を浮かび上がらせて、やがて二人にその全貌を差し出した。

青白く、うつくしい、輝きだった。
彗星が七十六年ぶりに地球の周期に重なり合った瞬間だった。

「アドルフ!すごいな!」

「ああ!シバタ!こんなことって!」

二人はほとんど声を叫んで、歓びを分かち合った。夏の南半球に、オリオンのシリウスが二人を包み込むように輝いていた。
 

彗星は光の道を夜空に描き、ゆっくりと堕ちていく。

二人は眺め続けていた。散りばめられた星々と、現れた神々しい光の筋を。

「ああ、本当に、す、…すごい、や。僕等はこうして生きているんだ」

シバタは、ふと、アドルフが涙を零しているのに気が付いた。その涙は、あの彗星のように頬に光の筋を作りながら、岩に落ちた。だが、岩には、何の跡も残らない。アドルフは見上げたまま喋り続ける。

「な、…なあ、シ…だろっ」

シバタはあることを思い出した。彗星が近づくことで、ホログラム衛星に影響が出るというニュースを先ほど自宅で見たばかりだった。彗星は勢いを増したように、光を強めていく。

「あ、…生き…る、suis、お、…ぁ、de 、incroyable!」

アドルフの姿が乱れていく。どうやら自動翻訳機も調子が悪いらしい。シバタは、初めて聞いた幼馴染のフランス語の地声に、随分と違う印象を受けた。ジジジという電子音と共に、アドルフの姿に線のようなノイズが入ると、夜空を見上げていた男は、そのまま消えてしまった。そこには、何も無かったかのように、ただ岩が残されていた。

シバタの回線はどうやらまだ生きている。
一人になったシバタは、うつくしい彗星に心を奪われながらも、「リアル」で会ったこともないアドルフについて考えた。

そして、僕等の出会いがネットワークのおかげだったことを考えると、どこかアドルフの言葉を肯定しきれなかった。

一度だって、触れたことの無い。

「リアル」で会ったことのない親友のことを否定する気にはなれなかったのだった。

シバタは視線に気が付いた。目の前にあの子供が立っていた。
どうやら今までずっと見ていたようだった。

「やあ、君は、元気かい?」

シバタは岩から起き上がり手を差し出した。子供は目を丸くして驚いていた様子だったが、おずおずとまだ幼い手を出し、シバタの手を掴もうとした。何度も、何度も、すり抜けていってしまう、シバタの手を。

子供は幾度もシバタに触ろうとした。その度に映し出されたシバタの映像が乱れるだけだった。仕舞いには、シバタに抱きつこうと岩の上に倒れ込んでしまった。

「アドルフ」

シバタは、子供の目を見た。
 

見たことも無い経験に、純に輝く瞳を見ていた。


「君の言っていたことは正しいよ。僕等は確かに、リアルを生きたいんだ。君に、会いたいと思う、この気持ちが、その証拠さ」

シバタは首筋に繋がったコードを外した。

シバタの姿はプツリと切れて、とうとう二人は完全に消えてしまった。



散りばめられた星々と、光を放つ彗星が流れていく。

マダガスカルの大地には子供だけが取り残されていた。




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