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借り物ではなく自分の経験として過ごした時間のなかで

大人の島留学・島体験に参画した皆さんの来島前・来島後、そしてこれからについてお届けする「私、島で働く。」

来島のきっかけ、仕事の様子、仕事への想い、自分自身の変化など1人1人のストーリーをお届けします。

今回、お話を伺ったのは
海士町役場人づくり課で勤務していた2022年度4月期生の佐藤さん。

これまでの経験やバックグラウンドから「故郷」や「帰る場所」について関心を寄せ、地域へのかかわり方を模索していたそう。

自分の中に何となくの知識は持っていたなかで、実際に来島し佐藤さんが得たものとは…。

佐藤実果さん
R4年度4月生として来島
兵庫県出身

「故郷」「帰る場所」への想い

私は、小さな頃から「故郷」とか「帰る場所」っていうキーワードに想い入れが強かったなと思います。西宮で暮らした22年の間に、駅前開発でガラッと街の印象も変わって、綺麗で賑やかで、周囲から住みたいと言われるような街になりました。周りから憧れの街って言ってもらえるようになったのは嬉しかったけど、愛着のある景色がどんどん移り変わって、無くなっていくことに寂しさを感じていました。

また、高校に進学してからフランスに1年間留学した経験も「帰る場所」について考えるきっかけになっていたと思います。

大学にて

自分の個性みたいなものが全く表現できなくなって、殻に閉じこもっていた時に、日本や地元について聞かれることがあって。それを話している時が、唯一自分を取り戻せる瞬間で。

心の拠り所を持つことの大きさに気付いて、そんな場所をこれからも持ち続けたいと思うようになりました。だから、安心して帰りたいと思える場所が、この先もずっと残っていくにはどうしたらいいのかを考え始めました。

そういったバックグラウンドから地域活性化って呼ばれているところに関心を持つようになり、海士町に来る前から地域に関わる活動をしたり、大学の授業やゼミでも学んだりしていました。

その中で、勉強したり地域を訪ねたりはするけど、話を聞かせて貰ったり、手伝わせてもらう触りのところで終わっていて。もっと深く中に入って、他にはどんな関わり方があるのか、選択肢や可能性を知りたい。海士町や島体験のプログラムを知るまでは、そんな選択肢や機会をずっと探していました。

そんな時に、ゼミ合宿で海士町に来て。
私はそれまで海士町のことは知らなかったけど、移住者の方々との交流会の中で当時の大人の島留学生の刑部さんに出会って、大人の島留学・島体験について教えてもらいました。大人の島留学・島体験は、用意されたプログラムではあるけど、その中で自分で考えたり動いたり、自分の手で創れる部分が残されているところに魅力を感じて面白そうだなと思って参加を決めました。


還流というキーワードに惹かれて

はじめは、観光系の職場と人づくり課で悩んでいました。
本当の所、究極はどっちになっても良かったと思っていて…。
なぜなら、どこに身をおいても島に来た目的は叶えられる気がしていたから。

島に来るまで、企業とかNPOでは関わりがあったけど、行政が自分にとって一番遠い存在だったから人づくり課か交流促進課に絞りました。そこから先は、還流ってキーワードに惹かれて人づくり課に決めました。

観光もそうだけど、外に出て他を知ることで内を知る経験に対して自分は興味があって。それが若者を島に呼んで人の流れをつくるってミッションと重なる部分を感じて人づくり課に配属希望を出しました。


移住検討ツアーの運営

最初の3か月は研修サポートと事業所訪問についていました。
あとは、事業所支援としてCAS凍結センターへ。
7月から延長して島スタッフになってからは移住検討ツアーである週末"島"移住の事務局として働いていました。

研修の様子

最初の方は、事業所面談や研修のなかで目指すものあるけど ”自分自身のやりたいこと” が無くて。5月中旬ぐらいに、そろそろ一本柱をもってみないかという話から、現在携わっている移住検討ツアー「週末”島”移住」の業務を提案していただきました。自分自身が関心を持っていた”外に出て他を知ることで内を知る経験”にもつながっていくような気がしたので飛び込んでみることにしました。

smoutに掲載していました

現在は、自分たちでツアーコンセプトをつくって、募集をかけて、面談をして。ツアー工程組んで、関係者との調整をする。そして、当日皆さんを迎えて同行するところまで関わっています。


借り物だった経験を自分の経験に

「週末”島”移住」に関する業務だけでみるとまだ大きな変化は実感していません。けれど、4月から見ると自分自身で学びや経験をつくり出すようになった点で変化を感じています。

最初の3カ月は、人から得る学びが多かった気がします。研修という業務の特性もあったとは思いますが、自分が一方的に吸収してる感覚でしたね。
同じ島体験生が経験した話を聞いて借り物としての気づきを得るみたいな。
その気づきに対して自分は体を使っていないし、ただ聞いているだけで。

それって業務としてそこに私がいることに意味はあまりないんですよね。
だから、本当は「このままじゃダメなんだろうなー」っていうのも当時は薄々感じていたので、すごく苦しかったです。お金をもらってこの島で働いて、暮らしてるというところまで含めると、これじゃだめだなって。

でも、この「週末”島移住”」を始めてからは、人の経験から学びを貰う煮え切らない思いは無くなりました。そこは多分自分の中で1番大きな変化ですね。
その変化に対するきっかけは色々あったし失敗もしたけど、そのきっかけ毎に仕事に対する自分の姿勢が受け身ではなくなって、それに伴い自然と意識も行動も変わっていきました。

最初の頃の自分は「大した力になれていない・求められていない」って感じていたけど、今は「任されていることの喜び」みたいなものが強くなった気がします。最初の数カ月で悩んだ分、今胸を張って仕事に向き合えている。気持ちの面だけでなく、最初の3か月の仕事があったからこそ「週末”島”移住」に活かせていることも多いので、そういう意味では自分にとっては無駄な時間は一切なかったなと思います。

ここでの経験を今後へどう具体的に活かすのかとかは特にないけれど、
どこかのタイミングで活きてくる時があるはずで。何年か後に振り返った時に、あの時の経験があそこで活きてたんだろうなって感じている自分がきっと居ると想像しています。


場所に囚われすぎないこと

自分はずっと都会暮らしで日本の地方で暮らしたこともなくて。机上の知識で、それは借り物として自分の中に入っているけど、実際を知らないっていう矛盾。そこに違和感を抱いていたなかで海士町に来て色んな経験をして。

田んぼのお手伝い

半年が終わろうとしている今思うことはいくつかあるけど、場所に囚われすぎないことが自分の中に生まれた視点かなと思います。島に来る前は西宮や関西に帰ろうって思ってたけど、住む場所がそこじゃないとダメ!みたいな感覚がなくなりました。

まるどマーケットに出店しました


それよりも、どういう関わりの中で、どういう人と、どんな生き方をするかみたいな方が大事だなと思うようになりました。自分の帰りたい場所に暮らすっていうのもすごく良いけど、今いる場所ではないどこかに帰る場所があるのも、すごく素敵だなと思って。それもずっと住んでた地元を初めて離れて思うようになったことです。

積み重ねていく自分を好きになれた

自分って結構こだわりを持っていなかったんだということに、来てから気がつきました。以前は、逆算式の人間だったんです。目標や目指すところにむかって、逆算して計算して計画を立てるので考えて動く理由がないと動かないタイプ。

けど、ここに来て積み上げていくことを許せるようになった。
何もかも準備してからでなくても動いていいし、まずはやってみる・流れに身を任せるっていうのが自分の中で許せるようになったのも変化として感じています。



あとがき

外に出て他を知ることで内を知る

良いこともそうでないことも

それを借り物ではなく自分の経験として得られる場所で

自分自身の原体験を ”島” で得てみませんか



▼自分で創ること・借り物ではない自分の経験として

▼借り物ではない経験の中であっても


▼大人の島留学・島体験がちょっと気になってきた方はこちら!


最後までお読みいただきありがとうございました!

            (インタビュー・執筆/大人の島留学生田中沙采)

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