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島でnote書いてみた

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島での出会い、発見、体験、学び・・・など、これまで拾い切れなかった島で起こっている“リアルな記録”を、島で働く/暮らす当事者の、等身大の言葉で書かれた記事たちです!
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#海士町

島体験は、大切にしているものを再確認する日々だった。

2023年10-12月の島体験生として海士町に来島。 海士町役場の里山里海循環特命担当として働く神野佑介さん(わさび)にインタビューしました。 来島するまでは、大学を休学して兵庫県でファシリテーターをしていました。子どもたちとキャンプをしたり、クラスづくりをしたり。そういう人との繋がりや、居場所づくりに関心がありました。 そんななか友だちからコミュニティデザインについての話を聞き、山崎亮さんの『コミュニティデザインの時代』という本を読んで海士町のことを知って。キャンプの仕

休学して一旦リセット。東京から島に飛び込んで1か月経った今、思うこと。

大学4年生。就活を期に、「自分はこのままでいいの?」とふと立ち止まった。思い切って飛び込んだ大人の島留学では、これまでの「ふつう」にとらわれない世界が広がっていた。 こんにちは、はじめまして! #離島にもっと若者の還流をnote担当の髙橋です。 島根県・隠岐諸島のうち隠岐島前地域(海士町、西ノ島町、知夫村)で、 全国各地の若者たちが島に滞在しながら働く機会を提供している「大人の島留学」。 R6年4月に来島した私は現在、大人の島留学を運営している島前ふるさと魅力化財団の広報

3.22

朝起きる。 なんにもすることがなくて(あるけど)手持ち無沙汰な毎日。 ま、ちょっくら、図書館でも行くかと思いチャリでこぎこぎすると海士町のママに会う。 バイト来いとなる。バイト行くとなる。 図書館で作業する。 家の灯油を払い忘れてたので、本吉燃料へ行く。 そういや、あのおじさんバイト探してるんだとか言ってたなと思い声をかけたら、まさにめちゃくちゃ探してたらしく、ここに暇なやついますよ、と名乗りをあげる。実は確信犯として行ったけど。 そのままおじさんが経営してる飲食店で

私も癖強いけど、海士町の皆さんも癖が凄いんじゃわ

島体験について調べる時、薄々気付いてはいたがやはり私たちはnoteを書かなくてはならないらしい… 文章を書くことが好きだった少年は好んで文章に触れることが減り(文学部の大学生になったのにも関わらず、だ)苦手意識を抱いている様子。「日記に乱雑に書いたような文章でもいい」と言われ、重々しく筆を執った。 ところで、誰だお前岡山県の私大に通う大学3年生、”お前”と呼ばれるのは嫌い。 生まれてこの方21年、県内で生きてきた。井の中の蛙になるのは嫌だと親の元から離れようとしていた時期が

島らしいスローライフをもとめて。海士町で理由のない優しさに出会う

今回は、7月から島体験で海士町に来ているYさんにインタビューしました! ―では、自己紹介をお願いします! Yさん: 7-9月期島体験生として来島しました。東京の大学の法学部政治学科で学んでいます。大学3年の夏にアルバイト先の後輩から島体験のことを知り、今は大学4年を休学をして島体験に来ています。 ―なぜ島に来ましたか? Yさん: 社会人になる前に、自分が今まで過ごしてきた東京から離れ、いろんな人と出会い、ゆったりとした生活をしてみたいな、と思ったからです。 出身も育ち

立春大吉の焼火山 / 第1話

ようやくnoteを始めた~!というだけで満足しちゃって、案の定さっそく放置。 いつのまにか年をまたぎ、再開のチャンスを逸してオロオロしていましたが… …はっ。立春があるじゃないか!! 立春と言えばお正月も同然。今がチャーンス!!ということで突然再開します。 しれっと、今回を第1話にします。 さて立春大吉。新春おめでとうございます。 晴れがましいスタートにあたり、西ノ島の焼火神社へ参拝することにしました。 なぜなら焼火は私たちの原点だからだ。島前の島々はそもそもカルデラの縁で

島に来て5日目。今の心境。

島に来て5日目。今日は1月13日(土)。外では雪が降っている中私は今西ノ島の図書館でこれを書いている。隣のシェアメイトと一緒に。 本当にまだ5日しか経ってないの?と思うぐらい来島してからの毎日が濃くて一瞬だった。もうすでにこの3ヶ月が終わって欲しくないと思う。 この5日を振り返って思うことはとにかく自分と向き合う時間が多かったな〜と、正確には向き合う機会を与えていただいたな〜ということ。自分は自分が思っていたより自分について知らないなと感じた。そして1番思うことは一緒に来た

課題に向き合う中で、楽しさを見つけていく。海士町で過ごした2週間

8月後半の2週間を海士町で過ごした、乙川翔太郎さんにお話を聞きました 憧れだけでなく、実際に暮らしてみる。 インタビュアー: では早速ですが、この島に来ようと思った理由を教えてください。 乙川さん: 僕がこの島留学の募集に応募したのが、ちょうどワーホリでオーストラリアにいる時だったんです。日本の街並みとか、ちょっと閉鎖的な場所、いわゆる日本らしいところで暮らしてみたいというのがあって応募しました。 僕はアウトドアが好きで、島みたいな自然の近いところで暮らすのに憧れがあっ

「好き」にまっすぐに生きる。島は好奇心が広がる場所

今回は、2023年5-7月期の島体験生として来島したまなさんについてご紹介します。 まなさんは東京都生まれで、現在大学3年生を休学中です。彼女は、高校生の頃からカメラを持ち歩いていました。文化祭では教室の一角で写真展をしたこともあるそうです! 好奇心旺盛で「好き」に真っ直ぐな彼女は どうして、島に来ることになったのでしょうか? 自分の力でどこかに行きたい去年の春、大学2年生になったけれど希望したゼミに入ることができなかった。だから、学校に通っていても「つまらない」と感じ

色々あって島で暮らすことになりました。

初めまして。わさびと申します。 私は大学生なのですが、色々あって10月から地元を離れて島根県の海士町という島で、3カ月間生活することになりました。 このnoteでは私と同じように海士町でインターンに参加している仲間たちと、海士町での暮らしや、「地域のためになにかできないか」と色々と模索している私たちの様子をゆるっと発信していく予定です。 挑戦の街、海士町 海士町は地域活性化という点においてある程度、成功している場所として紹介されることが多い場所です。実際に生活していて

大学4年生の今、島に来てよかった。新しい価値観に出会った3ヶ月の記録

はじめまして、記者です。 2023年5-7月の島体験に参画した大島夕果さんにインタビューしました。 夕果の第一印象は、THE「無」。 クールというか、冷めてるというか(笑) あと、「髪の毛チャラいな~」でした。 でも、一緒に小学校見学に行ったときに普段と全然違って見えて。 こやつ、いいやつやん。めちゃキラキラしとるやん。 子どもたちと関わることがすごい好きなんだな〜って その時のことをよく覚えています。 そんな冷めたような印象を与えがちな、 でも本当はあったかい彼女の たっ

noteを書いて半年、仕事を通して海士町を知る。

『ないものはない』というキャッチコピーに惹かれて、海士町に来島。 あれから半年が経ちました。 R5年度大人の島留学生の渋谷です。 「仕事は広報がやりたいです!」と大人の島留学に参画。海士町役場の総務課に所属し、海士町noteを担当しています。 どんな仕事をしているの?そんな仕事も気づけば、あっという間に折り返し地点。 ひとつひとつの記事に思い入れがあるからこそピックアップするのが悩ましい…。 早速ですが、主な仕事である海士町noteでの半年を振り返りたいと思います。

答えの出ないことに思い悩んでしまう自分が、島に来て気がついたこと。

横浜生まれ横浜育ちのシティーガールがなぜ海士町に? 彼女が島の仕事に向ける眼差しとは? 2023年5−7月の島体験生として、海士町役場交流促進課で日々奮闘する餅田ゆかりさん(もっち)のインタビューをお届けします。 動きたい自分、動き出せない自分前職を退職してから、なかなか動き出せず自分のやりたいことも分からない。転職活動を頑張らないと!という気持ちばかりが先行して、自分で自分を追い詰めていたように思います。 そんな時、友達のInstagramを通じて海士町のこと、そして

海士町noteと振り返る、島ではたらく半年間📖

海士町noteを担当し始めてから約半年、4月から始まった大人の島留学も折り返し地点をむかえました。 海士町note担当、R5年度大人の島留学生、柿添です。 どんな季節も相変わらず海士町の景色はとってもキレイで、ご飯はおいしくて、人が優しくて… いろいろな環境にやさしい刺激を受けながら、海士町という島を知っていくことができている、そんな感覚があります。 私はR5年度の4月から1年間、海士町役場総務課にて情報発信を担当しています。今回は、半年の振り返りをしてみようと思います。