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私も癖強いけど、海士町の皆さんも癖が凄いんじゃわ

島体験について調べる時、薄々気付いてはいたがやはり私たちはnoteを書かなくてはならないらしい…
文章を書くことが好きだった少年は好んで文章に触れることが減り(文学部の大学生になったのにも関わらず、だ)苦手意識を抱いている様子。「日記に乱雑に書いたような文章でもいい」と言われ、重々しく筆を執った。


ところで、誰だお前

岡山県の私大に通う大学3年生、”お前”と呼ばれるのは嫌い。
生まれてこの方21年、県内で生きてきた。井の中の蛙になるのは嫌だと親の元から離れようとしていた時期があったが、そんなものは1㎝程の水が溜まった井戸でびょこびょこ飛び跳ね、暴れているに過ぎないなと思う今日この頃。
結局、離れる事を選ばなかったのは自分自身だし、学費がかかるだの、親の心配だのと言い訳を連ねたのも私である。

まぁそんな縛られていた頃のしようもない話はさておき、
私は今、このnoteを隠岐の島・海士町にある隠岐國学習センターの冷たい床の上で書いている。
みーんな(は少々盛ったが8割方の体験生が)椅子に座り机の上でお行儀よく書いているというのに、私は下駄箱前の足場に座り込んでいる。
昔からの私の悪い癖で、人と変わった事がしたくなる。変人である事を好み、みんなと同じであることを酷く恐れている。
みんなと同じ方が生きやすいんだろうなぁと思う反面、没個性的人生なんて、とも思う。
まぁ結局は自分が変人だと思っているだけで、世の中見渡せば変な人ばっかりなのだが、

島に来る前、
「3か月隠岐の島に行く!!!」と周囲に言えば、
「変わってるね」と言われた。
しかし、島に来てしまえば同期の島体験生も島に来ることを選んだ”変わってる”人たちばかりだ。
だけど、変わってる人に囲まれて生活するのも楽しくて好きで。

自分でも本当にややこしく捻くれた性質を持っていると思う。
と、書き連ねている所で下駄箱前に人が来たので「アッすみませんっ」と言いながら机に戻ってきた。

そろそろ、島に来た理由を話そうかな。

決断から来島まで3週間

大学3年4月、私は緩やかに就活に取り組み始めた。
同学科の子たちよりも少し早く始めたのは、マイペースな自分の性質を理解しているから。
まぁ早く進めておいて損するこたぁないでしょう、と思ってのことだった。

そんな中、就活イベントで出会った勇輝くんが私に隠岐で過ごす3ヶ月、という選択肢を教えてくれた。

彼は以前海士町に滞在していて、島体験や島留学のプログラムを知ったらしい。
彼自身は留学生でも体験生でもなく、Entōに勤めていた。
海士のことを語る彼は本当に楽しそうで、
面白そう・楽しそうという感情に忠実に生きてきた私が島前地域に惹きつけられるには十分すぎる出来事だった。
それが12月頭のこと。

そこからの行動は早かった。
親に相談することもなくエントリーをして、面接を受けたのが12月18日。来島が決まってから親に話をして、行ってくるね、と。
3週間後には海士町にいた。
私は新しい場所、知らないこと、初めての環境に身を置くことの楽しさは知っている。面白さも。
幸いなことに恵まれた環境の中でぬくぬくと生きてきた私は自分のことを試したかった。
ここでなら困り果てて、苦しくて、どうすればいいのか分からなくなるほどの迷いを経験を出来るのではないかと期待している、と今になって思う。
だからこそ、ないものはない
と潔く掲げる海士町に足を踏み入れたくなったのだ。

どうして、に苦悩した

就活の話に戻そう。
いつからだろうか、ぼんやりと考えていることがある。
岡山を離れ、親元を離れ、自分の力で生きていきたい、と。

岡山が嫌いで出て行きたい訳ではない。
子供に対する親の心配の感情が分からないわけではない。
ただ、私は死ぬその瞬間まで自分のケツは自分の墓場まで自分で拭きたい、
それを望むならば岡山にいることは最善の選択ではない、と思ったのだ。

安直に選択肢も可能性も幅広いと思った都市圏での就職を希望し、
秋口からの早期選考で今年度中には内定を決めることがここ数か月の目標だった。

しかしいざ、エントリーシート、面接と進めていくうちにこれまで目を背け続けていた自分の未熟さに気付いてしまう。
好奇心を基に、風になびくように、手当たり次第に動いてきた自分は
それらを自分の中で腹落ちさせる工程を怠けてきたせいで、
何故それをしたかったか、何に惹かれたか、何の為に行動したのか、思い出せなくなっていた。
腹落ちしていなければ、自分のやりたい事、人生を描くビジョンだって話せる訳は無く。
面接で「どうして」と聞かれる度に答えに詰まり、焦り、おもむろに支離滅裂な事を喋り始めてしまう。
当然、何千人と学生を見てきた人事は見透かしたような表情を浮かべる。
結果は言うまでもない。

このままじゃダメだ
と焦燥の気持ちに駆られていた時に、勇輝くんに出会い、海士町を知った。
大学生でいながら”働く”とはどういうことか身をもって体感できる。
親元から離れて、バックグラウンドの異なる人と3か月の共同生活。
ここなら自分のしたい事、出来る事、求められる事が分かるんじゃなかろうか。
望みを託すように、生活に必要なものを段ボールとスーツケースに詰め込んでいった。

MajiでNabe食う5分前

島に着いて早々、オンライン上でしか見ていなかった同期の島体験生と顔を合わせた。
zoomで見たことのある顔、顔合わせに参加できなかった初見の人。
アイスブレイクで偶然にも、同じシェアハウスのりつきとペアを組み、互いの似顔絵を描いた。
手元の紙を見ずに顔を見つめ、話を聞きながら描く似顔絵は福笑いの様な顔になり、笑いを誘う。
彼女と話をしていると、この子は私と何となく似ているなと思っていることに気付いた。
なるようになる、と思っていること。
興味を惹かれた新しい事柄に対して、
とりあえずやってみるか、と感情が先行して動き出すこと。
共通点の多いりつきと暮らす3か月に思いを馳せ、心が躍ったことを覚えている。

りつき作の私、眼鏡があればなんとかなる

初日の研修を終え、解散してから、りつきともう一人、
シェアメイトのめいと共にシェアハウスまで歩いた。
夕飯どうしようね~なんて話をしながら、近くの商店を覗いた結果
簡単に作れて健康的(?)な豆乳鍋にしたのだが、
お酒を買いにあっちゃんの店に向かうと5月からの体験生だと話す謙悟さんに遭遇。
もっと話したくなって、ご縁を逃したくなくて、
「今日鍋パするんですけど来ません⁉」
と、咄嗟に口にしていた。
最初は困惑した顔を浮かべていた謙悟さんも
「シェアハウスの人誘って来そうなら何人かで行くよ」と。
数十分後、謙悟さんはいっくんと共に冷凍のお好み焼き(手作りかな)を手に八幡邸を訪れ
5人でやけに広い畳張りリビングの鍋を囲んでいた。

何が刺さるか分かんないじゃん

初日から濃厚すぎる経験をしたけれど
ほんの3か月、されど3か月。
さっき書いたのは一言にまとめると”自分探し”をしたいって話。

だけど島に着いて数日、
みんなと話しているとやってみたい事なんて山ほど出てきた。

・海岸や船から釣りをしたい
・モリ突き漁もしたい
・魚捌いてお刺身食べたい
・馬に乗って草原を駆け抜けたい
・レインボービーチで焚き火したい
・バレルサウナのクラファン
・サウナから冬の日本海に飛び込んでととのいたい
・体験生みんなでドッジボールしたい
・筋トレ部立ち上げたい
・タコパしたい
・カメラで島の景色を、みんなの笑顔を残したい
・レンタカーで三島ドライブ
・お酒を飲みながら一晩語り明かしたい

ざっと羅列するだけでこんなにもある。
同期のみんなと叶えたいものもあれば、
島民の方や他の期の体験生、留学生とやってみたいことも。

まぁ要するにだ、
この3ヶ月で私と出会ってくれる人と
楽しくて面白い、その人にとって何か1歩飛び出していく為の
足掛かりになるような体験が一緒に出来れば幸せだなと思っている。

ほんの少し、少しだけ

このnoteを書き始めたのが来島2日後の研修。
公開するまでに1か月近くも要してしまった。
惰性、それから、ほんの少しの恐怖。

ただひたすらに、私の事を知ろうとしてくれる、
話を聞こうとしてくれる私の大好きな人達になら、
これを読んでどう思われても、私は大好きなままでいられると
覚悟できたから、

やっと公開します。
読んでくれて、知ってくれて、考えてくれて
ありがとう。また、

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