あの頃、のレシピ|トムヤムクン
20代の頃よく遊んだ池袋は昔からアジア系の飲食店が多い土地柄で、当時世間で巻き起こっていたエスニックブームやパクチー人気とは無関係に、タイ料理やベトナム料理屋に通い、台湾料理の店で香菜の小皿をつまんで飲んだりしたものだった。
私にとって最初の料理の師である料亭修行時代の親方は、若い時分にアジア各国のホテルの日本食レストランで働いたという少し変わった経歴の持ち主で、現地で覚えた名物料理をまかないで時々作ってくれた。
仕事が早く引けたある日、作務衣姿に下駄履きの親方に連れられて行ったタイレストラン。そこで初めて食べてそのおいしさに感動したのは、さすがは世界三大スープの一つに数えられる「トムヤムクン」。
一口目こそ汁物が辛酸っぱいことにびっくりしたものの、さらりとした中に溶け込むエビの強い旨味と柑橘の爽やかな酸味、鮮烈な辛さとが見事に調和したそのスープは、亡くなった親方の好物でもあった。
いくつものブームと、その中で消えていったたくさんのもの。
「トムヤムクン」を作ると、そんなあの頃を思い出す。
トムヤムクン(ナムサイ)
トムヤムクンには大きく2つのタイプがあり、日本ではココナッツミルクを使うややこってりめの「ナムコン(濃い水の意味)」タイプが人気ですが、私が好きなのはさらりとしてすっきり辛口の「ナムサイ(澄んだ水の意味)」。特有の調味料や香味野菜をふんだんに使うのがタイ料理の特徴ですが、ナムサイタイプは日本の食材に少しのアイディアを加えれば、かなり本格的な雰囲気を家でも楽しむことができます。
⒈はじめに材料を一通り揃えます。
素材の持ち味を生かしてサッと手早く仕上げるタイ料理では、調理を始める前に材料を揃えておくことが大切です。
エビは身の部分の殻をむいて、背中に切り目を入れて背ワタを取り除き、きれいに水洗いして水気を切っておきます。
今日は、有頭のアルゼンチン赤エビを使用しています。近頃スーパーでよく見かけるようになり、主に生食用として売られていますが、加熱してもおいしく食べられます。鮮やかな赤色と大きさに高級感がある割には比較的値段が手頃なので、頭付きのエビで豪華な雰囲気を楽しみたい時におすすめです。エビは、ブラックタイガーやバナメイなど、手に入りやすいものでもちろん構いません。
しょうがはよく洗って皮ごと薄切りに、玉ねぎは繊維に沿って薄切り、セロリは表面の太い筋をすっと包丁で引いて除いてから、繊維を断つように薄切りに。エリンギはカサの方を3cm長さに切って形を生かしてスライスし、軸の方は斜めに薄切りにします。
厚みはどれも5〜7mmを目安に、薄くしすぎないように切ってください。
鷹の爪は半分にちぎって種を抜き、ミニトマトはヘタをとって半分に切ります。辛いものが得意な方は、鷹の爪の量を増やしたり(1本=やや辛、1.5本=辛口、2本=大辛 が目安)、種ごと使うなどで辛さを調節できます。
タイ料理といえば、香味野菜をふんだんに使う華やかで複雑な香りにも特徴がありますが、残念ながら日本では手に入りにくい材料が多いため、そこは日本の食材で代用しながら最善を尽くします。
本来トムヤムクンに使われるタイのハーブ類、レモングラス(レモンに似た香りのするイネ科の植物)やバイマックルー(柑橘類コブミカンの葉)、カー(タイ生姜)などのハーブ類は、主に香り付けの役割で食べることは少ないものですが、今日使う野菜類は具として食べても大丈夫です。
⒉鍋に桜エビを入れ、弱火にかけて空炒りします。エビの殻の香ばしさがしっかり立ってくるまで、焦がさないように時々混ぜながら3分ほどかけて炒ります。
今日のレシピの最大のポイントが、この桜エビです。
そこへ、水、鶏ガラスープの素を入れて中火にし、鷹の爪と、野菜類(ミニトマト以外)を加えて、蓋をして煮ていきます。沸いたら弱火にして、3分ほど煮てください。
タイ料理のスープのベースは鶏ガラスープになりますが、家ではやはり手軽なインスタントの素を使うのが便利。そこへ出汁の一部として、炒って引き出した桜エビの香ばしさを加えることで、スープの味わいにぐっと本格的な雰囲気が出るのです。エビは殻に旨味を感じさせる強い香りがあります。
⒊野菜に透明感が出てきたら、エビ、ミニトマトを加え、エビの身が白くなって火が通るまで軽く煮ます。
ナンプラー、レモン汁を加え、一混ぜしたらすぐに火を止めます。エキゾチックな香りを生かして仕上げるために、調味料を加えたら長く加熱しないのもおいしさのポイントです。煮過ぎるとエビの食感も硬くなります。
シンプルでスピーディ、だからこそのおいしさ。これで、トムヤムクン・ナムサイの出来上がりです。
カタクチイワシなどの小魚が原料のナンプラーは、タイの味を代表する調味料。これだけは日本の醤油では代用がきかないので、必ずナンプラー(魚醤)を使ってください。
何かもう一味複雑味が欲しいという方は、⒊でエビ、ミニトマトと同じタイミングで、柚子胡椒を2〜3g(小さじ1/3程度)加えてみてください。
柚子胡椒の原料は、若い柑橘類(青柚子)の皮と青唐辛子。レモンと鷹の爪に重ねて、それぞれに違う種類の風味を足すことで奥行きが出て、落ち着きのある味わいに変わります。
器に盛り付け、ざく切りにしたパクチーを浮かべたら完成です。
タイ料理をはじめとするエスニックブームから、パクチーを食べられるようになったという方も多いのではないでしょうか。
ほんのり白濁したスープには、エビと香味野菜の素材の味わいが確かに溶け合い、すっきりとしたキレのある辛さが後を引くおいしさです。食べる時にフレッシュなレモンをさらに絞ると、爽やかさが増して一層美味。
桜エビからくる強いエビの香りと、有頭エビの甘さとコク。エビの風味は、ナンプラーやパクチーと並びタイ料理らしさを強く感じさせる要素の一つです。特に外国のお料理を作る時には、特徴的な要素をまず捉えそこを集中的に膨らませてあげると、本格的な雰囲気が作り出せます。
激辛ブーム、エスニックブームを経て、今ではカップ麺にもなり、日本にすっかり馴染んだトムヤムクン。
それぞれの“あの頃”の記憶とともに、ゆっくりと食事の時間を愉しんでください。
それでは今日はこのへんで。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
お読み頂きありがとうございます。 これからもおいしいお料理とおいしいお酒をたくさんお届けします。