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こつこつやっている時はその光が見えない

 春休みが始まった頃のお話です。
 長女にとっては学校生活初めての春休み。今まではなんの準備もなく次のクラスになるので休みが嬉しかった春休みでした。
 それが今年は勉強を積み重ねた結果の2年生への進級。彼女は春休みが始まってお休みなっているのにも関わらず浮かない顔をしていました。

 どうしたの?と尋ねてみると「不安なの。」と返事があって俯く長女。この感覚、なんとなく分かるな〜と私は思っていました。
 時間を空けるとこれまで習ったことを全て忘れてしまうのではないか。2年生からの学習についていけなくなるのではないか。もちろんそんなことはないんでしょうけれど、そんな漠然とした不安を抱えていたことを思い出しました。

 当時の私はその解決法が分かりませんでした。両親にもこの思いは伝わらず、当時の私話す術もなくダラダラと長期休暇を消費していました。結果長期休みの明け初日、振り返りテストなるものがある時は欠席することがほとんどでした。テストを受けていれば覚えていることが分かったかもしれません。ですが私にはそんな勇気がなく、ひたすらに投稿初日が終わることを願っていたのでした。

 そんな過去の私とよく重なった長女。ちゃんと不安であることを誰かに伝えられたのは素晴らしいなと思いながら。その当時はどうすれば良いかわかりませんでしたが、今はその解決方法が分かっているので長女に伝えることができました。

 不安には行動あるのみ。
 1日少しずつでもいいから勉強を続けてみよう。
 そう長女に伝えたのでした。

 その日から漢字練習と算数問題を始めることにしました。
 1年生で習う漢字は80個。それを1日でやろうとすると途方もない数です。大人の私だって苦しくなってしまいます。それに1日にたっぷり詰め込んでも最終日には忘れてしまうかも、という不安が残ります。なので1日8個、10日で80個をやってみようと提案しました。運よく入学祝いに頂いた漢字練習帳があったのでそれを使いました。
 算数は本人が苦手だと思っているところ、やりたいと思ったところを振り返ってもらうことにしました。

 不安の解消法が勉強の継続、と言われて長女も最初はめんどくさがっていました。せっかくのお休みなのにどうして勉強しなければならないのか、と。続けることに意味があるのか分からなかったのもありますよね。勉強って楽しいこともあるけれど面倒であることも確か。だから負担になりすぎない量をやっていこうと繰り返し伝えました。

 初日こそ文句を言いながらやっていた長女ですが、翌日からは自分で漢字練習帳を出して学習を始めました。1年生の書写の教科書を広げて、前日やった続きから毎日8個ずつ練習帳に漢字を書き続けていきました。だんだんとページがめくられて、漢字でびっしり埋め尽くされていきました。春休み最終日に全ての漢字の復習が終わりました。

 長女は2学期の始業式から嫌がらずに登校していきました。それはもうすんなりと。春休み初日に暗い顔をしていたのが嘘のようにさっと登校して行ったのでした。
 そして先日、花丸の漢字テストを持って帰ってきました。復習していた成果が出たんんだね、よく続けられたねと彼女の努力を讃えました。彼女は嬉しいような誇らしいような恥ずかしいような、そんな少し大人になった顔を私に向けたのでした。

 こつこつとやっている時、それはどこまでも続く長い長い階段のように感じます。登っても登っても、簡単に頂上は見えません。鬱蒼とした森をただひたすらに登っていると、こんなことに意味があるんだろうか?その先がないんじゃないか?と不安になります。

 でもその努力は決して無駄ではないんです。今回の点数のように結果が見えることもあります。でも見えないけれど確実に身についているものがあると思っています。それは私がずっと続けているお弁当作りのように。気がついたら続けられていた、そんな感じです。

 こつこつは苦手・得意で決めるものではないと思います。気がついたらこつこつやっていた。それはやるかやらないかの世界だと思うんです。始めから目標高く行くと山登りのように挫折しがちです。先の見えないゴールばかり見ないでまずは足元の一歩から少しずつ。それを続けていくといつか開けて成果が見えてくる。それを肌で感じた私と長女の春休みでした。 

子どもにお小遣いをあげる気持ちで♡