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魔法少女の系譜、その30~『ミラクル少女リミットちゃん』と口承文芸~


 さて、今回も、『ミラクル少女リミットちゃん』を取り上げます。
 今回は、口承文芸と、『リミットちゃん』とを、比較して、分析してみます。

 前回に書いたとおり、リミットちゃんは、サイボーグ少女です。人造型の魔法少女ですね。
 口承文芸には、純粋に、人間の科学技術で作られた、超常的能力を持つ存在は、ほとんど登場しません。口承文芸というものが、科学技術が発達する前に生まれたためでしょう。

 かわりに、普通の人知を離れた「魔法的な技術」や、「神の力」でもって、人間が改造されて生まれたものが、存在します。

 例えば、ケルト神話に登場する「銀の手のヌアドゥ」です。
 ヌアドゥは、ケルトの神々の王でした。それが、戦いで右手を失ったために、退位せざるを得なくなります。
 しかし、ヌアドゥは、のちに、再び王位につきます。それは、治癒神ディアン・ケーフトによって、新たな「銀の手」を付けてもらったからです。
 「銀」という金属を使っている点が、サイボーグっぽいですね。治癒神の力によって果たされているところは、いかにも、古代の神話です。

 ただし、ヌアドゥは、最初から、「普通の人」ではなく、神さまです。もともと超常能力を持っていた者が、一度失って、回復する、という形ですね。

 最初は普通の人間だったのに、改造されて超常能力を得る例としては、ギリシャ神話のダイダロスとイカロスとの話があります。
 一般的には、「イカロスの墜落」で知られる話です。

 ダイダロスとイカロスとは、父子です。イカロスのほうが、ダイダロスの息子です。
 ダイダロスは、超人的なほどの技術力を持つ職人でした。その彼が、息子と共に、ミノスという王に幽閉されてしまったことがあります。
 そこから脱出するために、ダイダロスは、有名な翼を作ります。自分と息子との背に、人工的な翼を付けました。

 知られるように、イカロスのほうは、太陽の熱で、翼を付けていた膠【にかわ】―蝋【ろう】だとされることもあります―が溶けてしまい、墜落死してしまいます。
 ダイダロスのほうは、無事に脱出に成功します。イカロスの墜落ばかりが有名で、ダイダロスの成功のほうは、あまり語られません。

 この神話は、人間にはない超常能力「空を飛ぶ」を、人工的な人体改造「翼を付ける」によって、果たした例ですね。

 「空を飛ぶ」ことは、長い間、人類の夢でした。科学技術の力によって、それが実現したのは、歴史的には、つい最近です。
 けれども、神話や伝説の中では、超人的な技術力を持つ工人によって、空を飛んだことが、世界中で、語られています。

 例えば、北欧神話には、ヴェルンドという工人が登場します。彼もまた、ニーズズという王に幽閉されてしまい、そこから脱出するために、人工的な翼を作ります。彼の場合も、首尾よく空を飛んで、脱出に成功しました。

 中国の伝説には、魯班【ろはん】という超人的な工人が登場します。彼は、木材でトビ―鳥のトンビです―を作り、それに乗って空を飛んだといいます。
 これは、人体改造ではなくて、飛行機を作った例ですね。

 リミットちゃんは、七つ道具の一つ、フライングバッグで、空を飛びます。
 ダイダロスやヴェルンドよりは、魯班に近いですね。
 もっとも、リミットちゃんは、「空を飛ぶ」以外の能力を、いくつも、人体改造によって得ています。

 このように、「サイボーグ」という言葉はなくても、人体改造により、超常的な能力を得て、活躍する話は、昔から、ありました。
 神話や伝説ですと、神さまや、魔法的な力を持つ工人が、主役でした。
 主役を、かわいい少女にした点が、『リミットちゃん』では、新しいですね。昭和四十年代後半(一九七〇年代前半)の段階では。

 日本のアニメで積み重ねられた、「魔法少女」の文脈と。
 古代の神話以来の「人体改造」の文脈と。
 両方を合わせて、それに「科学技術」を載せたら、新しいものができました(^^)

 せっかく、新しいものを作ったのに、残念ながら、視聴率の点では、『リミットちゃん』は、振るわなかったそうです。
 二〇一四年現在では、信じられないかも知れませんね。「ちゃんと、二クール(半年)も、放送が続いているじゃないか」と。

 この頃のアニメは、一つの番組が、一年間(四クール)続くのが、当たり前なんですよ。半年で切られたら、「短い」と言われたのです。

 同時期に放映された『キューティーハニー』も、半年(二クール)で、終了しています。
 こちらは、とても人気があったのに、なぜ、半年で終わったのか、わかりません。もしかしたら、あのお色気要素が、一部の人々に、憎まれたのかも知れませんね。PTAあたりから、圧力がかかったのでしょうか(笑)

 『リミットちゃん』の視聴率が振るわなかった原因の一つは、小学五年生のヒロインに、「サイボーグ化」という、重い課題を負わせたからではないかと思います。

 冷静に考えて下さい。小学五年生で、命に関わるほどの飛行機事故に遭うこと自体、大変な衝撃でしょう。
 それに加えて、「お前の体を機械化したから」と言われたら……私が小学五年生の時に、そんな目に遭ったら、とうてい、背負いきれなかったでしょう。自殺していたかも知れません。
 いや、でも、サイボーグゆえに、自殺さえ果たせなくて……と、どんどん、暗い方向に考えが走ります(^^;

 二〇一四年現在なら、むしろ、このように深刻な方向に突き進むことで、ヒットするアニメが作れるかも知れません。ヒロインを中学生か高校生にして、主に、「大きなお友達」向けに。
 しかし、『リミットちゃん』は、昭和四十年代後半のアニメですからね。「大きなお友達」なんて、いませんでした。いたとしても、無視できるほど、少ない数でした。

 昭和四十年代当時、子供向けの魔法少女アニメとするには、明るく、楽しい方向に走るしか、ありませんでした。
 実際、リミットちゃんは、自分がサイボーグであることに悩みながらも、いつも深刻な顔をしているわけではありません。基本は、明るいです。小学生らしい、やんちゃもします。
 「ミラクルラン」で走る時に、他の人を突き飛ばしたり、変装がばれそうになった時に、「ミラクルパワー」で相手を投げ飛ばしたりしています。

 こういうやんちゃの間に、ふと、悩む表情が入ります。
 このギャップに惹かれたという方も、多いのですけれどね。放映から四十年(!)が経った現在に、『リミットちゃん』のファンサイトを運営している方がいるほどです。

 でも、一般受けは、しなかったんですね。
 設定の重さと、「子供向けだから、明るくしなければいけない」という時代の縛りとが、かみ合わなかったのでしょう。

 今回は、ここまでとします。
 次回も、『リミットちゃん』を取り上げる予定です。



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