「詩は十月の午後」

今まで、詩がわからないなと思って生きてきた。
それでも好きな詩歌の幾つかはあって、ならばわたしのなかには、何らかの詩に対する好みというものがあるはずだ。その「何らかの好み」がどういうものか、自分なりの詩の良し悪しを、そろそろ本腰を入れて培いたいと近頃思うようになった。
それは、世の詩歌をもっと味わってみたいからでもあり、自分でもつくってみたい――正確には、自分で作ったものに対する、自分なりの評価基準をもちたいからでもあった。

先日たまたま読み返した石井睦美『キャベツ』に、田村隆一「西武園所感」から、「詩は十月の午後」という一節が引用されている。

 詩は十月の午後、と田村隆一は書いた。
 詩は十月の午後、と田村隆一は書いた、とかこちゃんは言った。
 その詩をぼくも知っている。それはこう続く。詩は一本の草 一つの石。
 田村隆一は知らなかったんだろうか、詩はひとりの女の子だっていうことを。知らないはずないな。だけどそれじゃあ寺山修司になっちゃうって思ったのかなあ。そうかもしれない。きっとそうだな。

(石井睦美(2012)『キャベツ』、講談社文庫、p. 129)

最初にこの本を読んだときから今に至るまで、わたしはこの詩を読んだことがなかった。
再読の機を得たついでに読んでみようと思って、でも地元の図書館には「西武園所感」が入っているはずの『言葉のない世界』はなかったので、代わりに全詩集を借りてきた。
所蔵館から取り寄せてもらったのを受け取りに行ったら、厚みが8cmほどもあって、物理的な質量にも、そのほぼ全て――巻頭の目次や、巻末の解題や年譜といった一部のページを除く全て――が詩だということにも圧倒された。

『キャベツ』に引用されている冒頭部しか知らないわたしのなかで、「詩は十月の午後」というフレーズはそのまま、「ぼく」と「かこちゃん」のいた日曜日の代々木公園、金色と緑色に輝いている静かな秋と結びついていた。
ところが、ここからの展開は、わたしがぼんやり想像していた詩のイメージとはかけ離れていた。田村隆一がどういう詩人なのかも、わたしは知らなかったから。

「西武園所感」の最後は、次のように結ばれている。

いかなる条件
いかなる時と場合といえども
詩は手段とはならぬ
君 間違えるな。

(田村隆一「西武園所感」、『言葉のない世界』(1962、昭森社)収録
※思潮社『田村隆一全詩集』p. 78-79を参照、太字部分はゴシック体)

はっきりと衝撃だった。

詩は手段とはならぬ

わたしがしていることは何だろうか。わたしは、詩を手段としようとしていなかったか。詩を読むことを、他の詩を読むための手段としていなかったか。詩を詠むことを、己の感情を表明するための手段としていなかったか。

この言葉を、そのまま字義どおりに受け取ればいいのか、また、そっくり受け入れて考えを改めるべきかはともかくとして、「詩は手段とはならぬ」という言葉がここにあることを、忘れないでいなければならないと思う。

これは到底、「詩はひとりの女の子」などと続く余地のない詩だ。「ぼく」と「かこちゃん」の、しあわせで満ち足りた時間とは異質である。
「詩は十月の午後」のひと言だけならばぴったり似つかわしいけれど、この詩には「ひとりの女の子」に続くような、やわらかい生(せい)の感じがない、と、わたしは思う。もっと、ぎりぎりの、硬質なもの。

もっとも、このフレーズを引いた「かこちゃん」にとってあの時間は、詩全体を踏まえて「詩は十月の午後」だったのかもしれない。その可能性まで含めて、最初から「西武園所感」を知って『キャベツ』を読んでいたら、また違った印象を抱いただろう。
それでもわたしは、こうやって、作品のなかに知らない別の作品や固有名詞が出てくるのが結構好きだ。知っている作品が出てくるよりも強く記憶に残ったりする。
本来は、作品内とリアルの空気を均したり、別の文脈を編みこんだりする手法だろう。でも、知らないものだらけのこの世界に、一度自分が親しんだ作品が手がかりを残してくれることで、どうにかはしっこをつかまえることができたりする。
だから、あちこちに埋めた化石をいつか掘り当てて鑑定するみたいに、リアルでめぐりあう日がくるのを楽しみにしている。

詩は十月の午後

秋の詩といえば、高校時代に現代文の先生が、風光亜の「音楽祭」という詩を紹介してくれたことがある。

秋の午後、薄暗い(……のはわたしのイメージのなかだけで、そう書かれているわけではないけれど)喫茶店のなかで、「少女」と「僕」が話している。
この詩のなかで雨が降っていたことも、このあと夜が更けていくことも覚えていなくて、ただ、秋と、午後と、少女と、喫茶店、喋っているのに静かな遠い感じが、わたしのなかでずっと像を結んでいた。

久しぶりにこの詩を見返したら、同じ資料に、田村隆一の「秋の山」があった。全然覚えていなかったけど、田村隆一の詩にも、もう出会っていたはずなのだった。

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