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変わらない君でいて

ジューンブライドということで、結婚式を迎える姉を見送る妹のお話です。
こちらは、アルファポリスで更新した短編現代小説になります。

あらすじ
椛(もみじ)の一番の親友で、理解者である姉の椿が結婚する。絵本が好きな椛と、小説本が好きな椿。嬉しい時も、悲しい時も、姉妹を繋ぐのは、「本」だった。
結婚という旅立ちをする椿が、椛に贈る最後の本は……。

 読書が好きな両親の影響で、我が家は小説本と絵本で溢れていた。
 わたし・もみじはどちらかと言えば、綺麗な絵と厳選された文字で構成された絵本が好きだった。
 一方で、姉の椿はどちらかと言えば、表現豊かな日本語を巧みに使う小説本が好きだった。
 好きなものが違う姉妹だけれど、わたしたちはとても仲がよかった。
 好きな絵本や小説本について深い話ができたのは、誰よりもお互いだった。そしてお互いの話を聞くのが、何よりも好きだった。
 姉妹であり、一番の親友で、理解者だった。

 そんな姉は今日、結婚して、我が家を旅立っていく。

「――椛、支度出来た?」
「待ってー! 今行く!」

 着慣れないパーティードレスの裾をヒラヒラさせながら、わたしはイノシシのようにズダズダズダッと勢いよく階段を駆け下りた。
 すると、廊下の端から端まで続く長ーい本棚の上に腰を下ろし、文庫本を読んでいた父さんと衝突しそうになった。

「おっとっと! おいおい、急に体動かして、怪我するなよ。今日は椿のおめでたい日なんだからな」
「大丈夫、大丈夫! 在宅ワーカーだってちゃんと運動するんだから!」
「ゲームの運動だろ?」
「ゲームでも侮るなかれだよ、父さん! 真面目にやれば、半年で五キロ痩せた人もいるんだから」
 最近体が重たくなってきた、とこぼす父さんは「本当か」と興味を示した。
「はいはい。その話はまたね。急ぐよー」
 母さんに背中を押され、これまた履き慣れないヒールの靴を履く。
 鏡に映った自分をまじまじと見た。

 ボルドー色のドレスにヒールの靴を身に着けると、まるで紅葉をまとっているみたい。紅葉の妖精って、きっとこんな感じだよね。かわいい! 次の絵本の題材は、秋の妖精の結婚パーティーとかにしようかな。

 わたしと父さん、母さんは、しっかりと家の鍵を閉め、自家用車に乗り込んだ。
 車酔いをしやすいわたしは、車が発射する前に窓を開けた。すると、五月の柔らかい風が、するすると流れ込んできた。
 エンジン音が鳴り、車が動き出すと、一層強く風が吹きこんできた。シャラシャラと耳飾りが揺れるのがくすぐったい。

「この車で四人そろって出かけたのは、椿の結婚報告の時が最後だね。もう懐かしい気がするなあ」とハンドルを握る母さん。
「シャイな椿が一生懸命話してくれてな。態度を見ただけで、あぁ、結婚か、ってわかったよ」
「椿はわかりやすいよね」
 あの日の緊張しきった椿の姿を思い出し、三人でクスクスと笑った。

 五人乗りの夜空色の車。この車に乗って、家族四人、たくさんの場所へ行った。
 四季折々の顔を見せる山々、関東近郊の湖、絵画や彫刻を鑑賞する美術館、恐竜や歴史の博物館、日本一有名なテーマパーク……。
 楽しい場所だけではなくて、熱を出した時は病院にも行った。
 わたしと姉が通う塾の送り迎えも、この車だった。
 隣にはいつだって椿が座っていた。
 お互いに読んだ本の話をして、時々父さんと母さんも話に入って来て、ついでに本屋に寄るのは日常茶飯事だった。

 ……もう、四人で出かけることなんて、無いのかな。
 一番大切な、笑顔でいたい日に、わたしはこんな寂しいことを考えている。椿に申し訳なくなった。
 でも、父さんと母さんもきっと同じなんだろう。誰も、何も、それ以上は話さなかった。

「――これより、新婦から列席者の皆様へ、贈り物のお渡しがございます。席についてお待ちください」
 会場の中央に座る椿が、スッと立ち上がった。
 白を基調に装飾された会場の中で、白色のドレスを着た椿は、白銀の世界に舞い降りた妖精のように見えた。
 一歩一歩歩くごとに一緒に動くスポットライトの光を浴びて、ドレスの銀色の糸やティアラの宝石がチラチラと光る。妖精っていうよりも、お姫様っぽいな。

 椿が向かったのは、レースのクロスがかかった丸テーブル。その上には、色とりどりの包装紙とリボンで包まれた本が並べられている。
 椿はその数冊を手に取ると、用意されていた白樺の皮のカゴに入れ、数少ない友人列席者の席へ歩き出した。

 シャイな椿と旦那さんらしく、結婚式は小規模な人前式で行われた。そして、本当に大切な人だけを招待した椿は、その全員に、その人に一番合う「本」を選んで贈ることにしたのだ。
 全員なんて大変じゃない? とわたしは思った。でも、椿は「ちっとも」と笑顔で答えた。
『むしろ楽しいよ。司書の知識も使えるし、なにより、照れくさいから、本で思いが伝わると良いなと思って』

「――椛、お待たせ」
「えっ、あ、ありがとう」
 いつの間にか全てのテーブルを回り終えた椿が、目の前に立っていた。
 差し出されたのは、椿柄の包装紙と赤いリボンで包まれた本だ。大きさや重さから考えると、ハードカバーの本だろう。
「……こんな厚い本、わたし、読み切れるかな」
「大丈夫、大丈夫! 椛に合う本を選んだから」
「……わかった。じゃあ、がんばって読むね」
「うん。これまでありがとうね、椛。椛の姉妹に生まれて、幸せだったよ」
 そう言って椿は笑った、子どもの頃に好きな小説本を読んでいた時と同じように。
 夢中になって小説本を読む椿の目は、いつもキラキラ輝いていた。今日のドレスやティアラよりも強く、美しく。
 最後にもう一度、この笑顔が見られてよかった。
「……わたしこそ、ありがとう、椿。椿がお姉ちゃんで幸せだった」
 わたしは何とか涙をこらえて、笑顔でそう答えた。

「えっ! これって……」
 その夜、家に帰り、自分の部屋で贈り物を開けたわたしは驚いた。
 包装紙の中から現れたのは、ハードカバーほどの厚さになる何冊もの絵本だったのだ。
「あ、わたしの絵本」
 こぐまとリスの友情物語『きみがすき』というタイトルの、わたしのデビュー作だ。文章も絵もわたしが描いたもので、ベストセラーとはいかないものの、それなりに売れている。
 出版された日は、家族全員が五冊ずつ買って来て、みんなで大笑いをした。

「あ、懐かしい! この絵本は二人で何度も読んで、破いちゃったんだよね」
 『おもいではここから』は、ミツバチが暮らすマンションで起こる愉快な三つの事件を取り上げた絵本だ。
 カラフルなマンションの部屋や家具がとてもかわいらしく、将来はどんな部屋に住みたいかを、椿と夢中になって話した。これは何度も読み過ぎて、ところどころ破けてしまっていた。

「これは、知らない作家さんの絵本だ」
 海外の名前が書かれた絵本のタイトルは『かわらないきみでいて』。鮮やかな緑色の大地で、寄りそって眠る二匹のヒツジ。三色絵本の形式がとられた絵本のようで、黒だけで書かれたヒツジは写実的でありつつも、表情は豊かだ。
 厚紙の表紙を開くと、小さなメモが挟まっていた。

『これからも好きなものを大切に 椿』

 国家公務員らしい椿の達筆な書きつけを見て、思い出した。
 わたしたち姉妹の一番静かなケンカを。

 高校に進学したわたしは、絵本を創作する同好会を作ろうと決心した。
 中学の時と比べると、みんな少しだけお小遣いが増えているはずだ。だから、少しずつお金を出し合って、紙とペンを買って、みんなで読み聞かせ合う。そんな活動をしたいと思った。
 でも……。

『――どうせ椿も、絵本は幼稚だって思ってるんでしょう』
 クッションに顔を押し付けながら、できるだけもごもごと話した。
 しかし、机に向かっていた椿にはしっかりと聞こえていたようだ。椿はペンを止めて、カーペットの上に座るわたしの方にくるりと向き直った。
『……どうして?』
『……絵本なんて、絵ばっかりで、子供騙しで、知識が無くても書けるって。……小説より、学ぶことがないものだって』
『誰に言われたの?』
 わたしは答えられなかった。
 言い出した分際で、この話を詳しく話したくなかったのだ。
 なんてワガママな態度だっただろう。椿に対しては、ついワガママになってしまった。
 椿は勉強机のイスから立ち上がり、わたしの隣に静かに座り込んだ。そしてしばらく黙っていた。

『……それは、辛かったね』
 わたしは黙ったまま、クッションを強く握りしめてうなずいた。
『でもわたしは、絵本が幼稚だなんて思わないよ』
『……小説読んでる人のくせに?』
 今思い出すと、自分を引っ叩いてやりたくなるようなひどい言い方だ。でも、椿は怒らなかった。
 それどころか、これまでで一番優しい声で、ゆっくりと話した。
『うん。だって、椛が、素晴らしい絵本を、いつもわたしに教えてくれるから。目だけで楽しめる美しい絵で描かれていて、緻密に言葉を選んで物語が紡がれていて、誰かの心に寄り添ったり勇気をくれたりする。たくさんの力に満ちたものこそが絵本だって、知ってるからだよ。椛のおかげで』
 その後、とめどなく溢れるわたしの涙が止まるまで、椿は何も言わなかった。ただ、隣に座っていてくれていた。

「……椿のおかげで、ずっと好きでいられたよ」
 とうとう零れ落ちた涙を、ハンカチでグイッと拭った。
 涙は止まらなかったけれど、わたしの顔には笑顔が浮かんでいた。

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