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生きもの、命 -4-

「生きもの、命 -3-」のつづき
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そして、こういった問題提起がされていくのにも、時代の流れとして何か意味があるような気がしています。「意味がある」というのは、私たちの学びになる、成長に繋がるということですが、意味のあるものにしていくためには、マイナス方向に捉えるのではなく、違う角度からプラスに転換できる要素を見つけることが必要で、例えば、今までの「血縁の子どもが親のお世話をする」時代から、「社会のみんなが、お互いにお隣の人を気に掛ける」時代へとシフトしていければいいのではないかと思うのです。

と言うと、古き良き時代にあった「ご近所付き合い」のようなコミュニティに逆戻りなのかと想像されるかもしれませんが、(おそらく特定の地域の中だけでの繋がりだったためではないかと思いますが)昔のそれは時代が進むにつれて一部の人からは受け入れられなくなって来たため、核家族が増え、個人の孤立化も進んでおり、また、例えば高齢の方であっても、ご自身の「子育てが終わったのだから残りの人生は自由に暮らしたい」という方も増えたはずで、もちろん昔ながらのコミュニティが好きな方もいらっしゃると思いますが、そうでない方も増えたのであれば、それらを否定せず、単純に昔のカタチに戻すのではなく、多様性を尊重した新しいコミュニティの在り方を創っていけばいいのではないかと思います。


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実際様々な方面でも既に人員的に無理が発生しているためだと思いますが、今は「拡張家族」というカタチを実践しておられる方もどんどん増えてきているそうですので、上記のようなことも決して不可能ではないということですね。

下記はあるコミュニティを立ち上げられた方のサイトですし、

他にも、子育て中の2つのご家族が同居して、助け合って生活をする、というカタチを実践されている方もおられるそうです。

私の会社でもシェアハウスで生活されている方がおられますが、拡張家族はシェアハウスではなく、「家族になる」という意味でさらに広がりのあるものだそうですが、その一つの入口にもなり得るシェアハウスも含めると、意外と身近にさまざまな形で広がりつつあるもののようですので、こういうものから始めていって、いつか社会全体が家族のような思いで繋がっていけるようになれれば、きっと暮らしやすいだろうなぁと思います。

でもまだ実際にはこの「拡張家族」でさえハードルが高いと感じられる方も多いと思いますが(ですので移住される方も含め、変化に順応性のある若い方から行動を起こされているケースが今は多いと思いますが)、上記のサイトにも書かれてあるように、「血縁関係はなくても、人間はそこに「愛」というものが介在すれば繋がることができる、家族になれる」ということで、「家族」とは、なにも役所に届けている書類や、血縁によって定義されていなくても、お互いの同意があれば成り立つもので、その為に必要な「愛」は全ての人が生まれながらに持っているものですので、突き詰めると「愛の思いを提供し合うだけ」でよく、それこそ愛そのものにはお金も必要ありませんし、見方を変えるだけで意外と簡単に乗り越えられるハードルではないかなと思います。

最近は国内外のドラマ、映画等でも「血縁に囚われない家族の在り方」が顕著に示された作品がどんどん増えてきているので、もう皆さん気づかれているのではと感じていますが、それに比べて政府は「少子化対策」と銘打って、莫大な予算を組んで一生懸命取り組みをされているにも拘らず、30年近くも成果が挙げられないとお悩みのご様子。「命を生み、育てる」ことの尊さ、神聖さのようなものを国民が改めて考えなおすという意味では、注目してもらうことで何か得るものがあるかもしれませんが、補助金等の仕組みだけを作っても人が増えるわけではないのではないかと思います。


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そしてそもそも、「子どもが増えればそれでいいのか」といえばそうでもないような気がします。

例えば、人手不足だと、海外から人材を招聘して、もちろん海外の方にとっても学びになる、生活に役立つという意味ではお互い様なのかもしれませんが、コロナで往来が出来なくなるなどして海外の方のサポートも減少した時に、「日本人がいないなら海外の方にお願いすればいい」という考え方が根本的に間違っていることを浮き彫りにされたのではないかなと感じました。

今ロシアでは「死傷者が出て減少した兵士の補充は、ロシア国内から徴兵すると反発が起こるため、貧困層である近隣の共和国から徴収するべきだ」ということで、ロシア連邦を構成する小さな共和国から低賃金で、しかも半ば脅迫されて徴兵されている、というニュースを見ましたが、状況は違えど考え方としてはこれと似ているのではないかなと思いました。

また、私も仕事で幾つもの会社の様子を見させていただくのですが、会社組織の在り方にしても同じで、人の出入りが早い組織では「足りなくなったら補充すればいい」とまるで物を扱うかのような感覚でおられる方はまだまだ多いです(もちろん口にはされませんが)。そういう感覚なので「補充」後も結局、従業員を「人」として大切に扱わないので、また人材が流出していく、その繰り返しが多いです。それで組織にダメージがないかというと、それにかかる時間にしても費用にしても当たり前ですがあるのですね。それでも経営陣は何が問題なのかを本質的に理解できない、いえ「忙しい」を言い訳にして理解しようとされないのだろうと思います。

これと同じことが、どこの世界でも起きているなぁといつも感じます。


でももし、私たち一人ひとりがちょっと角度を変えて物事を見るだけで、最終的には社会全体が「家族のような関係性」になれればよくて、シェアハウスではなくても、家は別々でよく、困ったときはお互いが支えあい、少子化のままであっても、高齢者が増えても、安心して暮らせる社会が実現するのだとしたなら、無理がある政策に莫大な予算をかけなくても、『PLAN75』のような制度をつくらなくても、持続可能な社会が無理なく構築されていくのではないかと思います。


実現のために必要なのは、"命を尊ぶこと"や"愛"という「人の思い」だけだとしたら、既に危機に瀕している今、私たちはなにを選択すべきでしょうか?


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